コラム

エリートほど道に迷う可能性、定年後の生き方と「アイディンティティ」

無職・非正規雇用・普通のサラリーマン・エリート族など様々な方がいると思うが、誰しもがいつかは60歳になり、定年を迎える。

そして今後の時代、定年後も働くことが当たり前の時代となっていくだろう。

そうなった時、輝かしい経歴のあるエリート層であれば、その後も思い通りの生き方、働き方ができると一見思えるが、実際はそうではなさそうである。

背景には「アイディンティティ」も。

 

1.「定年後は新しいことをやりたい」、しかし具体化できないエリート層とアイディンティティ

「定年後は、自分が本当にやりたかった仕事にチャレンジしたい」、「一発祈願して独立起業にチャレンジしたい」、「自分にしかできない事で、生きた証を残したい」等々、定年後にこれまでとは全く違う、新しい仕事や生き方を夢見ている方も多いのではなかろうか。

特に、これまで一つの会社で定年までしっかりと勤め上げ、会社の為仕事の為と頑張ってきた「エリートサラリーマン」にこそ、「定年後こそは」と、大きな夢や野望を抱いている方が多いのではなかろうか。

しかし、実際はそう甘くはないようである。

先日、『プレジデントオンライン』にて、定年後の生き方に関する興味深い記事が挙がっていた↓

「定年後」は部長より高卒叩き上げが元気~会社を辞めれば全員“ただの人”~  プレジデントオンライン
http://president.jp/articles/-/22045
この記事の内容を概略すると、
・とある大手メーカーにて、さまざまな50歳の社員を集め「60歳の自分」というテーマで自由にディスカッションをした。
・冒頭は、部長などのエリートクラスが議論を引っ張った。
・具体的な話が始まると、高卒の叩き上げ組が、意気揚々と語り始めた。
・最後には、エリートクラスはほとんど話せなくなった。

とても興味深い話だ。議論やプランニングには慣れ、能力も高いはずであるエリートクラスのサラリーマンがその先を見越せない。

なぜ、こうなってしまうのか。
それは、アイディンティティが関与しているのではないか。

2.定年後に、再び向かい合う事となる「アイディンティティ」

「アイディンティティ(identity)」とは、日本語で「自己同一性」とも呼ばれる。意味は広いが、簡単に言えば、自己や自我だ。

アイディンティティは、青年期頃に「自分は何者なのか?」と問いかけながら、形成されていく。またそれを確立するまでの準備期間、猶予期間をこ「モラトリアム」と呼ばれる。大学生活などがモラトリアムとして代表的だ。

だが、アイディンティティは一度作られて、それで終わりではない。壮年期、中年期、高齢期になっても、その間の経験などによって、作り替えられていく。
アイディンティティの変化については、心理学者で京大名誉教授の故・河合隼雄氏が著書『こころの最終講義』にて語っている。河合隼雄氏は、生きる中でアイディンティティは常々変化し、全生涯、死ぬまで形成中であるという。

さて話を戻すが、なぜ前述したように、叩き上げ層よりエリート層が定年後を見越せないのか。それはエリート層のアイディンティティの変化が、社会に出た後、止まってしまっていたからではなかろうか。

エリート層と一つに括るのは失礼だが、やはり一つの会社で成果を上げ、順調に出世し、地位を固めた方がエリート層には割合として多いかと思う。

そんなエリート層は立場があるが故に、「自分はこうあらればならない」、「上に立つ者としてこうしなければならない」、「リーダーシップ、組織、マネジメントとは」と強制されてきた方も多いかと思う。もしくはその地位や能力を自ら誇りとして生きてきた方も多いであろう。

それも一種のアイディンティティと呼べるかもしれないが、社会や組織など外部・第三者が関与したアイディンティティとなる。自分本来の純粋なアイディンティティとはまた異なってくる。
そして、エリート層の場合、一時期から純粋なアイディンティティの方が塞がれ、変化が止まったままになっている方が多いのではなかろうか。

このディスカッションの結果からみてもそう感じる。

定年後、また途中で仕事を退職した場合もそうであるが、
これまでの社会・組織・価値観の柵から外れ、新たな生き方を始める場合、人はただの人になる。

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その間にアイディンティティの変化が止まっていた人の場合、急遽、再びアイディンティティと向かい合うとなり、自分自身と向かい合う事となり困惑する。このディスカッションで起きていたことはそういった事ではなかろうか。

なお、アイディンティティが乱れ、自分が何者なのか分らなくなると、「アイディンティティの喪失」という状態に陥る。さらに悪化すると、「自我同一性障害」や「精神病」等に発展する恐れもある。

そうなってしまっては、定年後の働き方、生き方どころではなくなる。
無気力で、毎日テレビに向かい、まどろみの生活を送る定年後になってしまう恐れもあるのだ。

「燃え尽き症候群」や「やりきり症候群」といった症状にもつながる恐れもある。

 

3.死ぬまで「モラトリアム」は続く?

「モラトリアム」とは、一般的には、社会に出るまでのアイディンティティの準備期間、猶予期間を指す。

しかし、故・河合隼雄氏も述べている通り、アイディンティティは死ぬまで固まらない。その過程の中で常々向かい合い、変化させていくものだ。

もし、人生の最期となる”死”を終点にし、全生涯のアイディンティティを考えるのであれば、人間は死ぬまでモラトリアムと言えるのかもしれない。

今の時代、エリート層に限らず数多くの方が、組織や周囲の価値観に惑わされ、また無数に飛び交う情報に惑わされ、「自分とはなんなのか」、「自分のアイディンティティは何であったのか」かを見失っているのではなかろうか。

行き場を無くしたアイディンティティは、いずれ向き合う事となった際に、フラッシュバックの様に鋭く襲ってくる。

人によって年数は違えど、いずれ誰にでも訪れる定年後。
定年後に迷宮入りしないためにも、自分らしい定年後を生きるためにも、今この時をモラトリアムと考え、本来のアイディンティティと向かい合っていく事が必要なのかもしれない。

そう私自身にも言い聞かせたい。

いくら財産や地位を築いたとしても、それでアイディンティティを得ることはできない。

まとめ

私のサイトにはちょっと場違いなテーマでしたが、思い当たる事もあり、書きました。

今後、医療技術の発展などで人間の寿命は100年を軽く超えるとも言われています。定年後働くにしても隠居するにしても、その長い時間でどう生きるかは必ずぶち当たる壁になる事でしょう。

そう考えると、アイディンティティや定年後になにをするべきかは出来るだけ早くから向き合っておいた方が良いと感じます。

 

 

 

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