コラム

「ネット」を見るとみんな同じになる、そして『ニーアオートマタ』の世界へ

ネット時代が進んでいますね。

Twitter/2ちゃんねる/ブログなどなど、ネット上には今多くの人の意見や情報が飛び交っています。インターネットを通じて色々な人の価値観に触れられるようになりました。

そういったものを見て、自分と違った考え方を知り、価値観や視野が広がる感じがしますよね。

けれど、果たして本当にそうでしょうか?

逆に視野は狭まり、オリジナルの個性や自我は少しずつ消えていくんじゃないでしょうか?みんな一緒になってしまうのでは?

そんなお話。

「ネット」を観ると価値観が広がるのではなく狭まるのでは

私も最近、他人のTwitterやブログをよく観るようになりました。まあホントにいろんな考え方が溢れており、観ていて面白いですね。

普段の生活では会わないような人の意見も飛び散ってるため、観ていてよくも悪くも考えさせられます。「こんな考え方があるんだー」と。「価値観が広がった、発見になった、学びになった」と。
たぶん皆さんもそんな興味も抱き、ネット上の情報を観ているんじゃないでしょうかね?

ただね、本当にそうなのかと。果たしてネットを観て価値観は広がるのかと。

ネット上には本当に色々な意見や考えで溢れています。
それらを見て一見はたしかに価値観が感じはします。
けれども、もっとさらに広く、もっとマクロにみたらどうなのか。

ブログやツイッターやなどで意見や考えを発信している人。つまり発信側の人。
そういった発信側の人々こそネットに敏感です。ネットを駆使している以上は。
つまり当の発信側の人もネット上に散らばる他の人の情報を見ており、多かれ少なかれ影響されているわけです。発信する側も、知らず知らずのうちに”それ”に取り込まれているわけです。
「この人なかなかイイ事いってるけど、なんかどこかで見たな~」と思う事もあるんじゃないですかね?

そうして発信された情報を、また私たちが2次3次とみて新たな発見があったと思う。価値観が広がったと思う。それは価値観が広がるというよりは、一種の「集団意識」に飲み込まれているのではないでしょうか。大きくマクロにみると。

全くのオリジナルな意見というのは、世間との関わりも、ネットとの関わりも遮断した仙人のような人に限られてくるかと思います。

つまりインターネットのネットワークを介して、言い方は悪いですが「ネズミ講」のように、価値観や考え方が連鎖していると思うのです。
知らず知らずのうちに。

 

たとえば、みなさんも5歳6歳の子供の頃って、今では考えもしないような独創的でオリジナルな価値観を持っていたかと思います。
それが小学校に上がり同世代の友達と関わることで、よくも悪くも失われていく。
社会に出ると同僚やお客さんと関わりながら、よくも悪くも失われていく。
集団意識に触れ、飲み込まれるから。

それと同じことが、今ネットで少しづつ進んでいる気がするんです。

ちょっとズレるかもしれませんが、昔個性的だった友人が、ネット上で「ワラタw」的なスラングを上手く使いこなしているのを見たりしても、なんだか少しやるせない気持ちになることもあります。
この人もネットに取り込まれたかと。

今後、ネット社会はますます進んでいくかと思います。
老若男女問わず誰もが当たり前のようにネットを使う時代。

そうやって全てが繋がっていったときに、目に見えない大きな集団意識が生まれ個性が潰されるのじゃないかと。
ネットが普及していくに反比例して、本当にオリジナルな考え方っていうのは消えていくんじゃないですかね。

そんなことを思います。皆さんはどうでしょうか。

 

『ニーアオートマタ』で描かれた機械生命体

話が吹っ飛びますが、PS4で『ニーアオートマタ』というRPGゲームがあります。
この作品は、ゲームと馬鹿に出来ないほど深いテーマやシナリオが展開し、”自我”というものについて、興味深く描いています。

このゲームの重要キャラクターとして「機械生命体」というのが出てくるんです。
機械生命体は、一見は機械仕掛けのロボットのようですが彼らは”自我”を持てます。

しかし機械生命体達は独自の”ネットワーク”で繋がっています。
ネットワーク上の「集団意識」や「共同意識」に縛られ、同じような考えを保っています。
自我を持てるのにも関わらず、同じような考えや行動をする集団。
まるで意志の無いロボットのように。

それで話の途中、逆に自らネットワークとの接続を遮断した機械生命体たちが出てくるんですね。独立派というか世捨て派というか。

ネットワークを遮断した機械生命体たちは、
家族を持ちたい者は家族を作り、
愛を求める者は愛に生き、
知を欲する者は知を学び、
怒りを持つ者は修羅道を行き、
とそれぞれオリジナルの道を歩んでいくわけです。
彼らは、喜び・悲しみ・怒りをあらわにし、生々しいほど強烈な個性を持つようになります。

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そうなった機械生命体たちは、人間よりも人間らしい印象を受けました。

まあこれは極端な例なのですが、同じようなことが今のネット社会にも言えるんじゃかなと。

もし今後ネット社会が進み、インターネット上で様々な価値観が混じり、繋がり、そして連鎖していったら、知らず知らずのうちにみんなが似たり寄ったりの同じような考え方をもつんじゃないかなと。
一人一人の本当にオリジナルな考えや感情というのはネットワークに飲まれ薄れていくんじゃないかなと。

そうなった時、同じような考え持つ人ばかり、まるでロボットのような人間社会になってしまうのではないかなと。

なんだかそんな事を感じる今日この頃です。

いずれAIやロボットの時代もくると言われていますが、人の方がネットワーク
の上の価値観に縛られたまるでロボットのような存在になってしまったりして。

超極端な話ではありますが、そういった未来もあるかもしれません。
この先、一人一人の個性や自我はどこに向かうのでしょうか。
なかなかに面白くもありカオスな時代になっていくのかもしれません。

 

「自我」を持てるが、ネットワークを通じて共同意志をもち、同じような振る舞いをする機械生命体たち。

 

最も恐ろしいのは、集団意識が一方向に向くこと

以上、ちょっとうまく纏まらなかった感もありますが、ネット社会について思うことでした。

最後に最も怖いと思うのは、それが一方向に向いてしまうこと。
ネットワークで皆が繋がり、集団意識となり、皆が同じような方向を向いたらどうなるのか。

今、ネット上では著名人やインフルエンサーと呼ばれる人々が影響力を持っています。ネット社会がさらに進み、「この人がこういったからこれが正しい」、「あの人がああいったから間違っている」と大衆が誘導・コントロールされる社会になったら、右向け右のような感じになったら。結構怖いものがあるのかなと。

最近、「ネット疲れ」でインターネットやSNSを自ら断つ人も増えてきているようです。逆にもしかすると、いずれもっと先の未来には人々がネットを使わない時代に逆戻りしたりして?

この先はどういった時代になっていくのでしょう。

Twitterのフォロワー数は500万人を越えるダウンタウンのまっちゃん。彼らのような人々がネット上で発言すれば、今現在でも様々な世論が動くほど。↓

 

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