記事公開日:2016年8月20日
最終更新日:2017年11月15日

ゴジラ

批判感想:『シン・ゴジラ』でつまらない所を、震えながら批判 ~ゴジラかわいそう~

空前の大ヒットを続けている『シン・ゴジラ』。
正直大満足で、巷でも言われている通りほぼ欠点など無い様な映画です。
ですが一点だけ、つまらない部分、惜しい部分があったので批判感想として書かせて頂きます。

シンゴジラの批判系記事は反感を買い易いようなので、正直アップしようか迷いましたが、書いちゃったもんは仕方ありません。震えながら批判してみます。

批判感想:シンゴジラで唯一つまらない点 ~ゴジラはかわいそう?~

みなさんはゴジラの”キャラクター”というと何を想い浮かべるでしょうか。
「ゴジラは災害であり恐怖の象徴」、「ゴジラは正義のヒーロー」、「ゴジラは悪役の凶暴な怪獣」、などなど世代によってゴジラに対するイメージは変わるかと思います。

ただ、これまでの全てのゴジラに共通して言えるキャラクターは、
ゴジラとは、「人間の過ちによって作られた生き物」、「ゴジラ自身も被害者」という事だと思います。

そして、今回の『シン・ゴジラ』でつまらない・惜しかったと思う点は、この部分をないがしろにしてしまったこと。これに尽きるかと思います。

今回の『シン・ゴジラ』でも「放射性廃棄物の投機により海底のゴジラ(第0形態)が被害を受けた」の話はありましたが、この部分は本当に一言で流されます。そしてゴジラは終始、処分して当たり前の”害獣”として扱われ、しまいには巨災対のメンバーたちにも「こんな歯で(廃棄物を)食べられたかね~」と生誕の経緯をネタに使われる始末。ゴジラが人間の身勝手により生み出された生物だという点は、まったくクローズアップされておらず、誰もゴジラを尊重する者はいません。ゴジラ生誕の経緯を理解したはずの巨災対チームのメンバーでさえも。

そして人類は、シンゴジラの破壊行為から自分たちの身を守るため、また核弾頭を発射を食い止め自分たちの身を守るために、シンゴジラを延々と痛めつけます。最終的には血液凝固剤というこれまでにない生々しいやり方まで使い、シンゴジラを痛めつけます。

一方、これまでのゴジラ作品はどうだったでしょうか。
初代ゴジラの芹沢博士に始まり、これまでのゴジラシリーズに登場した政府・自衛隊・特殊組織はゴジラは”自分たち人間が作り出した過ちと認めた上”で、半ば罪償いのスタンスで戦っていました。さらに、「VSシリーズ」で言えば三枝未希、海外『GODZILLA2014』であれば渡辺謙のように、ゴジラ側も被害者だと同調させるキャラやシーンやセリフが、意欲的に盛り込まれていたのがこれまでのゴジラシリーズであったかと思います。
これまではそういった誘導描写があったため、ゴジラがいかに無慈悲な破壊活動を行ったとしても、観ている観客側は「ゴジラなら仕方ない」、「むしろ思う存分やってくれ」と妙な親近感や一体感を覚えていたかと思います。それがこれまのでゴジラシリーズであり、他にはないゴジラならではが持つ特別なキャラクターであったかと思います。

今回の『シン・ゴジラ』で唯一つまらないというか惜しかった部分は、まさにこの部分をないがしろにしてしまったということ。

2回観ましたが、やはりゴジラ側を被害者として扱うシーンはほぼ全くと言っていいほどありませんでした。シンゴジラは”ゴジラ”ではなく、あくまで処分して当たり前の害獣として終始扱われ、人類は保身のために淡々と攻撃をしかけていました。まさに名前が「ゴジラ」なだけの害獣です。そこにかつてのようなゴジラと人間の、宿命のような関係はありませんでした。
今回のシンゴジラに妙な恐怖を覚えたのも、そういった旧来からゴジラが持つキャラクターが消しさられて、一気に無機質な存在になってしまった事もあるでしょう。

リアルシミュレーションで考えれば、ゴジラが被害者だどうだの考えず、害獣・災害として黙々と対処していくのが正解なのかもしれません。私自身も今回のようなリアルシミュレーションで描かれたゴジラ作品は私自身も心待ちにしていた部分もあります。
ただ、”ゴジラ映画としては”、それはどうだったのかなと思います。1シーンくらいはゴジラ目線のシーン、ゴジラを尊重したシーンを入れてあげて欲しかったです。例えば、主要キャラである長谷川博己や竹之内豊あたりが「あの怪獣自身も被害者だったのかもしれない」的なセリフを、たった一言加えてあげただけでも、視聴者側のシンゴジラという怪獣の観方がかなり変わったのではないかと。

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今回のままだと、この『シン・ゴジラ』で初めてゴジラを観た方は、ゴジラを完全にただ強く恐ろしいだけの害獣と捉えてしまいそうです。その感覚で次以降のゴジラシリーズが進んでいってしまうと、少々悲しいものがあります。
私たちが熱狂したゴジラは、単なる害獣だけでは無かったはずです。

ddasdsdada dasdsdasda

 

なぜこんな記事を書いたか?

最後になぜ、私がこんな記事を書いたのか。
それは↓のシンゴジラが”可哀想”という記事が徹底的に叩かれていたためです。

『シン・ゴジラ』、ゴジラがあまりにかわいそう。 yahooニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/hanadakazuyoshi/20160812-00061061/

この記事で『週刊文春』編集長の花田紀凱氏が「とにかくシンゴジラが可哀想だった」と語っていますが、これに対して「初代ゴジラを観ていない老害の意見」、「初代ゴジラは戦争の象徴、恐怖の象徴だから言っている事がめちゃくちゃ」と徹底的に批判を受けていたためです。また、この記事に限らず、他にもネット上では、ゴジラがかわいそうという意見は徹底的に叩かれている状況がよく目に入ります。

私はこの花田紀凱氏をよく知りませんしこの方に興味も無いので擁護する気は全くありませんが、いちゴジラ好きとしてこういった批判はおかしいのではないかと思い、記事にさせて頂きました。

ゴジラとは、単に戦争の象徴や恐怖の象徴だけでなく、同時にゴジラは核の申し子であり、ゴジラ自身も被害者という大きなテーマが初代ゴジラからあったと思います。
ゴジラとは、そんな「恐ろしさ」と「かわいそう」が同居した存在であり、だからこそゴジラというキャラクターに魅せられ、その儚い破壊劇に熱狂するのだと思うのです。

これが他の怪獣映画/モンスター映画/パニック映画にはないゴジラならではの最大の魅力であるかと。
このため、今回の『シン・ゴジラ』でゴジラ自身も被害者という描写が省かれてしまったこと、また「ゴジラかわいそう」がNGになっている風潮には残念でなりません。

加えて、今回の『シン・ゴジラ』では、シンゴジラは福島原発のメタファーとされている風潮がりますが(私も別記事でそう書いてしまいましたが)、やはりシンゴジラ=福島原発ではないと思います。
①福島原発は人間が作り出した”物”であり、被害を生んだため冷却作業で鎮静されました。
②シンゴジラは人間が作り出してしまった”生物”であり、被害を生んだため血液擬固作業で鎮静されました。
一見この2つは似ていますが、やはりこの2つには大きな意味の差があるかと思います。

まとめ

以上が私がシンゴジラで唯一つまらない部分の批判感想です。
これ以外は文句なしの最高の映画でした。(あとエヴァのBGMがちょっときになるくらい)

 

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コメント

  1. 匿名 より:

    またまたお邪魔します!
    その辺はどっちが好きかっていうことかなぁ。
    緻密に描いて観てもらうか、説明なしで感じてもらうか。

    ちょっと例を挙げて見ると、昔「パトレイバー」って作品がありまして。
    その中のシリーズで「廃棄物13号」っていうエピソードがあるんだけど、
    マンガと映画でかなり改変があるんですよ。
    怪獣物で今回のシンゴジラにもちょっと似てるんですが、
    映画は人間にかなりスポットあててメロドラマとか親子愛的な捉え方で
    怪物が生まれた悲劇を描いています。
    マンガ版はそういうエモーショナルな部分はほぼ無いんですが、
    私はマンガのほうが好きでした。

    なぜかと言うと。

    裏設定的な隠された秘密を見なくても、ある日腐ってボロボロに朽ち果てた
    怪獣の死骸が海岸に打ち上げられたシーンで、あわれみ、悲しみを感じるからです。
    そういうのは、事細かに説明されたくない人なのね。
    実はこれこれこうでね!、って説明なしで表現できるなら
    それは描かないで欲しいという。
    説明されないの心に何かがひっかかる違和感のが好きなのです(笑)

    私のゴジラの手に感じる引っかかりなどもそれです。
    あの立ち姿だけでも悲哀を感じました。
    あの手は何も掴めません。つかんでも指からこぼれ落ちていくでしょう。
    萎えた手を乞う様に突き出し、目的地も求めるものも分からないままに歩く姿は
    恐ろしげなのにもの悲しく孤独にも見えます。
    彷徨う亡者のような、巨大なリア王のようにも見えました。
    それは台風や地震じゃ表現できないと思うなぁ。
    ゴジラが歩いてるだけでグッときたもの。
    あの手は野村さん(中の人)が進言したとか。
    さすが良いセンス!

    1. syumi より:

      コメントまたまたありがとうございます。

      パトレイバーは観た事がないのですが、例え話とても分かり易かったです。
      そうですね、今回書いたことは、人それぞれの好み的な話になってくるかもしれません。
      私の主観を全面に出して書いてしまいましたが、中にはそういったゴジラ側を尊重した描写などいらない、今回の殺伐とした感じがよかったと思う方ももちろんいるかと思います。ゴジラを観ていた世代によっても、やっぱり少し観た方の差はあると思いますし。
      ちょっと主観を押し出し過ぎて反省しています。

      ただ、でも、やっぱりそれでも1シーンだけでも、ゴジラ側にたった目線を入れてあげて欲しかったの思うのです。
      私の様な既にゴジラ映画を何回も観ている人間であれば、ゴジラがなんたるものかが語られずとも用意に脳内変換できます。
      同じく私もあの手に何ともいえない哀愁を感じましたが、それもやはりこれまでの無骨の手のゴジラが、力図良いゴジラのイメージが頭に残っておりそれと比較しているからだとも思うのです。

      もし自分が、全くゴジラというものを知らずに今回のゴジラを観た場合、
      「ああこのゴジラっていう怪獣怖く強くて凄かった、この映画、怪獣映画なのにリアルでテーマが深くて凄かった」これで終わってしまうと思うんです。
      それが、例えば「あの怪獣も被害者だったのかもしれない」とかのセリフを一言、ワンカットでも入れてくれれば、観客とゴジラの距離がぐっと縮まり、ゴジラへのイメージが大きく変わったと思うのです。
      ・・・と思いました。でもそれ以外はホント最高で私が求めていたゴジラでした。

      1. 匿名13号 より:

        記事元が荒れてるのはゴジラほとんど関係ないので
        震えなくても大丈夫かと。(笑)
        syumiさんのページは語り合いたい感じが伝わってくるし
        実際丁寧なレスがついてますけれども、
        あっちは石の投げ合いですから。
        相手の取れないとこに投げつけたり、後頭部目がけて投げつけたり
        最初からキャッチボールする気がないんだよ(笑)。
        リング上のゴジラをサカナに、場外乱闘することで
        インターネッツ()を満喫してるのです。

        かくいう私も時折参戦しますし(笑)
        反省

        1. syumi より:

          コメントありがとうございます。

          なんか面白くて笑いました(笑)
          今のゴジラ批判→叩かれるの壮絶ばバトルの流れは、実は正直見ていて面白いです。
          こんなゴジラが日の目をみる事は滅多になりですからね、もっとやれと(笑)
          私のこの記事自体も大きくみれば、その流れに参戦しているようなもんですし。

          ただ、私もこれまでこのブログサイトで何個か批判レビューを書いてきたのですが、
          批判意見は震えるというか疲れます。後々見直したときに、見当違いの事書いちゃっていると、批判記事だともう恥ずかしくて。
          だから、常に批判意見ばっかり言っている人とかある意味尊敬しますよ(笑)

  2. 匿名 より:

    私も何か今回のゴジラに違和感があったのですが、このブログを見てすごく共感しています。私の中ではゴジラは人類のライバルって感じでした。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      ライバルですか、ほんとそんな感じですよね。私もゴジラをただの敵とは思っていません。
      今回は作品全体の雰囲気が現実的な描写なため、仕方ない部分もあるかとは思うんですが、
      やはりそういったライバル的に観れる描写も欲しかったです。
      ゴジラの方は”虚構”として扱っていますし、少し現実的ではない表現があってもよかったのかなと。

  3. みゆきん より:

    私は今回のゴジラ、充分可哀想に思えました。だって上陸して歩いただけで「排除」殺処分です。逆に今回のゴジラは物語の中で初登場なわけです。今までの暴れた経歴がない、積極的な攻撃はしない。でも殺処分。

    危険外来種、捨てられた犬猫は殺処分、血統書つきも多い。人間によって餌付け、住処を追われ、出てきたら殺されるクマなどの動物たちに重なります。ツキノワグマなんて保護指定なのに…。

    米軍の攻撃で体に爆弾が刺さり、血を流して進化するゴジラの攻撃は悲鳴のようであり、人々の悲鳴も聞こえるようであり、よりにもよって首都東京に米軍の手によって生まれた物を米軍が進化させ東京に核投下なみの損害を与える。こんな皮肉あるかって思いました。
    「第三の核が首都東京に落とされた」「広島の再現だ」と私自身は思いました。

    むしろ、この作品を見て、ゴジラが可哀想という発想が持てない世の中の方が私は恐ろしく、教授の「修羅」とは、妻と同じ放射能の被害者で、ただじっとしていた生物を自分のエゴで目覚めさせる事だと思いました。

    付け足すと、庵野監督は猫大好き人間です。今、都心部での猫たちの無残な扱いを考えたら、この表現で十分だと思います。野良猫も「害獣」扱いです。

    ただ、伝わらなかったのが、残念であります。それを想像する力のない人々に絶望を感じて泣きました。
    一個人の感想を押し付けてすみません。
    syumiさんの人柄の良さに甘えて、こういう風に感じた人間もいた事をお伝えしたかったのです。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      そうですよね、おっしゃるとおり、クマや犬などの野生動物にも繋がるものがります。
      立ち上がった第3形態のゴジラと自衛隊のヘリが対峙するシーンがありましたが、
      政府が逃げ遅れた方の命を必死に尊重しようとする姿と、攻撃を待っているかの様にじっと立ち尽くしてるゴジラ、そして次にはっせられた「自衛隊の弾は国民には向けられない」のセリフに、なにか人間のエゴのようなものを感じました。たしかに人命>ゴジラであるとは思いますが。

      「ゴジラかわいそう」は、ネットを観ている限りでは、少数派の意見であり叩かれる対象になっている様に感じます。そしてこの流れは、あの福島原発事故にも繋がる気がするのです。福島原発事故でも、原発は悪だ、それをずさんに運用した政府や東京電力は悪だ、と散々攻撃されていました。そして原発や政府、東京電力を擁護する意見は、まさしく今の「ゴジラかわいそう」のように少数派意見として叩かれていた記憶があります。ただ、原発も大もとを辿っていけば日本人が原発の電力を必要としたから造られた訳で、原発に依存した生活をしている私たち側にも責任はあったかと思います。

      もしかしたら庵野監督は、そういった人間のエゴや、とりあえず悪者を叩き潰そうとする今の世の中を風潮を比喩するために、敢えてゴジラへの尊重を消し去ったのかもしれません。(考えすぎかもしれませんが笑)
      庵野監督はゴジラがおそらく好きな方だと思いますし猫も大好きとの事ですので、ゴジラを害獣として扱いたくはなかったけれど、敢えて仕方なく害獣として表現したのかもしれません。

      ちょっと纏まらない意見の返信で失礼しました。

      1. みゆきん より:

        お返事ありがとうございます。
        感情的でとりとめの無い言葉にお返事いただけるなんて、思っていませんでした。

        さらに甘えてしまいます。

        ドキュメンタリーとして見ると、どこに感情移入するのかは観る側に委ねられている気がします。ゴジラが最初に出現・海に戻った後、京急線以外は通常運転、テレビ東京がアニメを放送している。
        人間の命すら仕事と経済のために軽んじている描写だと思います。

        私は全てのキャラクターに感情移入して観ました。
        庵野監督はゴジラに一番感情移入したんじゃないでしょうか?もちろん全てのキャラにですが、そこは重いと思います。

        その視点で見れば、充分痛いです。
        「お前邪魔だから殺す」って言われた側の視点があまりにも無いような気がします。少数派ですか…残念です。

        私は東京や関東に原発作れば?って思う人間です。今の便利な生活を捨てられないのなら、自分たちのケツは自分たちで拭くべきだと。

        肉を食べたいなら、自分で牛や豚を捌きなさい、殺しなさいって言われたら、できない弱い人間でもあります。

        テロも物質文明を食い漁った我々へのしっぺ返しであり、災害は自然からの恩恵の裏返しだと思います。

        1ヶ月の給料分の猫缶を作っていた人たちの気持ちを考えたら、しっぺ返しは当然の様に思えます。

        その事について、考えてみなさいよ、答えを求めず、自分たちで考えなさいよ、僕も考えるから。って言われている作品に感じました。
        少数派は本当に残念です。

        ゴジラは今回神々しさを取り戻した様に感じました。
        大魔神に近い感覚を感じました。
        生態系の頂点、人類をはるかに凌駕する遺伝子情報、人々は封印しかできませんでした。

        そもそもゴットジーラであり、呉璽羅ですよね?
        日本の神様は基本祟り神です。
        恩恵があり、人々が行き過ぎれば祟ります。

        神は人間の創作物であり、大魔神なんか、きっと人間が彫ったものですよね?ゴジラがゴジラザウルスっていうのも後付けなら、モスラ・ガメラが旧人類の巨神兵的物という設定も後付けです。

        だとしても、今の人類が超越した何かに審判されているってテーマは変わらない気がするのですが…。

        恩恵に対してのしっぺ返しに、あまりにも多くの人が恩恵を忘れているのが残念です。
        ゴジラシリーズを全部見て、それを感じられないのも、なんだか悲しいです。私は絵を描きます。物語を作ります。
        そういう人間の最下層として、では何を作ればわかるんですか?と、途方にくれました。
        いつも批判的な人の声の方が大きく、よく聞こえます。
        善良な人はあまり語りません。

        今回もそうであって欲しいです。
        少なくとも、私の現実世界にいる、言葉を交わせる人々は、そういう優しい人が多い気がします。
        じゃないと、生きるのが辛すぎます。

        「害獣」って言葉は映画の名で一回も出てきません。野良猫を地域猫として見るか、害獣として見るか、それはその人次第です。
        ゴジラも。
        だってドキュメンタリーと庵野監督は言っているじゃないですか。
        初代ゴジラでやろうとした事を、今の技術でやりたいと。
        この2つはしっかり監督の言葉としてパンフレットに載っている、想像ではない言葉です。

        私はゴジラやウルトラマンが大好きな子供でした。エヴァを観た時、ああこの人はそういう物が好きなんだなって思ってみました。エヴァこそ今までの特撮のオマージュに思え、音楽もオマージュされている気がして、さほど違和感を感じませんでした。
        みなさんの様に、化学の知識や、監督の逸話や裏話など、ほとんど知らない、テレビでやっている時見る程度の、ただ楽しく見ていたファンです。

        お目汚し失礼いたしました。このサイトにはふさわしい文章とはとても思えません。一読していただけたら幸い、破棄していただいて結構です。
        自分の感情をぶつける様な事を、お許しいただけたらと思います。

        お前ふざけるなって思ったら、感情のままのメールを下さい。

        最後に、私は他の庵野作品はともかく、エヴァは初回放送を見て、最初の劇場版を年単位で待ち、観て「やられた…」と思った1人です。
        そこの感情を踏まえた上で、「映像さえカッコよければいいや」くらいの気分で観に行きました。
        でも「ああ、庵野さんあんたの方がゴジラ好きなんだね、凄いの作ってくれてありがとう」って思いました。二回観ました(笑)

        高校生の時、読書感想文で「想像が過ぎる」って注意されました…。
        今回もそんな気がします。

        1. syumi より:

          コメントありがとうございます。

          いえいえ、消すなんてとんでもない。なんだかスピリットのある文章で色々考えさせられました。
          今回のシンゴジラはおっしゃる通り、ドキュメンタリー映画なのかもしれません。
          そして、庵野監督はゴジラをどういったキャラクターに観るかを視聴者側に委ねたのかもしれません。それこそ「君たちも好きにしたまえ」と。
          ただ、全くキャラクターを消すのではなく、逆に敢えてゴジラはとにかく痛めつけ、ゴジラ側はこれまでになく無抵抗にする、そういった誘導をした中で、視聴者がゴジラというものをどう捉えるかを投げかけたのかもしれません。
          むしろその表現こそが、ゴジラ側の立場にもなって考えてくれの誘導だったのかもしれません。これまでのシリーズのように直接的なセリフではないけれど、ゴジラ側の立場も読み取ってくれると。今回の観客層なら大丈夫だと。

          実際に、このコメント覧でも、ゴジラ映画を初めてみたのにゴジラかわいそうと感じた方が2人もいらっしゃいます。
          ただ、花田紀凱氏の記事を叩いている人達などを観ると、逆にゴジラシリーズに詳しい方の方が、ゴジラシリーズを長く観てきた方の方が、その部分を忘れてしまっているような気がして残念です。
          知識をため、論理的に観ようとすればするほど、根本部分が見えなくなっていくのかもしれません。

          私もこんな考察や批判記事をごたごた書いていますが、ゴジラの知識もそれほどある訳でもなく、庵野監督に関してはそれこそにわかファンのレベルです。
          ただ、ゴジラに関しては本当に昔から大好きです。そして久しぶりに再開したゴジラで、ここまで全国各地の方とゴジラについて語れる事本当に嬉しく思っています。

          またまた上手く纏まらず、失礼します。

  4. 初ゴジラ映画 より:

    私は、監督はゴジラを理解しながらゴジラを単なる害獣にしたのは理由があるのかなと感じました。
    まず、ゴジラは一貫して荒ぶる神であると描かれていたように思えました。荒ぶる神をなんとかするには気の済むまで暴れさせるか鎮めるか神から頂いた武器(能力)を使うか、神の座から引きずり下ろすという方法を使うぐらいしか私は方法を知りません。そうだとすれば、ゴジラを現代科学で倒すにはゴジラ(神)を定義し直して神聖を消し、神の座から下ろす=害獣として定義して倒せる者としてあえて陳腐化させたのではないか。神の倒し方として正しい方法だったのでは無いかと思えました。
    また、核の問題は人が作った罰だから、神が罰を与えて終わりにするのではなく、人間が向き合ってどうにかしなければならない。ゴジラ=神の罰とすると、人間はもう罰を受けたので許されたとなる。これは主題として相応しくないから、シン・ゴジラはあの形で良いと私は思えました。ここら辺は個人の趣味です。

    私はゴジラ初見ですがゴジラは十分可哀想とは感じましたし、あの表現で理解はできるのかなとも感じました。
    まだ1回しかシン・ゴジラを見ていないので、とても荒い&ズレてる感想になりますが面白い考察、批評に興奮したので、コメントさせて頂きます。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      なるほど、たしかにそういった見方もあるかもしれません。
      私も今回のゴジラは、生物的な部分も所々見られましたが、これまでのゴジラで最も神秘的な印象を受けました。
      あの放射熱線の乱射など、もうまさに神の領域かと。
      そう考えれば、たしかにゴジラの定義を敢えて陳腐にしたのかもしれません。
      真意はわかりませんが、やはり庵野監督もゴジラをどう扱うか考えた上で、ああいった描き方にしたのでしょうね。(そうあって欲しいです。)

      初ゴジラだったのですね、ぜひこの機会に過去のゴジラシリーズも見てみてはいかがでしょうか。
      過去のゴジラは今回から比べると子供向きになりますが、「ゴジラ1954」、「ゴジラVSビオランテ」、「ゴジラVSデストロイア」は、比較的シンゴジラからでも入りやすく、ゴジラの扱いがよく分かる作品になっています!

  5. 345 より:

    はじめまして。
    私は今までゴジラ映画は一切見たことのなかった22歳の者です。今回シン・ゴジラを観たのは「なんかネットで評判が良いと読んだぞ」くらいのきっかけでした。
    いざ観てみると、まんまと面白く、2回も映画館に足を運んでしまいました。
    ゴジラが、人間によって生み出されてしまった犠牲者であるという根本の設定はもちろん知らなかった私ですが、観終えて2回とも、なんかゴジラかわいそう、という感想を持ちました。
    人間側から攻撃しなければ、ただやって来て歩いていただけだし、米軍の攻撃でダメージを受けるシーンや、ラストの、ビル群の下敷きにされてされるがままに口の中にホースを突っ込まれて凍結させられてしまうシーン……
    なるほど、ゴジラにはそんな根本の設定があって、そのへんの描写があまりないことによって今回、なんだかもやもやとゴジラかわいそう……という気持ちになったのか!と、とても納得させて頂いたので、思わずコメントしてしまいました。失礼致しました。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      なんだか私の想像と違いました。
      初めてゴジラを観た方であれば、今回のシンゴジラの描き方ですと「ゴジラかわいそう」とはまず思わないかなと思っていたのですが、
      345さんもそうですし、上の初ゴジラ映画さんもそうですが、まさか初めての方がこうもかわいそうと思っているとは予想外でした。
      もしかしたら今回のシンゴジラは、あえてゴジラがどうだこうだと表現しなくても、十分そのキャラクターが伝わっていたのかもしれません。

      ぜひ、この機会に別のゴジラ映画も観覧してみてください。またゴジラという怪獣の違った見方ができるかもしれません。

  6. ガッズィーラじゃなくゴジラ より:

    「シンゴジラ ゴジラ かわいそう」で検索してきました(笑)

    私もゴジラがひたすらいじめられてるようにみえて可哀想でした。
    ゴジラは歩いてるだけなのに…歩いているだけで街を破壊するからどうしようもないですけど
    特に米軍の攻撃で血が噴出する場面…見ていられなかった。
    かわいそうという意見はネット世論では少数派なんですねえ

    私はハリウッドの2014ゴジラの方が好きです。
    ゴジラそっちのけで米軍が活躍してた気もするけど
    ゴジラに対するアメリカ流の敬意が感じられたです。
    ラストのゴジラ咆哮シーンは映画館なのに涙がどっと出て困りました。

    一番好きなゴジラは小さい頃に見た平成のVSメカゴジラですが!
    メカゴジラのかっこよさに痺れて、一生懸命応援してました。
    ラドンさえいなければ…!
    あの頃はゴジラを憎たらしく思っていたのに、変われば変わるもんです。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      もちろんゴジラがかわいそうと思う人も沢山居るかと思いますが、全体的には少数派なのではないかと思います。
      現に検索しても、ゴジラが可哀想と言っている感想やレビューは殆どみませんし、やっと見つけた例のyahooトップの記事は総叩きにあってました。
      今回のゴジラが余りに強すぎたせいもあるのかもしれませんが(笑)

      私もVSメカゴジラは大好きでした。
      私は逆にゴジラの方を応援してました。ラドンのためにもメカゴジラを焼き尽くせと!
      だからその後のトンでもない破壊シーンに痺れました、逆ですね(笑)

      今回のゴジラは、どうしても東日本大震災の一件を連想させるため、それもあってゴジラをかわいそうと味方する発言は嫌気される部分もあるんだと思います。
      ただそれであっても、ゴジラは怖くて強いだけでなく、応援してあげたくなるキャラクターで今後もあってほしいです。

  7. なしの より:

    「ゴジラが可哀想」という意見について。
    実は自分もこの映画を絶賛しつつ、そういった感想を心の隅に抱えました。
    それは別にちょっと都民にとって危ないからといって最新兵器でフルボッコにされるからとか
    そういう理由ではなく・・・ある意味でこの映画の考察に繋がる部分からです。
    それはつまり「ゴジラはこんな進化したくなかったのでは?」という点です。
    放射性廃棄物を摂取したのも、それによって近隣の餌が激減したのが原因ではないか?
    食べる物が無くなって口にした危険物質が己に影響を与えてしまったのではないか?
    また作中ですでに故人である牧博士がこのゴジラの第一形態以前になんらかの実験を施した
    疑惑が出ています。
    そして上陸し、自衛隊や米軍からの攻撃に次々と対処できるようになっていき、最終的には
    次なる進化の片鱗すら見せました。
    果たしてそれはゴジラという生き物が本当に望んだ進化だったのでしょうか?
    人類が様々な方法で手を加えた歪な進化ではないでしょうか?
    人類と関わらなければもっと平和に生きて行けたのかもしれないと考えると
    これほど悲しい生き物もないんじゃないかなぁと感じます。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      私も、今回のゴジラは単に放射性廃棄物のくだりだけでなく、
      他にも人間のエゴによる様々な誘導があって、ああいった姿に辿りついたのだと思います。

      陸に上がって来たのだって劇中では進化と言っていますが、海中で生きることが困難になっての止む追えない選択だったのかもしれません。
      タパ作戦や米空軍の攻撃についても、あの攻撃さえなければ、ゴジラは覚醒せずそのまま大人しく海や山へ帰っていたかもしれません。

      今回のゴジラはこれまでと違い、一環して攻撃意志がありませんでした。そう考えると、もし人間の選択が異なっていたなら、ゴジラの形もまた異なっていたのではないかと思います。

  8. 一つだけ より:

    シンゴジラが歩いていただけとは言いますが、それだけでも甚大な被害(人命も)出ています。
    なので、放置するわけにもいかず、過去のゴジラではあまり描かれなかった日本の政治的な事情により駆除することになったのはおかしいことではないと思います
    そもそも、人間がゴジラを産み出したとは言っても当時の人々と今を生きる人々は別です。なのに理不尽に命を奪われるいわれもありません。とはいえ、この辺りは個人の感性によると思うので人によって受け取り方も変わるのだと思います

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      そこの部分は、本文に書こうかと迷いましたが、敢えて控えました。
      おっしゃるとおり、シンゴジラは攻撃意志はなかったとしても数多くの人命を奪いました。
      ビルの倒壊で家族が潰されるシーンがありましたが、あれはほんの一例で何千人という人が今回のシンゴジラの一件で亡くなっているかと思います。

      なので私も今回のシンゴジラのやった事は結果的に悪だと思います。
      人の命 >シンゴジラだと私も思います。そして、人間側はシンゴジラを駆除して当たり前だと思います。
      ただ、その上でゴジラ映画としては、ゴジラ側に少しだけ視点を当てて欲しかったかなと思っています。
      ゴジラへの攻撃を止めるとかそういうのではなくて、例えば少し罪の意識を感じながら砲撃命令を出すとか、そういったシーンが欲しかったでした。

  9. tea より:

    興味深く読ませていただきました。

    ゴジラはまるで、単なる害獣のように扱われているようにも思われます。その点、異論はありませんが、庵野監督はゴジラもまた被害者であるという視点を持たなかったのではなく、意図的に隠しているように感じました。

    特に放射熱線のBGM,歌詞が英語ですが、自分にはゴジラ自身の感情、あるいは何かしらゴジラ誕生に関わる、牧元教授の怨念めいた何かを感じます。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      たしかにあの曲の歌詞は、誰のことを言っているかで、意味が大きく変わりますよね。
      私はどちらかと言えば、牧教授のことを言ってるんではないかと思っていますが、
      もしあれがゴジラの気持ちを歌っているのであれば、過去最高に悲しすぎるゴジラになってしまう気が。

      いずれにせよ、おっしゃるように、案の監督は意図的にあからさまな表現は避けたのかもしれません。
      もしかしたら、歌のほかにも分かり難くしているだけで、実はゴジラ側の気持ちを描いたシーンがあったかもしれません。

  10. らぶか より:

    ゴジラがかわいそうと感じるのは何もおかしなことではないと思いますよ。
    だって劇中でゴジラがビーム撃つのは、痛い攻撃されて悲鳴のような咆哮をした直後ですし、文字通りよってたかってやられるわけで、そう演出されてると思います。

    ネットの文字コミュニケーションって、相手についての情報は短い文面しかないのに、
    その文章の背後に自分の思いたい人物像を設定し、勝手に戦い始めてしまっているように思います。
    全部、自分の中の妄想。自分自身なのにね。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      おっしゃる通りネットの意見はほんの一部だと思います。
      そして、「ゴジラかわいそうが少数派である」と少し誘導した様な書き方となってしまった部分は失礼しました。

      ただ、ネットの声に対して自分がどう思ったかを述べる事自体は、別に悪い事ではないと思うんです(誹謗中傷や違法性のあるものでなければ)。
      例えそれが勝手な戦いで、内容的にイタくても。
      逆にシンゴジラの話がネット上からどんどんと薄れていきブームが去っていく事の方が、いちゴジラ好きとしては悲しいものがあります。

      1. らぶか より:

        お返事ありがとう。
        ごめんなさい。こちらこそ失礼しました。
        先のコメントは筆者様に向けたものではなく、誘導したなどとも思っておりません。

        なんであれ意見を表明するのは何も悪いことではなくむしろ自然で、それを受け取る側が(自分の中で仮想敵を作って)過剰反応してしまうように思えるのが残念と言いたかったのです。

        「そう感じたのだ」と、自分の意見・態度を表明することは一つも悪くありません。

        1. syumi より:

          そういう意味だったのですね。
          何やら勘違いしてしまったようです。こちらこそ失礼しました。
          これこそも、それこそ過剰反応だったかもしれません。
          ネットコミュニケーションはやはり難しいです。

          わざわざ返信頂きありがとうございました。

  11. みゆきん より:

    またまた失礼します。
    ゴジラ可哀想論叩きはネットのストレス発散、どんな形でも注目浴びればいいっていうメタ視点に、おおう!ってなりました。
    ただ、批判的で攻撃的な文章って目にするだけで嫌ですね…。

    さて、今回は、生物学的視点と、1954は第五福竜丸の事件を受けてって部分にあまり触れられてないのでやってまいりました。

    ゴジラの幼体のモデルになった深海生物「ラブカ」
    第五福竜丸について検索すると、もっと面白くなるぞいと(笑)

    シンゴジラを評論するには1954の解体も必須だと思うんですよね。
    っていうか円谷英二について。
    なにせ庵野が「1954を今の技術で」って言っているので。
    宮崎駿も多分に円谷英二の影響受けているでしょうね…。

    みんな庵野に目をとらわれすぎかな…。
    信者をみて、神様みてないような…。

    1. syumi より:

      コメントまたまたありがとうございます。

      第五福竜丸は名前を知っていた程度で、完全にノーマークでした。
      調べたところわんさか出てきますね。それらしい事が。教えて頂きありがとうございます。

      また初代ゴジラや円谷英二が、今回のシンゴジラに大きく関わっているのはおっしゃる通りだと思います。
      ただそこを詳しく論じている記事などは余りありませんよね。もちろん私もですが。

      初代ゴジラが一体なんだったのか。今一度見直してみようかと思いました。

  12. (a) より:

    初めまして。本日ようやく観てきました。
    もともと「人間以外」に感情移入してしまう傾向がある性格なので、とても共感しました。
    もちろん「怪獣映画」としての醍醐味は充分味わい、それはそれでよいのですが、どうしても「ゴジラ、何もしてないのにね」と(ご意見にあるよう存在そのものも上陸も人類には害であることは承知)
    ナウシカでは王蟲や腐りかけの巨神兵、ラピュタではロボット兵に涙しましたから、なんとも複雑ではあります。
    教授の存在と死がゴジラ爆誕と無関係ではないということからして、個人的に「ジャミラ」を重ねてみてしまっていました。あの話は子供心に大変ショックで、思い出しては泣いていましたから。
    作中で唯一ゴジラに同情があったあとしたらデモの様子でしょうか。「ゴジラを守れ!」というコールがあった気がしますが。
    でもそれもどちらかというと反原発や安保などの反対運動のデモに対する揶揄的にも見えましたね。それを尻目にスタッフが仮眠しているシーンでしたし。
    それにしても本当にみなさんの考察の深さには驚かされます。私は単純に物心ついたときから鉄腕アトムに始まるアニメや特撮に魅入られてきた中年で、特に監督ファンではないのですが、今回はお見事だなと思いました。政治劇も面白かったですね。
    しばらくはネットでの考察をいろいろ楽しんでみたいと思います。

    ・・・JR車両も頑張ったよね(T_T)

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      何やらお気持ち凄くわかります。私も王蟲やロボット兵に魅せられる側の人間です。(巨神兵は初めて観たときが怖すぎて未だにトラウマしかありませんが(笑))何なのでしょうねこの感情は。ゴジラはトータルで考えれば悪だと分かっているのに、応援したくなります。

      劇中の「ゴジラ守れ」のコールは、難しいところですね。私もどちらかと言うと、政治的な意味でのゴジラ守れかと思っています。
      もし細かく挙げるとすれば、市川実日子さんが最後に「ゴジラより怖いものは人間かもしれない」的な発言をしていましたが、あのシーンの方がゴジラの同情している様に感じました。

      本当に今回のシンゴジラは沢山の意見があって面白いです。私も色々な考察を観るのが面白く、ゴジラファンでよかったなと思っています。

      そして、JR車両、がんばったと思います。。。。。いい散り様でした。

  13. GMK より:

    はじめまして。
    長文失礼致します。

    自分にとってのゴジラとは何かを考えさせられたのでコメントしてしまいました。
    記事を拝見させて頂いて、シリーズを追いかけた身としては複雑な思いです。

    シンこそが良くも悪くも現代の我々に相応しい「ゴジラ」の描き方をした、と言えるのではないでしょうか。

    記事の内容を否定する気は毛頭ないのですが、私はゴジラに「かわいそう」という感情を抱いた事は1度もありません。自分自身、シンにおけるゴジラの立ち位置は記事にある1954からのそれとは違うと感じつつも、「これで良い」、「シンでゴジラは神に至った」と感じました。

    かわいそうという感情は、人間が相手の立場、心情を理解できるから生まれる感情です。
    1954には原爆がありました。日本人の多くにその記憶が、そしてその源となった戦争の体験が根付いていたからこそ、ゴジラに憐みが浮かんだのです。
    しかし、シンには何もありません。原爆の記憶は70余年の彼方です。福島も己が事として理解できる人間は1954に比べれば少ないでしょう。

    オッペンハイマーの言うように、原爆を作り、「我は死となり、世界の破壊者となった」人間に、ゴジラがまさにその行いを返す。その時人間はゴジラを試すことも測ることもできず、ただ首を垂れるしかない。まさしく人と神の関係です。
    しかし神を、ゴジラを生んだのは人間の作った核なのです。しかし人間は劇中それを省みることなく、ひたすらに人間の世界で神を殺そうとします。そこに(少なくとも劇中の人間の側に)「かわいそう」などという感情が生まれるのはあまりにも傲慢ではないでしょうか…。

    感情を抱くことすらできない絶対的な存在として、感情を抱くための想像すらできない次元の行いも忘却する人の愚かしさの鏡として、シンゴジラは1954からむしろ遠ざかった私達の心を反映するものと考えられるのでは。

    これはミレニアムから2014にかけて散見された、「かわいそう」も含め「ゴジラを映しながらも個人の家庭や感情や価値観に中途半端に焦点を当ててゴジラを語らせる矮小さ」を一切排除したからこそできたことではないでしょうか。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      おっしゃる通りかもしれません。
      原爆は遥か昔の話になり、それに戦後も日本は核兵器の開発も行わず、放射性物質を投機したりも行ってこなかった国。
      もともとの核を作り出したのも日本人な訳でもないですし。
      そんな日本人が、今の時代にゴジラに哀れみや罪を感じる事は不自然なのかなと私も思います。特に今回の様なリアリティを追及した作品では。
      もしかしたら、これまでのゴジラシリーズの方がフィクションだったのとも感じられます。

      それに、福島原発事故の際も、なぜああいった事故が起き、誰が悪いかの目先の事だけに注目が集まり、原発を使う事が当たり前になっている自分たちに自問自答する声は少なかったと思います。(潰されていたかと思います。)もちろん私もそうであり、原発撤廃などと叫ぶ人には、「なにいってんの、原発なんてなくなったら生きていけないじゃん」と軽視していました。
      そんな目先の悪を叩き根本的な原因に目が向けられなくなっている現代人を、今回のゴジラの人類の関係は象徴しているようにも思えます。

      最後に話のベクトルが全く変わりますが、
      あくまで私個人としては、ゴジラは恐ろしくもあり、かわいそうでもある存在であって欲しいかなと思います。
      私が始めて観たのは「ゴジラVSキングギドラ」でしたが、原爆など世代でなく全く知らなかった子供ながらに見ても、核に翻弄されたかわいそうな存在に見えました。そして恐ろしい存在に。

  14. にわか野郎 より:

    初めまして。
    私はあまり映画について考察などしていないので稚拙な意見かもしれませんが、登場人物がゴジラについて真剣に考えず単なる害獣として扱った点については、リアルさという点で当然だと思います。
    昔からのゴジラを良く理解している人はそういうところまで考えられるかもしれませんが、私のようにゴジラを見たことはあるけどあんまり覚えてない、もしくは初めてゴジラを見たという人にとってはかなりすんなりと受け入れられる反応のように思えます。
    作中でも言っていましたが、ゴジラが人間と意思疎通をすることはできません。意思疎通はできないのにいきなり襲いかかってきて、国の経済の中心である東京が破壊されました。意味が分からない。
    理解できないものは怖い、怖いものは捕まえることもできないなら倒すしかない、と私なら思います。
    時間もありませんでしたし。
    もし続編が出るなら、ゴジラは被害者であるという風に登場人物が思う描写が出てくるかもしれませんね。登場人物もゆとりができて冷静に考えることができそうです。

    拙い文章で失礼しました。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      その通りだと思います。私も今回のゴジラは至上初めて上陸した設定ですので、あんな巨大で意味の分からない生物が街を襲ってくれば、何も知らない自衛隊が害獣として駆除し、民間人はとにかく怯え逃げまとう、それがリアルで当然の対応かと思います。
      一方で物語中盤、今回のゴジラも放射能廃棄物が原因で誕生したエピソードが入ってきます。このエピソードを受けた上でゴジラ側に同調するカットが入る事は、それもまたリアルなのかなと思います。
      おっしゃっています通り、上映時間の関係や、もしくは敢えて観客自身に問いかけるためにそういった表現を省いたのかもしれません。ただ、放射能廃棄物のエピソードがある以上はこれまで同様にゴジラに同調するシーンが入る事自体は不自然ではないかと思うので、次回以降シリーズが続くようならば少しその部分を補填してあげて欲しいかなと思います。

  15. 匿名 より:

    はじめまして
    感想読ませて頂きました
    確かに生物として見たらかわいそうと思わせるシーンは多々あったかと思われます
    他の方も書いている通り、むしろ、そう思わせる描写がないように完結させたからこそあなたのような考えを思わせるのかもしれません
    ゴジラも被害者だった
    なんてぶっちゃけくさい台詞です
    極端な話、犯罪者だって昔酷い目を見たんだから酷いことを無意識にしていい
    ということには残念ながらならないのです
    仮に同情するのであれば相手を諭さなければいけません
    しかし、相手はコミュニケーション不可とくれば強制的に沈黙させるしかないでしょうね
    ある意味そうさせてしまったことが罪の報いではないでしょうか
    最後のいつでもカウントダウン再スタートの危険が伴われる事態こそ十字架を背負わされるところなども
    というか人類に背負わされた十字架というよりは罪の擦り付けあいのような気がしないでもないですがね
    あのゴジラを作る原因になったのは何だったのか?
    どうやらあのゴジラは死なない+無尽蔵に増える可能性があったみたいです
    まるでウイルスみたいですね
    ゴジラサイドを人間風に言えばある日突然自分が不老不死、さらにはあらゆるものを支配できる可能性のある力を手に入れたから色々壊してみた。
    そしたらなんか痛いことをされた。
    むかついたからそいつら全員消し炭にしてやった。
    そしたら固められた。
    なんかもうわけわからなくなってきました。
    仮にゴジラが本当に生き物臭くないそれこそほんとただのでかい単細胞でもそう思えるのであればかわいそうと思って大丈夫かと
    あの世界では怪獣という概念さえないようなので
    別にかわいそうと思うのがおかしいとは思わないのですが、今回のゴジラはあくまで過去作品のゴジラの固定概念を捨てた方がよろしいかと
    ちなみに罪(特に原罪)は英語でSinらしいですよ
    長々と訳のわからない文章すみません
    でも書いてしまったのでコメントします
    ゴジラのように特に理由もなくコメント投下します
    私も何かの被害者かもしれません

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      過去のゴジラの固定観念を一切消して、この映画を観たとします。
      仮に、ゴジラを犬にしておきます。
      「犬が放射性物質を食べた、人間を襲った、条例に基きに処分した」
      「犬が放射性物質を食べた、人間を襲った、条例に基きに処分した、犬はなぜ人を襲ってしまったのだろうかと考えた」
      これがゴジラ映画でなかったとしても、私は後者の描き方の方が映画作品として感銘を受けます。今回のシンゴジラはとても良い作品でしたが、更にこの部分が加わればもっと良くなっていたのではなかったかと。それにその部分は、せっかくこれまでもシリーズで採用し続けてきた要素でもありますし。
      「ゴジラも被害者」だと敢えて劇中で恩着せがましく描かなくても、放射性物質を食べた流れから行間を読めばそれを観客自身が色々と考えてくれるかもしれません。ただそういった風に考えてくれという痕跡は、作り手側がある程度劇中内に残しておくべきかなと思います。逆にゴジラも被害者として扱うつもりが始めからないのなら、放射性物質を食べたくだりは本作では不要だったのではないかと思います。ただ海から出てきた巨大生物でよかったのかなと。

      回答になっていなかったら失礼します。

  16. 匿名 より:

    お返事ありがとうございます
    厳密には放射能物質を食べてはいないのですが…
    私はどちらかと言えば偶然発生した人工進化、もとい人間が環境変化させてしまったがために誕生してしまった災害として見ています。あの野生の原爆はわたしはかわいそうと思わない派ですね。
    東京が破壊されてもなんとも思いませんが。
    久しぶりに2011を思い出しましたがね。
    放射能のくだりは
    放射能を受けた→それに対応できるように進化した→放射能をぶちまけることも可能になったという人智を越えた脅威を示すのには十分だと思います。

    1. syumi より:

      お返事ありがとうございます。

      失礼しました、厳密には放射能は食べていません。被爆した事はほぼ間違いないかと思いますが。
      製作側にどういった意図があったかも厳密にはわかりません。おっしゃる様に、放射能を受けてとてつも無い能力を持った事を示したかったもかもしれません。
      ただ、今回のシンゴジラを製作するにあたり庵野監督は「少しでも初代ゴジラに近づけたい」とインタビューで述べていました。それを鵜呑みにすれば、ゴジラという生物の描き方自体は、これまでと変わらない様に思えます。もしそうであれば、今回はあと一押し足りなかったのではないかと思いました。

  17. 匿名 より:

    私は過去のゴジラ作品を見たことはありませんが、『シン・ゴジラ』を見ているあいだは、「あれ、ゴジラまだ攻撃はしていないんじゃないのか」、「そこまで(地中貫通爆弾)しなくても……」と思っていました。しかし、人間側に「ゴジラかわいそう」という発想をもつ人が登場しないというのも、それはそれで現実的で、人間のもつ非情さの表現としては間違ってはいないのかもしれない、とも思われます。
    とはいえ、たしかに、ほんの少しくらいはゴジラ側の視点からの発言があれば、それまでゴジラを人間の都合から一方的に駆除するべき害獣だと(観客含めて)考えていたことにハッと気付かされて、それはそれでよかったのかもしれません。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      この話は、おっしゃっています通りどっちもが現実だと思います。
      可哀想とは一見は思えてもゴジラが奪った人命や被害を天秤にかけたら、そんな感情馬鹿らしいと思うのも当然だと思います。
      この辺をどう描くかは難しいところですよね。

      もし、過去ゴジラ作品を観た事が無いようでしたら、『ゴジラVSデストロイア』という作品を観ると興味深いかもしれません。
      今回のシンゴジラとは相反するような描き方をしており、シンゴジラを観た後ですと興味深いです。

  18. 匿名 より:

    「ゴジラもまた被害者」、セリフにしなくてもちゃんと伝わりましたよ。

    冒頭で政治家さんが殺処分しろと軽く言う場面、物凄い嫌悪感でしたもん。これからゴジラがたくさんの災厄をもたらすとわかっていても。

    私は北海道在住で、ヒグマによる被害とか結構洒落にならないんですが、数年前、市街地に現れたヒグマを銃で撃ち、苦しみ絶命するまでの映像をニュースで流した際、批判が殺到したそうです。

    どれだけ危険だろうと、簡単に人の命を奪える生き物だろうと、生き物の命を人間(ウルトラさん好きなので敢えて人間と強調w)が奪うところを見せつけるっていうのは、やっぱりいい気分はしないですよね。

    特別に感情移入できるキャラクターがいない作品なだけに、見てるほうは人類側の気持ちにもゴジラの気持ちにもなれますし。人間もそりゃあ大変だけど、ただ生きてるだけなのに、全人類から死ぬことを望まれるゴジラ・・・。

    ゴジラに対する憐れみをセリフにしなかった分、ゴジラという存在の悲壮感が押しつけがましくなくなり、更に核の申し子という知識のない人にもそれが感じられるんじゃないかな・・・、と思いました。

    長文&乱文失礼しました。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      なんだか正直これだけ多くの方からゴジラかわいそうの意見を頂けるとは思っていませんでした。
      おっしゃっています通り、敢えてセリフにしない事で逆にそれが伝わっていたのかもしれませんね。
      私の方が色眼鏡で観ており、取り越し苦労的な意見だったかもしれません。

      一点だけ、核の申し子という点については初めて観た方にはやはり伝わり難かった様にも思えます。
      痛めつけられる生き物としてかわいそうと思えても、核の申し子だからかわいそうは初見の方には伝わり難かった様にも思えます。
      そういった意味で、あの放射性物質の小話はもう少し前に出した方が良かったのかなと思えました。

  19. 匿名 より:

    遅れ馳せながら、はじめまして。
    特撮好きで、今回の映画はつい先日5回目を観に行ったという超どハマりファンです。
    いやはや、こういう骨太な批判意見を読みたかったんです。皮肉も冗談も抜きにして。

    で、あらためて「ゴジラも被害者だ」という点から考えてみたんですが。
    いきなり極論ですが、今回のゴジラってそもそも「被害者」なんでしょうか?
    人間による無秩序な核物質の海洋投棄→それによる原始生物の突然変異→ゴジラ誕生
    大同小異あれどもこの経緯は過去のゴジラ映画のそれと似たりよったりですが、
    これで誕生した今回のゴジラ、細々と生き永らえていた原始生物が一気に万物の頂点まで
    「レベルアップした」存在になっています。
    これで核物質を捕食しないと生きていけないというのなら話は別ですが、水や空気さえ
    あれば半永久的に存在できるという究極のエコ&自己完結型の生体システムまで獲得。
    変貌した事を嘆くような知性もなく、生物的な適応性で完全に個として確立している。
    これって果たして「悲劇」なのか?という根本的な疑問が生じます。
    人間にとっての被曝は100%負のイメージしかありませんが、こと今回のゴジラに
    関してはそういう定義は当てはまらないんじゃないかと思うわけです。
    ましてやここまで自己完結している(食物の摂取すら必要ない)のなら、何でわざわざ
    はた迷惑な進化を続けてまで陸に上がり、破壊の限りを尽くすのかと。

    結局のところ、今回のゴジラにとっての「核」は単なる誕生のきっかけでしかなく、
    そこに人間の過ちや罪といった理論が入り込む余地はなかったんじゃないかと思います。
    そして前述の通り、このゴジラは劇中の台詞の通り「霞を食って生きる仙人のような存在」
    であり、上陸しなければならない理由も(おそらく意図的に)完全に排されている。
    ヒューマニズムの入り込む要素、言い換えれば「同情の余地」というものをお互いに全く
    持ち得ない完全な「敵」「災厄」そして「乗り越えるべき大きな障害」である事こそが、
    今回のゴジラの真骨頂ではないでしょうか。
    そして本作が東日本大震災からインスパイアされているのも「核」というファクターではなく、
    大きな災厄に皆で立ち向かうという姿勢そのものだったのではないかと考える次第です。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      これまでに無い切り口のご意見で興味深く読まさせて頂きました。
      5回ですか!つわものですね(笑)私は3回でした。。。

      おっしゃっています内容は、とても難しい部分だと思います。
      たしかに今回のゴジラは放射性物質によりある意味完全進化を遂げており、能力的にはプラスであったかもしれません。ただ、結果的にはその力が原因でゴジラは人間に攻撃され、凍結状態にされ死に追い込まれました。(まだ生きているかもしれませんが)ゴジラに知性があったはわかりませんが、生物である以上生を望むもの当然であり、能力の代償に死を与えられたのであればそれはやはり被害者だったようにも思えます。それにたとえ今回ゴジラが上陸しなかったとしても、米国がその存在を抑えている以上いずれどこかで人間と衝突したと思います。もしくはなんらかの形で利用されたかと。そう考えると、私はやはりゴジラは被害者であったのかなと思います。

      東日本大震災はどうしようもない天災であり、ゴジラはどちかというと自分たちが造り上げた人災です。このため、同じ皆で立ち向かうとしても意味がかなり変わってくる様に思えます。かといって福島原発とも違う様に思えます。福島原発は人災ですが”モノ”ですので脅威を取り除けばそれで万々歳ですが、ゴジラは人災ですが”生き物”ですので、脅威を取り除けば同時にゴジラの死が発生します。
      シンゴジラは東日本大震災や福島原発のメタファーとよく取り上げられていますが、私は今回のゴジラは東日本大震災とも福島原発とも違う存在だと思います。

      反論意見と駄文失礼いたしました。

      1. 匿名 より:

        これまた骨太なご返信、ありがとうございました!
        いいですねえ、こういう意見のぶつけ合いというのは。

        で、今回のご意見を踏まえてもう少し。とりあえず震災や原発に関しては、
        コンプライアンス的にも繊細な部分があるので、これ以上は突っ込みません。
        ここでは、被害者であるか否かという部分について述べさせて頂きます。

        >それにたとえ今回ゴジラが上陸しなかったとしても、米国がその存在を
         抑えている以上いずれどこかで人間と衝突したと思います。もしくは
         なんらかの形で利用されたかと。そう考えると、私はやはりゴジラは
         被害者であったのかなと思います。

        この点に関しては、まったく異論はありません。ファーストコンタクトが
        映画で示された形ではなく、そういう顛末になっていたと仮定するならば
        いかなる被害を出そうとゴジラは「人間のエゴと欲望の被害者」だったと
        思います。
        しかし、実際に描かれた顛末を経てなお「被害者」であると定義するのは
        ちょっと違うと思うわけでして。
        先の意見と重複している(言い方を変えているだけ)かも知れませんが、
        今回のゴジラには2つ、言い訳の余地がないと考える要素があります。

        ひとつは、明確な必然性が無いのに日本(日本人)にケンカを売った事。
        あれだけ容赦ない破壊と殺戮をやらかした以上、相応の報復を受けるのは
        当然です。人類の罪だとか過ちだとか、そんな事は根こそぎどうでもいい。
        そもそも”人類”などという大雑把極まりない枠で加害者被害者の区割りを
        されては、真っ当な人生を踏みつぶされた人達がやり切れないでしょう。

        もうひとつは、弱かったという事。
        これだけ華々しく人類を蹂躙しに来たのに、何あっさり凍らされてるんだ。
        日本人ごときに手玉に取られて、何が完全生物だよ、と。
        繰り返しになりますが、ゴジラの上陸と破壊に必然性がない事は、劇中で
        明言されています。そして「死」を超越しているであろうという事も。
        リアルな作風と「核」というファクターに隠れがちですが、この映画の芯は
        キャッチコピーどおり「ニッポン対ゴジラ」のガチなケンカです。それも、
        完全にゴジラから売ったケンカです。だとしたら、ああいう形で息の根を
        止められたゴジラは「弱かったのが悪い」と言ってもいいと思います。

        人類の罪や業、過ちから生まれたと言うなら、ヤシオリ作戦も核ミサイルも
        全て蹴散らして人類に引導を渡せばよかった。それに文句をつける者など
        誰もいない。少なくとも核の申し子であるゴジラにその資格はあるだろうし、
        実際にやろうともしていた。でも結果、負けた。
        ゴジラは異形ゆえに人類に迫害されたわけではなく、邪悪ゆえに拒絶された
        わけでもない。言うなれば「弱かった」ゆえに「敗北」したわけです。

        勝者と敗者があるからこそのケンカ。どういう形に終わったにせよ、敗者は
        被害者と呼ばれるものではない。嘆くべきは、力及ばなかった自分自身。

        自ら日本に挑み、超える事ができなかったゴジラは純粋な意味で「敗北者」
        なのではないか?と思う次第です。

        1. syumi より:

          返信いただきありがとうございます。
          私もこういった意見のぶつけ合いは楽しいです(笑)なかなかゴジラについてここまで語り合える事もこんなブームでも起きない限りありませんし。そして頂いたご意見に対して、またまた私なりの思いがありますので語らせて下さい。

          今回の顛末では、ゴジラは多大な被害を及ぼしおそらく何千何万という人の命を奪いました。私も人間である以上、人の命>ゴジラと天秤にかけます。ですので今回のゴジラは身近な目線で観るとやはり悪であり、駆除されて当然の生物であったかと思っています。おっしゃる様にもし身近な人間がゴジラに殺されてしまったら、人類の罪がどうだだの関係なく、可哀想もへったくれもなく、ただただ怒りを持つと思います。
          ただその上で大きく考えると(マクロ的にとか言うのでしょうか)、ゴジラも少なからずは被害者であったのではないかと思います。例えば飼い犬に誤った餌を与え狂犬化してしまった、その狂犬が人を殺してしまったので始末した、飼い主は当然の事をしたまでで間違えではないが飼い主にも罪は少なからずあり狂犬は被害者でもある、そんな感じの観念で私はこの記事を書きました。
          どこに重みを置くかで観方やベクトルが変わって来ますが、とはいえいかなる場合であっても”少なからず”はゴジラは被害者であったかと思っています。人間が放射性物質を捨てなければ、今回の顛末すら起きなかった訳ですし。

          同じようにケンカについても、たしかに白黒つけるケンカで考えれば負けた方に同情の余地はありませんが、ゴジラを生み出さなければケンカすら起きなかった訳ですので、そう考えると無理にケンカをさせられ葬られたゴジラは被害者とも思えます。それに今回のゴジラはこれまでのゴジラと比べると完全に無抵抗で、ケンカをふっかけたのではなく悪意なく町を破壊していた様に思えます。ゴジラ側から観れば単に移動中に障害物があったので悪意なくそれを搔き分けて進んでいた様なものかと。(なおゴジラが上陸した理由については色々考えましたが、一番しっくりきたのはレーダー説です。背びれがフェーズドアレイレーダーの様になっており、都心部の密集した電波を拾い上陸してしまったというもの)
          そう考えると、人類が勝手にゴジラを作り、人類側が勝手にケンカをしかけていたようにも思えてくるのです。

          ・・・というような考えを持っています。ちょっと上手く纏まらない所もあり失礼しました。
          言いたかったのは、ゴジラ側にも罪はあるものの、同時にゴジラも少なからずは被害者であるという事です。

          1. 匿名 より:

            さらなるコメント、ありがとうございました!

            >ただその上で大きく考えると(マクロ的にとか言うのでしょうか)

            前回の返信であえて触れなかった部分が、ご本人の弁に登場しましたね。
            そう、このワードがかなりの集約点になると思います。
            マクロ的視点。言い換えるなら「神の視点」ですね。
            長い歴史を一本の「線」であると認識し得るその視点であれば、今回の
            ゴジラは被害者としての面を間違いなく持っていると思います。
            いかなる存在でも「生物」である以上は出生というものが何かしらあり、
            そこには他者が異論を差し挟めない道理や言い分があるわけですから。

            ただ今回、そのマクロ的な視点は、登場人物の誰かが持つべきものでは
            なかったのも確かだと思います。なぜなら彼らは「点」でしかないから。
            単なるメタフィクション的な意味だけでなく、もっと現実的な意味で。

            かつて田中文雄氏が書かれた『ゴジラvsキングギドラ』の小説版に、
            「ゴジラは確かに破壊をもたらす。だがそれは台風のようなもので、
             しばらくすれば収まる」という感じの一節がありました。
            怖れ嫌ってはいるもののその存在を理解し、それなりに共存する方法を
            「線」として確立した歴史から得ている人の見解です。もちろんこれは
            メタ的な作者視点ではなく、登場人物の私見を代弁したものでした。
            対して本作の登場人物たちは「円谷英二が生まれなかった」世界観で
            史上初のゴジラと遭遇した人々。ここから「線」を引いていく「点」
            にしかなれない存在です。ましてや、手をこまねいていては確実に
            ゴジラに(何らかの形で)滅ぼされる。それ以外の選択肢といえば
            営々と築き上げてきた首都を焼き尽くされてしまうという余裕のなさ。
            所詮、自分たちの作り上げた社会を維持するのが精一杯の人たちです。
            全力を尽くしている最中に「ゴジラも被害者だ」と考えられるような
            マクロ的視点を持つのは無理…というより、製作者的にもその視点は
            「要らなかった」のではないかと思います。

            もしもその視点を持ち得る劇中の人物がいたとしたら、それは誰か?
            言うまでもなく、牧博士だったと思います。そして彼は故人です。
            この作品の世界において、その視点を持つ者は非業の存在にしか
            なれなかった、という捉え方もできるでしょう。

            しかし、この映画の世界観でも「線」は引き始められたわけです。
            矢口が「人類はゴジラと共存していくしかない」と語ったラストが
            それを端的に表しています。
            この先どんな顛末になっていくのかは想像するしかないでしょうが、
            その「線」の中において、必ず「ゴジラもある意味、被害者だった」
            と口にする人は現れると思います。それは矢口なのかも知れないし、
            尾頭なのかも知れない。あるいは彼らの子供や孫かも知れない。

            ファーストコンタクトは血も涙もない潰し合いに終始しましたが、
            ゴジラは「死を超越している存在」であると示唆されてもいます。
            マクロ的視点を持つには、歴史を線として認識できるだけの時間が
            必要な人類の事も、ひょっとしたら待ってくれるのかも知れない。

            完全にリセットされた世界観だからこそ、そんな可能性の未来を
            想像するのも自由です。
            とりあえず、ゴジラシリーズが歩んできたのと同じほどの時を経た
            矢口たちに、思いを馳せるのも悪くないんじゃないでしょうか。

            彼らも、後の人たちも、きっといろいろ考えていると思います。

          2. syumi より:

            またまた深い返信ありがとうございます。

            まさにおっしゃる通りです。今作は、至上初めて人類の前に姿を現した、これまでにない新しい設定で描かれたゴジラ。このベースがある以上「ゴジラが被害者」だとマクロ的に考えられる人間はそうそう居るものではなく、下手にゴジラを尊重したようなセリフなどを出してしまうとそれこそ本作の売りでもあるリアリティが欠けてしまい本末転倒だった思います。だからといって、至上初めて人類の前に姿を現したという設定も本作のこれまでに無い大きな魅力であり、これを潰してしまうのもまた勿体無いもの。
            私が本記事で述べた事はやはり理想論であり、今作においてゴジラが被害者だという事まで織り交ぜるのは難しかった様にも思えます。

            とはいえ、登場人物一個人にゴジラが被害者だと述べさせるのは難しかったかと思いますが、”映画としての表現”ではもう少しどうにかなったのではないかとも思いました。同じように至上初めて人類の前に姿を現した「初代ゴジラ」でも一個人が直接的にゴジラを尊重擁護するセリフは殆どありませんでしたが、初代ゴジラの場合、ラストのゴジラを葬るシーンの何とも言えない物悲しい描写・音楽・演技などで、ゴジラ側に何か同情してしまうような印象を与えていた様に思えます。一方で今回のシン・ゴジラでは、後半のヤシオリ作戦では人間側の希望や団結といったものがフューチャーされ過ぎた感があり、そして最後の最後はああいった良く分からない感じで終わりました。最初から最後まで淡々とドキュメンタリータッチで進んでいくのであればともかく、後半のヤシオリ作戦で若干の人間ドラマを指し込んでいますしので、そのノリであればゴジラ側にも演出として多少は重みを置いてあげても良かったのではないかなと思った次第です。

            少し話が脱線してしまい失礼しました。
            とはいえ今後同じ設定で新シリーズが続くのであれば、人間側にも考える時間が与えられます。もし次回作があればその時に、ゴジラとは何なのか、ゴジラも被害者ではないのかといったテーマも交えた新たなシン・ゴジラが観られるのかもしれません。それに期待しています。

  20. 匿名 より:

    初めまして。私はシン・ゴジラが初めて見るゴジラ作品なので「ゴジラ自身も被害者である」という描写が今までのシリーズにあったことを初めて知りました。

    なので、今回そのような描写がなかったのは意図的なものなのでは?と考えています。
    理由として登場人物たちが核の存在・使用について肯定的だからです。
    今作ではヤシオリ作戦が成功し、ゴジラが凍結、作中で核が使用されることはありませんでした。
    しかし、作戦が失敗また今後ゴジラが活動を再開すれば使用される、といった描写があります。
    登場人物たちは核の使用に対して(基本的には)否定的でしたが、核以外に状況を好転させる術がない場合は使用しても仕方がないのでは、というような雰囲気があったように思えます(最終手段として考えたことも含めて)。

    もし、核に否定的であるなら(放射性廃棄物によって生まれた)ゴジラが被害者であるという風に描かれることは自然ですが、核の有用性を認めているために今回はそのようには描かれなかったのでは、と感じました。
    人間の過ちによってゴジラは生み出された、という描写がないのも人間がその過ちを認められない、ということを表しているのかもしれませんね。

    現実世界でも同様に核の使用に否定的ながらも、その存在の有用性(戦争抑止)を認めています。シン・ゴジラでは人間が核を捨て去ることはできない(現在の世界では不可能である)ことを示しているのかもしれません。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      矢口たち登場人物は、放射線汚染される覚悟でゴジラを止め核発射を止めようとしましたので、個人的には無理なら最終手段は核でも仕方ないとは思えませんでした。ヤシオリ作戦が失敗したら全て終わるくらいの印象を受けました。矢口たち先陣に立っている以外の日本人も、日本に核が落ちても良いと考える方は余りいなかったのではないでしょうか

      今作は、核を肯定し保有、開発さらに今回の災害を実験としても使おうとするアメリカや諸外国、そして核を持たず否定的なのに核の産物であるゴジラに襲われる日本という皮肉にも思える構成で、核を全面的に否定しているように私は感じたました。今作でこれまでに無くアメリカの存在が強調されていたのも、核非保有国から見た核批判のメタファーのように感じました。

      1. 匿名 より:

        返信ありがとうございます。
        改めて自分のコメントを見返すと穴だらけ考えで申し訳ないです。
        核非保有国からみた核批判、になるほどと思いました。
        核攻撃を受け、核に否定的な日本だったからこそのお話であり、登場人物たちは核使用について真っ向から戦っていましたね。

        お返事をいただけて、とてもうれしいです。
        シン・ゴジラをもっと理解したい、という気持ちになりました。もう一度映画を見てきたいと思います。

        1. syumi より:

          返信ありがとうございます。

          ゴジラ映画というのはもともと核批判を掲げて作られた怪獣映画で、その背景があったからこそヒットした部分もあります。
          今作『シン・ゴジラ』はこれまでのゴジラシリーズに比べ異色な作品ではありますが、この部分だけは今作でもまた今後のゴジラ映画でも変わる事は無い気がします。
          もし核を肯定するようなゴジラ映画とすれば、社会の価値観が大きく変わってしまった時と私は思います。持論をごちゃごちゃ述べてしまい失礼します。
          ぜひこの機会に過去のゴジラシリーズも見てみてはいかがでしょうか。中には幼稚な作品もありますが、考えさられる作品も以外と多いです!

      2. 匿名 より:

        ちょっと気になったので、横から失礼します。

        >現実世界でも同様に核の使用に否定的ながらも、その存在の有用性(戦争抑止)を認めています
        >そして核を持たず否定的なのに核の産物であるゴジラに襲われる日本

        ちょっと論旨が「核=兵器」という方向に偏重してはいませんか?
        お忘れかもしれませんが、今回のゴジラの誕生に核「兵器」は直接には関与していません。
        あくまでも「海洋投棄」された「放射性廃棄物」の影響で発生した突然変異、なのです。
        この点は初代から(エメゴジやギャレゴジも含め)連綿と続く系譜から大きく逸脱した、
        非常にイレギュラーかつ「今風の」設定と言える代物です。
        ”でも兵器を作る際に出た放射性物質じゃないか”と言われそうですが、それは決定的な
        要素にはなり得ません。極論ですが、福島の原発事故で発生した放射性廃棄物からでさえ
        今回のゴジラは誕生し得る存在なのですから。
        誕生の経緯で考えれば、核兵器ではなく「原子力」の被害者が今回のゴジラでしょう。
        だとすれば、咎を受けるのは原子力の恩恵を受けている全ての人間だと思います。
        おそらくは意図的にそういう含みを持たせたであろう今回のリブートに対し、あくまでも
        兵器としての核にこだわるのは旧態依然としており、かつ非常に都合のいい解釈です。

        安保の名の下に東京に核を落とすという判断はもちろん言語道断ですが、それと今回の
        ゴジラの存在理由に因縁を持たせるというのはちょっと違う…と思う次第です。

        1. syumi より:

          コメントありがとうございます。

          おしゃる通り、今回のゴジラ誕生の発端は放射性廃棄物の投機です。正確には核の申し子というよりは原子力の申し子ですね。失礼しました。
          ただ、後半のゴジラへの米国の核攻撃、カヨコの話や途中で差し込まれる広島原爆ドームのカットなどから考えると、やはり今回のゴジラも核兵器への否定もテーマとして掲げていると思います。

          今作は、
          ・核兵器や核開発への否定
          ・原子力を利用し続ける人間全体への問いかけ
          の2つのテーマがあるように思えます。

  21. nomel より:

    はじめまして。
    わたしは初めてゴジラシリーズを観ましたが後半はゴジラがかわいそうになりました。

    なぜそう感じたかというと
    序盤で出てきた
    「ゴジラはただ移動しているだけです。
    意思の疎通ができるとは思えない」
    といった会話から、後半の殲滅作戦の描写に人間の身勝手さと
    ゴジラの無邪気さと哀れを感じました。

    ゴジラはただ移動しているだけ。
    そして、そのゴジラを劇中では「かわいそう」と扱うことなく最終的に人間の都合だけで抹殺する。これは意図的な演出に思えます。

    旧代のゴジラをみたことがないのでそこはなんとも言えませんが、明確にせりふで説明することは無かったもののゴジラの存在を哀れに思わせる構図は、何か言葉にできない形ですべてのシーンに隠されていたように思います。

    無様に倒れ開いた口に薬液を投入される姿とか、かなり分かりやすくかわいそうです。。

    ゴジラの悲哀と人間のエゴの描写は、ないがしろにはされていなかったように思います。

    ラストカットのゴジラに混じり合う人間の苦しんでいる姿は、人類サイドを肯定しているわけではない(単純に人間勝った!やったー!ではない)という念押しの描写だと感じました。

    記事を読んで率直にコメントしてみました。
    ゴジラ初心者なので
    間違った解釈があればゴメンナサイ。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      そうなんですよね。ゴジラは今回は本当にただ歩いているだけでした。
      過去のゴジラなんで人間への敵意丸出しで意図的に街を破壊していたのに、それでも人間サイドはゴジラに尊重すらしていたのです。
      そう考えると、おっしゃる通り今作のゴジラでは意図的に無抵抗なゴジラを身勝手な袋叩きにして、観客へ問いかけていたのかもしれませんね。
      ラストもまったくハッピーな感じはありませんたし・・・。

      nomelさんのように、初めてゴジラを観た方からゴジラがかわいそうに見えたというコメントは、本サイトでも多数頂いております。
      私の書いた記事内容はもしかしたら間違っていたのかもしれません。コメントを読ませて頂いていると、過去作より今作の方がゴジラ側の悲惨さが届いているように思えました。特に初めてゴジラを観たという方に。

  22. てび より:

    はじめまして。とても楽しく興味深くエントリを読ませて頂きました。

    僕はゴジラも被害者という描写はそれ程いらない派です。劇中では、という限定付きですけど。コメントでsyumiさんも言及されてますけど、ゴジラご被害者云々の議論が出るのであれば事後だと考えてます。

    途中のコメントでもヒグマの話が出てましたけど、僕は北海道出身なので記事を読んでいる最中から頭の中でチラついてました。今でもヒグマ駆除の話題が出るとクレームがついたりしますけど、現地の人間からするとそんな事言ってる場合かよって感じですね。クレームをつける人達って北海道に住んでる人では無いと思います(笑)

    翻って劇中の人達は突然ゴジラが出現して移動しているだけで街をガンガン破壊して、首相は爆死するし日本が悪い事したわけでもないのにアメリカが核を撃ち込む準備をしている状況なわけで、ドキュメンタリーという体で作っているのであればゴジラも被害者云々を意識的に削ぎ落として流れをシンプルにしたと感じてます。

    ただ、ゴジラも被害者という要素は厳然と存在していて劇中では匂わせはするも語る余裕は無いので、あの世界で語られるとすれば破壊から復興したくらいとかそのあたりではないかと。僕らオーディエンスは劇中の当事者ではないし、世界観を異にするゴジラを知っていて色々な要素について議論を楽しむ事ができますよね。

    僕としては今回ゴジラが大ヒットしてくれたおかげで日本の怪獣映画に元気が出てくれるとうれしいです。ガメラも復活しないかな〜。駄文失礼しました。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      そうなんですよね。近作のゴジラはドキュメンタリー的でリアルタッチの作品であり、しかも今回初めて人類の前に姿を現したという設定。
      そう考えると、やっぱり私がこの記事で述べた事を同居させるのは、やはり無理があったかなとも今改めて思っています。
      ただ、リアルを売りにしながらBGMで遊んだり様々なところにオマージュネタを仕込んでいる本作、また矢口とカヨコの大統領だ総理大臣だといった遊びのようなシーンも入っている本作なので、リアルに反していても多少ゴジラを擁護するような描写が加わってもよかったのかなとも思っています。

      とはいえ、やっぱり今作の段階では登場人物達がゴジラという生物を冷静に考えられる段階ではなかったかと思います。
      続編があるのであれば、そこでこの部分はしっかりと描いて貰いたいです。
      ガメラは2015トレーラーが随分手を込んでいましたので、近々あちらも復活するのかもしれませんね。私も怪獣映画がまた盛り上がる事に期待しております。

      1. 匿名 より:

        横から失礼します

        >リアルに反していても多少ゴジラを擁護するような描写
        この点に関しては、官邸前に集まった群衆が「ゴジラを護れ!」
        というシュプレヒコールをやってたシーンで端的に描かれて
        いたんではないかと思いますね。
        サラウンドの左右で「護れ」と「殺せ」を同時に流していた
        そうですけど。

        >ガメラは2015トレーラーが随分手を込んでいましたので
        映像的には凄かったけど、見事に時が止まってる気がします。
        まだギャオス大量発生というラストにしがみ付いてるのかと。

        1. syumi より:

          コメントありがとうございます。

          官邸前の群衆については、たしかに「ゴジラ守れ、殺せ」といっていますが、
          あれはどちらかというと右翼、左翼を現した表現に私は思えました。

          ガメラ2015トレーラーは、私も同じ思いです。映像は凄くなったけれどあちらは今回のシンゴジラのように大きく世界観を変えてくる感じはしませんでした。
          とはいえ、怪獣映画が盛り上がってくれるのはやっぱりうれしいです。

          1. 匿名 より:

            ちょっと待ってください。

            >あれはどちらかというと右翼、左翼を現した表現に私は思えました。
            いくら何でも雑過ぎませんか、その解釈は。

            ご指摘の通り、右翼左翼をディフォルメ的に表現したという側面は
            あると思います。ですが、言うなればこの世界でこの時点でその点
            (ゴジラ擁護)を声高に叫ぶのは、そういったシュプレヒコールの
            延長上の空論に過ぎないという暗喩もあるのではないでしょうか。
            ご自身の言葉で言えば「リアルに反する」を、これまたご自身の
            例を借りれば「矢口とカヨコの大統領だ総理大臣だといった遊びの
            ようなシーン」的オマージュとして劇中で表現するなら、それこそ
            「右翼左翼が喚いてる戯言」程度の表現で充分だったと思います。
            この世界でこの時点で、ゴジラ擁護を真顔で語る事自体がどれほど
            愚かしい暴挙かを、ああいうグロテスクなパロディとして描く。
            下手に陳腐なヒューマニズムを持ち込むより、よっぽど響きます。

            少なくとも本作の劇中における「ゴジラ擁護論」の扱いとしては、
            非常にシニカルかつリアリティがあったと考える次第です。

          2. syumi より:

            コメントありがとうございます。

            なるほど、私はそこまで考えられませんでした。ゴジラ擁護を真顔で語る事が本作では愚かという暗喩があのサラウンドシーンに含まれていたのかもしれません。
            もしそうであるならばとても残念です。先にも書いたとおりリアルに反していても多少ゴジラを擁護するような描写をゴジラシリーズに求めています。なので、ゴジラ擁護があんな短いシーンでかつパロディやお遊び的に扱われてしまうのはとても残念です。
            くさい人間ドラマや恋愛ドラマはゴジラには不要だと思っています。しかし”ゴジラの扱い”については多少リアルに反していても、多少くさいヒューマニズムであっても、取り込んでいいのものではないかと。あくまで個人的な願望ですがそう思います。

  23. nunu より:

    はじめまして。
    考察と批判感想を読み、とても面白く、色々と思うところがあったのでコメントさせていただきます。長文すみません。
    私は20代の人間です。平成シリーズのゴジラしか知らず、内容はあまり覚えていないので、今回のゴジラが初めて見たゴジラと言えます。

    今回のゴジラには恐怖を感じました。なんとなく覚えているゴジラのイメージはヒーロー的な印象が強かったので新鮮でした。
    日常が破壊されていくシーンを最初にバンバン映すことで、ゴジラに感情移入がし難くなっている様にも思います。今の人間にとっては被害者であるゴジラよりも先に、大震災の記憶がよみがえってくるからです。
    生物であるというよりも、立ち向かうものとして受け止める人が多くなって、かわいそうだという意見があまりないのではないでしょうか。なにより、教授の「私は好きにした、君らも好きにしろ」という言葉に全てがあるとも思います。
    (監督の、いろいろ勝手に思って考えてねという意味もありそうだとは思います。)

    そして、あの世界の人間はこれからずっとゴジラを畏怖しながら共存していかなければならなくなっています。それこそがゴジラを創り出してしまった人間の宿命なのではないでしょうか。

    今回、ゴジラ世代だけれどきちんと見たことは無いと言っていた母が見たいと言ったので、もともと気になっていた私も一緒にゴジラを見に行きました。終わってから劇場を出る途中に面白かったと言いつつ、ゴジラが可哀想だった。とも言っていました。
    感じ方は人それぞれですが、私はゴジラの歩く姿だけでも悲しさを感じました。ビームを吐くシーンや、夜の中に光りながら佇んでいるだけのシーンでもどこか漂う「悲しみ」で充分だったと個人的に思っています。「被害者」といってしまえば加害者と被害者に分かれてしまいます。ポスターの「日本対ゴジラ」ならばあれでなくてはならなかったのでは。

    余談ですが、まだ聴いていなかったらシン・ゴジラのサウンドトラックを聴いてみてください。英語の歌詞などでまたいろいろと考えられます。
    ここまで長々とすみません。考察や感想など、とても面白かったです。
    他のゴジラシリーズも見てみようと思います。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      あなた様のように新しいゴジラファンが出てきてくれることは、いちゴジラファンとして嬉しい限りです。
      今回のゴジラに感情移入し難いのは、おっしゃるように大震災の絡みもあるかもしれません。方々で感想を読みましたが、やはり先の大震災を連想している方が多く、ゴジラがどうだこうだという前にとにかく恐ろしい存在、立ち向かう存在として捉えている方が多い印象です。作り手側もおそらく大震災を連想させる意図もあったかと思いますので、これは致し方ない事だとも思います。

      とはいえコメントを読んでいると、あなた様やあなた様のお母さんのように自然とゴジラ側の立場にたって考えれくれる方が多いのにびっくりしました。行き着くところ、この辺の話は観る人次第といった事なのかもしれませんね。

      サウンドトラックについては私も聴きました。例の歌なのですがゴジラの事を指しているとも牧教授の事を指しているとも両方考えられ、今回の「ゴジラかわいそう」の話には結び付けられるか今もよくわかりません。もし例の歌詞がゴジラの事を指しているのであれば歌でゴジラへの哀悼をたたえたのかもしれません。

      ぜひお時間あったら他のシリーズも見てください!シンゴジラを観た後だからこそ昔観たゴジラもきっと当時とは違った視点でより楽しめるかと思います。

  24. 匿名 より:

    何度かコメントさせて頂いている、「5回観た」者です。
    (現時点ではすでに6回になってますが)
    これだけ骨太な議論が交わされている記事はそうそうないと
    思う一方、いま一度立脚点を見直す事も大事ではないかと
    思い、あえて述べさせて頂きます。

    ここまでで多くの方が「ゴジラが可哀想だった」という
    感想を持った、と述べられています。ゴジラ自体に対する
    思い入れや含蓄の深さの度合いを問わず、そう感じた人は
    数多くいた、という証に他ならないでしょう。
    具体的な台詞を用いず「観客」たちにその思いを抱かせた、
    それは「映画」としての紛れもない勝利だと思います。
    もちろんそれを感じなかった人も少なくないでしょうが、
    特定の感情的定義を「正解」として台詞で押し付けてくる
    映画など、それこそ「つまらない」ものでしょう。

    ここまでのコメントに対する意見を振り返ってみると、
    どうにも「それが必要だった」の堂々巡りを繰り返して
    いるように見受けられます。要するに、劇中人物に
    「ゴジラが可哀想だ」と言わせる事こそが重要だった、
    の一点張りです。
    ですが、全体を通して観た観客がそういう感想を持った、
    という点において、あえて登場人物がそれを言う必要は
    なかったと思います。
    記事のタイトルの表現を借りるなら、今回の映画では
    それを入れる事でリアリティが損なわれ、文字通り
    「つまらない」要素になったのではないか、と。

    リアリティに反してもそれが欲しかった、というのは
    個人的願望としては至極真っ当です。しかしこの映画の
    感想を語る上で、「反論の根拠」として多用していい
    ものではないでしょう。
    繰り返しになりますが、劇中の登場人物に「ゴジラも
    被害者」という考えを持つ余裕がなかった、というのは
    もう異論を挟むべき事ではないと思います。
    シン・ゴジラのリアリティの根幹でもあるわけですから。

    もちろん、それが欲しかったというご意見そのものを
    否定する気はありません。それこそ人それぞれです。
    ですが、その意見を何度も何度も反論的な意味合いで
    出すのはやはり不毛な堂々巡りです。

    もうそろそろ、「それがシン・ゴジラだ」という
    達観をされてもいいのではないでしょうか。
    先の当方の意見に対するご返信(右翼左翼のくだり)
    を読むと、元の記事で
    「これ以外は文句なしの最高の映画でした。」と
    言っていたはずの人が、いつの間にか肯定的意見を
    糧にして「嫌いな要素」を自らどんどん増やして
    いるように思えてしまいますので。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      再度となりますが本作のゴジラが初上陸したという段階では、リアルを重視する上では今回の様な描き方が正しかったとも思います。それに皆さんの意見を観ると実際にこの描き方でもゴジラかわいそうは伝わっていてので結果的にも良かったとも思います。
      半面、ゴジラを擁護するような表現がもう少しあってもそれはそれで間違いではなく正解だったとも思います。私はそういった雰囲気のゴジラがやっぱり好きですので、個人的にはリアルを多少逸脱してもゴジラ周りのドラマがもう少しあっても良かったかなと。そんな感じで両方向に納得しているのが、今の私の立ち位置というか見解です。

      >>もうそろそろ、「それがシン・ゴジラだ」という達観をされてもいいのではないでしょうか。
      これについて、結論は出せないと思います。人ぞれぞれでシンゴジラに求めるモノは違いますし解釈も異なります。ゴジラを擁護するシーンが欲しかった人もいれば、リアルなゴジラこそ素晴らしいという人もいます。私のようにどちらにも納得という人もいるでしょう。なので、それがシンゴジラと一個人の一方向の見解で結論付ける事はできないかと思います。

      そういった意味で、このコメント欄は皆さんがシンゴジラに対して感じた部分を議論する場でいいのではないかと思っています。

  25. TY より:

    はじめまして
    私はシンゴジラのゴジラは初代ゴジラ同様破壊の化身として見ました、それ以上でもそれ以下でもありません
    人間の負の遺産とも言えなくもないですが…プロレスで言うベイビーフェイスでもヒールでもありません

    コメント欄の返信等を見ての所見ですと映画版永遠の0とか実写版三丁目の夕日みたいな感動大作(笑)ゴジラをやって欲しかったのですか?
    またはvsシリーズみたいなバトル中心のゴジラをやって欲しかったのですか?
    それでしたら庵野はそんなことはしませんし、そもそもゴジラシリーズ自体見ることを勧められません
    ゴジラも被害者とかゴジラを擁護って要素を増したらガンダムSEEDみたいなクソなゴジラになるだけです

    まぁ、というか私は好きにした、君たちも好きにしろって答えがある時点で私の言っていることなんて不毛ですがね

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      コメント返信が多くなってしまっためどこの部分からそう感じたかはわかりませんが、感動や怪獣バトルの話をした記憶はなく、またそういった要素は今回のシンゴジラに対して個人的には求めていません。

      1. TY より:

        ん〜やっぱりコメント見て行くと平成のvsシリーズみたいな作品を求めていたという印象があります
        皮肉とかじゃなく平成のvsシリーズは面白いですよ、人間がゴジラやジュニアと触れ合ったりしますし、人間がゴジラを守ろうとします
        ゴジラらしいキャラクターって第1作目では人間の化学兵器で死んで(しかもゴジラ出るん遅すぎとか言われてるし)、ゴジラの逆襲やvsシリーズ第1作目(84年やったかな…?)で生き埋めになってるのに『外している』って言われたら尚更vsシリーズになるしかないですよ
        ゴジラでやらなくて良いって納得いってないじゃないですか…

        1. syumi より:

          コメントありがとうございます。

          VSシリーズは確かに人間とゴジラの触れ合いのようなものも描かれていますが、それ以上にゴジラが思う存分に暴れ、人間側も頑張るけれど結局勝てない「ああ無理だ」でゴジラが完全に主役に佇んでいるところが好きです。
          またVSシリーズに限らず、初代ゴジラでもやはり劇の中心にはゴジラがいましたし、昭和ゴジラシリーズでも主役はゴジラや怪獣達であったかと思います。

          それら旧ゴジラ作品と比べると、『シン・ゴジラ』は人間目線に比重が偏りすぎており、人間が主役になり過ぎていたのではないかと。新しい試みとして面白みはありますが、同時にそれが少々極端過ぎかたかなとも感じます。

  26. 匿名 より:

    日本の映画やアニメ、漫画などは、いつも長く回を重ねてはマンネリに陥り、食いつぶす感じで終わってしまう。

    仮面ライダーやウルトラマン、戦隊物やヤマトにガンダム、ルパンや最近のポケモンやワンピースなども、同じパターンか、敵も実はいいやつのパターンになっちやって次第に飽きられていく。

    ゴジラシリーズは20回以上に及びますが、人類や日本の敵として描かれていたのは第一作のみです。

    東宝がマンネリで人気が下降していったゴジラをなんとかしたいと庵野監督に頼んだ時点で今までのゴジラとは全く違ったものを期待したのは明白でしょう。

    それが成功したのがシン・ゴジラ。これまでの違いを際立たせるためにも多くの人が本作は今のままでよいと思っているでしょう。

    どのみち次の日本製ゴジラは、庵野さんがまたやるかわかりませんが、必ず正義の味方か、被害者としての日本的な描がかれ方になると思います。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      ゴジラは昭和のヒーローゴジラの時代を除いて、どのシリーズでも敵であり悪者の扱いであったかと思います。例えばGMkゴジラなど擁護する事もできないほど凶悪ッぷりです。
      でもそれでもこれまでの人類はどこか「ゴジラなら仕方ない」というつもりで向き合っていましたし、ゴジラも好き勝手暴れていました。
      一方今回のシンゴジラでは完全にゴジラは獣や物扱いでしたし、ゴジラは中盤は暴れたものの(それでも自己防衛としてですが)、終盤は延々と爆撃されビルの下敷きされ、お薬を飲まされていただけです。
      それがダメとまでは言いませんが、今回は少々、極端過ぎたかなと感じます。

      ゴジラを尊重した表現が無かったとしても、最後はせめてゴジラに好き勝手暴れさせて欲しかったかなと。

  27. たちゅまる より:

    あぁ〜言われてみれば。
    たしかにゴジラかわいそう的なお馴染みパターン表現はなかったですね。
    古くからのゴジラファンの中には、その点について物足りなく感じる方もいらっしゃるかもしれませんね〜syumiさん同様に。

    シンゴジラを見て、かわいそう意識が生まれるか否かに関しては、人それぞれの主観であり答えはなく、堂々巡りなので置いといて。

    かわいそう表現を主人公たちが作中で実際に代弁すべきであったかどうか、演出面から書きたいと思います。

    私は、(ゴジラシリーズどうこうは度外視して)シンゴジラという作品単体で考えた時、かわいそう発言は主人公たちに必要なかったと思います。
    むしろ、なくて良かったと思っています。

    原因は、この映画のメインテーマを描く上で、そのお馴染み表現は不純物になってしまうからです。
    テーマというのは、「滅私によって国を背負って全力を尽くすことの美しさ/無力/儚さ」です。

    もちろん、ゴジラシリーズのテーマというと、原爆であり、近年であれば原子力です。
    が、シンゴジラ単体のテーマはというと、
    官僚・自衛隊による滅私奉公の顛末、しがらみと苦悩、そこから生まれる国民としての一体感だと思います。

    とあるブログで、シンゴジラにはドラマがないと指摘されてる方がおられるんですよね。
    その方の言う通りで、たしかにシンゴジラには心中描写がほとんどないんですね…。
    ただ私は、これも本作品のメインテーマが「滅私」だからだと思うんです。

    滅私を信条に死地へ赴く自衛隊員が、感情・私情溢れるドラマを繰り広げてたらどう思いますか?
    作品としてその描写パターンが悪いとは思いませんが、少なくとも本作のテーマは確実にブレてしまいます。

    だからこそ本作品は、本来人間味を携えているはずのキャラクター達が、何故かほとんど感情を漏らさないようになっています。
    漏れだしてしまったシーンも、両手で収まっちゃう数ですよね。
    故総理の人間味、矢口の苛立ち&まずは君が落ち着け、うわうわ!&ごめんなさい、矢口の「凄い…」、石原さとみとの掛け合い。

    本記事でsyumiさんが一貫して主張されている「かわいそう表現を主人公たちに代弁して欲しかった」というのも同じかなと。
    ゴジラシリーズ1愛好家として期待するのは、楽しみ方として順当だと思うのですが、
    シンゴジラの作品内に必要であったかとなると、「テーマがブレてしまうので必要なかった」と私は考えます。

    滅私奉公により、帰宅もせずシャツもぷんぷん匂わせて全力を尽くす主人公たちが、私情・個人の感情でゴジラを語ってしまうと、
    一気に「滅私」から「私心」へとテーマが傾いてしまいます。

    だから、個人として「ゴジラかわいそう意識」を抱くのは自由なのですが、国として動いている主人公たちがそれを劇中で代弁してしまうと、
    じゃあ、被害に遭って亡くなった人達にもそれを公言してるよねって話になるので、庵野さんはそれを避けたかったのだと思われます。

    そう考えると、主人公の矢口も随分成長したことが分かると思います。
    最初、親のコネでもなんでも利用してのし上がろうとしていた、会議でも(もちろん国民の危険を察知してというのもありますが)生物説を孤独に訴えたのも野心から来るものでしょう。
    それ見たか、やっぱり生物だとなった時、えっ矢口の手柄は?って観客は思いましたよね?
    矢口の生物説提案は当初、不純なものであったと庵野さんは演出していると考えられます。(本当に国民のことを思って危険を察知していたなら、生物説で迅速に進められるように、会議外で根回ししたはずですから。)

    それが気がついたら、最終戦闘前には、自衛隊へのあの「国民に尽くしてくれ」演説です。そして自身が先頭を切って戦地へ赴きます。

    主人公の成長は、ほんの一例ですが、
    テーマが「滅私」であるのは確かです。

    原子力、政治システム、震災、さまざまな風刺が織り交ぜられるので、よく混同されやすいと思いますが、シンゴジラのメインテーマは最初から最後まで、
    「滅私せよ、日本の危機を救ってくれ!若者達よ…後生だから、頼む!」
    そして、「世界よ!見よ!これが日本だ!我々はまだまだやれる!」
    だと思います。
    (ラスト戦闘前の、矢口による激励シーンには、このテーマが直接私の中に染み込んできて、ウルっと来ました。)

    その上で、ゴジラに対する「私心」は、脚本上、省かざるを得なかったのかなって。
    詳しい庵野さん自身、おそらくその「かわいそうパターン表現」は意識されてたでしょうし、劇中に反映されなかったのは残念でしたね……。
    ただ私は、庵野さん自身1ファンとして盛り込みたかっただろう「かわいそう表現」を削ってまで、シンゴジラを洗練した点は賞賛すべきだと考えます。

    長文失礼しました。

    1. syumi より:

      こちらにも濃厚なコメントいただきありがとうございます。

      私滅させ「世界よ!見よ!これが日本だ!我々はまだまだやれる!」、私もこれが今回のシンゴジラのテーマの大枠だと同意します。
      ただ、シン・ゴジラはその部分に極端にこだわり過ぎてしまったのではないかと。
      私ももともとゴジラに下手な感動やメロドラマは求めていませんでしたので、今回のような私情を排除し社会的なリアルなタッチで作られたゴジラはとても面白かったです。むしろ「これぞ求めてたゴジラだ」とまで初めは思いました。
      でも、よくよく考えると少々それが極端すぎだのではないかと。私情を排除したリアルなゴジラは良い物ですが、それ以前にゴジラ映画でないとダメだったのではないかと。
      ブルーレイが発売されたらもう一度ゴジラ側の目線でみてみてください。今回のシンゴジラは、陸上に現れ無抵抗なまま攻撃され続け、終盤のヤシオリ作戦フェーズなど砲撃、爆撃、ビル下敷き、お薬飲ませのコンボを延々とやっているだけです。人間とゴジラで、人間側に比重が当り過ぎていた気がします。
      ちょっと後付けになってしまいますが、「ゴジラが可哀想」とダイレクトな表現は難しいとしても、例えば最後にゴジラに暴走して華をあたえるなどはできなかったかなと。
      こういったリアルで社会派なゴジラは大歓迎なのですが、加えてこれはゴジラ映画なのでゴジラを立ててあげる事も大事なのではないかと思います。この週刊文春の花田さんも言っていますが、大災害や社会派ドラマ、官邸ドラマ、日本頑張る的なドラマを優先して描きたいのであれば、それはゴジラでなくても良かったはずです。それに私滅な描写や社会派なテーマを扱った映画作品というのはもちろんシン・ゴジラだけではく、他にも沢山あります。そしてゴジラ映画としてではなくいち社会派ドラマとしてみたら、今回のドラマパートやテーマだけではまだまだ弱く、とても面白かったとは思えません。
      シン・ゴジラはリアルだ、テーマが深いだと多々言われていますが、あくまで”ゴジラ映画”という括りで守られている中での評価だと思います。そしてシンゴジラは、ゴジラ+庵野監督+私滅で社会派なドラマ、この3つの要素があってこそ今回のゴジラ人気が成り立っているはずです。庵野監督側もそれは分かって作っていると思いますし、言い方は悪いですが元々のゴジラ像やゴジラブランドを利用してこの映画をつくったかと思いますので、根底のゴジラの部分はもう少しフューチャーしてあげてよかったのではないかと思います。

      ちょっと上手く纏まらず失礼しました。

      1. たちゅまる より:

        濃厚というか…面倒な長文ですみません……(笑)コンパクトにまとめるの下手でして。お付き合い下さりありがとうございます!

        大変よく伝わりましたよ。おっしゃる通り庵野さんの個性が強すぎて、
        (ゴジラシリーズから半脱却し)「シンゴジラ独自の主張が強すぎた感」はありますよね〜。
        特に、作品の根幹をなす「滅私」の精神なんて、内容のいかんによらず「滅」と見えただけで拒否反応を起こす人も多いし。
        作品内容放置で、「滅私奉公」の概念そのものの否定により、イコール「シンゴジラの評価」とすり替える人まで出る始末。収拾つきません。

        新しいゴジラが観れた喜びと共に、人によっては例えば「庵野さん、ゴジラを私物化し過ぎ」と感じる人も多数います。(私も若干……←オイ)

        作品内でのテーマ統一も大切ですが、たしかにシリーズからの逸脱が激しすぎたかもしれませんよね……。
        もちろんスタート時の東映ロゴとかゴジラテーマソングの使い方とか、
        終始、庵野さんの「初代ゴジラへの敬意」というか、もはや“敬愛”はヒシヒシと感じました。
        が、「ゴジラシリーズへの尊重」となると、若干、お粗末な面もありました。
        シリーズファンなら、そこまで兼ね備えた、さらなる高みを求めてしまうのも納得です。

        花田さんという方の論評は存じ上げておりませんでした。
        「ゴジラでこれをやる必要はない」
        おっしゃる通り!正論すぎて何も言えない(笑)

        そのご意見ももっともで、あってしかるべき感想ですが、
        私は、もっと広い視野で『シン・ゴジラ』は迎えてあげたいです。

        たとえると、庵野さん→10歳頃の少年。
        少年は、牛肉(ゴジラ)で家庭科実習(ゴジラシリーズ再起動依頼)をやることになりました。
        少年は素材の味を残したまま、色んな味を楽しみたいと思い立ち、
        肉の右端にはパイナップル(原子力)を、その隣にはピーマン(自衛隊/滅私)を、
        真ん中には生肉(初代ゴジラ)を、左端にはアボガド(原爆)を、その隣には岩塩(官僚)を突き立て、こんがり焼き上げます。
        先生(観客)に、「見て見て〜ボクの大好きな牛肉、こんなに美味しくなったよ!名付けてジャパニーズ“新”ステーキMAX!」と言います。

        もちろん、「食べ物で遊ぶんじゃありません!」(「ゴジラを私物化するな」)とドヤすのが、正しい大人のあり方です。
        大好きな牛肉が、一生徒のやんちゃでカオスな料理に化けてしまったら、
        そりゃあ、「牛肉が可哀想だ。自分で大根でも栽培して、野菜スティックに味付けしとけボケ!」(「ゴジラでやるな、よそ行ってやれ」)って思っちゃうのも分かります。

        ですが、私は、もちろんやんちゃした少年を充分叱った上で、
        「おおっ!このパイナップル絶妙だね〜よく肉と合ってるよ!でも先生、アボガドはダメだと思うな〜」と、
        少年の気持ちに寄り添える大人でありたいと思っています。

        随分と上から目線になっちゃいましたが(笑)完成したこんがりステーキ(シンゴジラ)に罪はないです。

        美味しいと感じるか/胸糞だと断じて生ごみにするか。
        形で怒らず、味わってから少年と調理を分かち合えるか/食べ物を粗末にするなと頭ごなしに叱るか。

        少年とカオスステーキへの態度は人それぞれですが、
        私は少年と一緒に、生まれてきたカオスステーキに、素直に向き合いたいかなって。

        結局は、牛肉の調理法について、あれこれ人それぞれの持論があるわけで。
        誰しも牛肉(ゴジラ)を愛しすぎてるってことなんだと思います。愛・憎、入り交じって1つの感情ですし。

        ブルーレイ出たら、是非ゴジラ目線も見てみたいです!ゴジラ目線、被害者目線、主人公目線、世界目線、首脳目線、そして観客目線。
        シンゴジラの骨の隅までしゃぶり尽くしたい(笑)

        1. syumi より:

          返信ありがとうございます。

          今回、このような批判感想を書いてしまいましたが、あくまでちょっと惜しかった部分があったというレベルで決してシンゴジラがつまらなかった、ダメだったといおう訳ではありません。
          料理の例を借りるのであれば、「この食材でこういうものが出来るんだすごい、でも素材の味ももう少し生かした方がよかったんじゃないかな」といった感じです。「食べ物で遊ぶな」とはもちろん思いません。私はゴジラシリーズは大好きなので、再び料理を作ってくれるだけで、正直それがどんなものでも嬉しい感じです(笑)

          その上でもう少しゴジラを尊重する描写やゴジラシリーズらしさというの出してくれれば、よりありがたかったかなという感じでした。今は毎年の様にゴジラが作られている時代でもなく、久しぶりの満を持しての復活でもあったので、やっぱり色々と欲が出てしまいます。

          私もシンゴジラはまだまだ見たりない部分もあるので、ブルーレイがでたらもう一度いろんな視点で観てみたいと思います。牧教授の話などもそうですが、家で一時停止しながら冷静に整理しながらみていけばまた新たな発見があるかもしれませんね。

  28. 通りすがりのゴジラ好き より:

    私の抱いた感想にとても近かったのでコメントをさせていただきました。

    私が抱いたシン・ゴジラの感想は「これはゴジラではない」でした。

    今までのゴジラはどういった形であれ1954の所謂初代ゴジラの続編として描かれているので、善玉だろうが悪玉だろうが「(初代)ゴジラ=核の被害者」が下敷きにあるんですよね。
    住処を追われて「ゴジラ」にされてしまったゴジラ。人知れず平和な島に暮らしていたにも関わらず核実験や歴史改変で「ゴジラ」にされたゴジラ。戦争犠牲者の怨念が取り憑いたゴジラ
    ゴジラの出自は人間の罪に振り回されてきました。

    しかしシン・ゴジラは1954年の一作を下敷きにしているわけでもなければ、「匂わせている」出自にしても勝手に核を摂取して突然変異を起こしたとされているので「明確に」人間が作り出した存在とは断定されていません。
    読み取れない表情、そして破壊意志を持たずに彷徨うように街を進んでいくシン・ゴジラ。怒りも悲しみも何も感じない無機質な存在にゴジラが「ゴジラ」である所以『ゴジラに擦り付けた人間の罪』、これが「シン・ゴジラ」という映画からは感じられなかったんですね。

    シン・ゴジラ。
    ゴジラシリーズを見たことのない世代や蒲田くん人気でゴジラを知らずに見に行った女の子にもウケてますよね。しかし私としては少々複雑な気持ちです。

    彼らが好きなのは「シン・ゴジラ」であって旧来のファンが知っている「ゴジラ」ではないこと。
    ゴジラが可哀想と言っても、一方的に攻撃されて物理的に可哀想というのと、ゴジラの出自を踏まえて可哀想と思うこと。

    どうにもシン・ゴジラ人気が上辺だけに感じてしまうのです。
    それらのファンが10年以上前の古臭い着ぐるみの怪獣プロレスを見るのか、シン・ゴジラで可哀想なら同族を目の前で倒され、自らも核によって溶解したデスゴジならどうなんだ?って思いますからね。

    シン・ゴジラ人気で旧ゴジラシリーズを見返して実際に起こった漁船被爆事故などゴジラの本質を理解してくれるファンが増えてくれると良いのですが…

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。
      私もほぼ同じような考えで同意な点ばかりです。

      今回の映画が、例えば「自衛隊総進撃」とか「ゴジラ外伝:日本政府の逆襲」といった感じで(センスなく失礼します)、自衛隊や日本政府が主役の映画でありゴジラはあくまでゲストキャラクターな位置づけの作品であったら、今回のような描き方も新しくてよかったんじゃないかと思います。

      でも、今回のシン・ゴジラの主役はゴジラであり、ゴジラシリーズの正式なナンバリンク作品でした。
      そうである以上はゴジラ本来のキャラクター性を汲み込みつつ、もう少し主役として描くべきだったのではないかと。にも拘らずシンゴジラは政府や自衛隊、そしてリアルな描写に比重が当たり過ぎてしまっていたように感じます。そこが唯一残念でした。

      私も今回のヒットで過去のシリーズを見返しゴジラを理解してくれるファンが増えること、そして次回作ではゴジラらしいキャラクターが描かれることを期待しています。

  29. 匿名 より:

    10式とか格好悪い
    韓国軍が東京で演習中にゴジラが来てK-2が穴だらけにする方が世界受けすんだろ

    1. 特撮大好き名無しさん より:

      “シン・ヨンガリ”でもやれば?

  30. 匿名 より:

    レンタル開始されたのでようやく見ました。
    その後さっそく感想や評価などをネットで検索していて、こちらが目に入ったので自分の考えなどを書かせいていただければと(笑)

    まず前提として、庵野監督に「被害者としてのゴジラ」という観点がなかったかといえば、私はあったと思います。
    今回の作品テーマは明白に「災害=人格のないゴジラ」が出現したとき、どう日本は対処するのかをリアルに描くことだったので、そこは観客側に任せたのではないでしょうか。
    しかし、日本で1,2を争う彼ほどの特撮マニアが、「被害者としてのゴジラ」というテーマを無視できるはずはありません。核兵器、放射汚染、自衛隊、海外の思惑など他のゴジラの重要な要素をもれなく抑えているのにです。
    なので庵野監督は意図的に、その部分を描かなかったと思います。ほぼ一切そういった描写がなかったことが、証拠といえるのではないのでしょうか。

    それは切り捨てたのではなく、「日本とゴジラ、そして海外(米国)」と分けるのではなく、「(災害であるゴジラを含めた)日本と、海外(米国)」というふうに分けたのではないでしょうか。それは311や福島原発のように、これからの日本が切り離せないものとなっているからです。最後に主人公がゴジラを倒したにも関わらず、「これからはゴジラと共存していかなくてはならない」と言ったのがそれを示唆しているのではないかと。
    ほかで象徴的なのは、米軍の地中貫通弾(MOP)を使用してゴジラが叫ぶシーンではないでしょうか。あのシーンが私は一番痛々しく見えましたが、使ったのが自衛隊ではなく米軍というのが、ポイントだと思います。ゴジラに対する身内びいきと、作中で度々米国に対する恨み言が出て来るのも、その分け方の構図からだと思います。ゴジラに対しては「不測の事態」と災害のような扱いにもかかわらずです。

    初代ゴジラの考察の中で、一つ私がとても深く納得したものに、「ゴジラは放射能の被害者」という象徴だけでなく、「第二次大戦で戦士したものたちの亡霊である」というものがあります。敗戦後、新たな日本を築いていかなければならなかった人たちに、戦死した戦友たちが「なぜお前たちは戦いを止めるのか」と語り続けるのがゴジラだという話です。

    言うまでもなく庵野監督は60年生まれで、そういった感覚を持てるはずもありません。彼の作品では過去の特撮やアニメのシーン、設定、描写のパロディは多くても、根幹の精神性を模倣したことはないように思います。それはたぶんオタクとして先駆者への純粋な憧れと敬意もあると思います。そういう部分で彼は「戦争体験がないこと」にウソを付けない人なのではないでしょうか。最も多く観た映画として「激動の昭和史/沖縄決戦」を挙げているくらいなので、精神性の模倣は可能なはずなのにです。
    彼が語れる危機とは、311であり、(関西出身者として)阪神大震災だと思います。そこを正直に描くことが彼なりの誠意なのかと思います。彼はオタクでありながら、宮﨑駿や富野由悠季と同じく殻に閉じこもって実世界を見ないオタクに批判的で、自身の体験を作品にぶつけるタイプの作家でもあることから、そういう表現になったのかな、と思います。
    つまり311を体験した我々として、彼には感傷的にゴジラを客観視するにはあまりに生々しすぎたのではないでしょうか。動物の死を連想するため、ほぼ魚と肉が食べられないという彼の性格からもそういった部分は伺えるかなと思います。

    あともう一つ思いついたのは、庵野監督は間違いなく「強いゴジラ」が好きなはずです(笑) 特撮マニアなので街をぶっ壊して暴れるゴジラがカッコイイと思わないはずがありません。でもきっと、彼が本気で考えたゴジラは強すぎて人類が負けるということになるんだと思います。そんなジレンマで彼がゴジラを最大限強く見せようとしたのは、ライバルである自衛隊の攻撃を詳しく描いたことです。これまでのような秘密兵器すら出さずに、リアリティのなかでゴジラを描いたのも彼の誠意かなとは思います。つまり軍事マニアからすれば、あれだけリアルな実戦兵器に対するゴジラの強さが本物に見えるということです(笑)

    ぐだぐだで穴だらけですが、私の感想はこんな感じです(笑)
    しかし、ゴジラがかわいそうと言っただけで叩かれるというのも、変な話ですね。私はウルトラマンの怪獣が好きで、いつもウルトラマン倒せ!と思っていた人間なので、とても奇妙です(笑) もしかしたら、多くの人が潜在的に311や福島原発の恐怖を作品から連想していて、ヒステリックにさせるのかもしれません。そういう意味では、庵野監督の込めたメッセージは届いているのかもしれません。こういう形なのが皮肉なことですが。

    1. syumi より:

      コメント頂きありがとうございます。とても深い内容で興味深く読ませて頂きました。

      私はあなた様ほど庵野監督に精通しておらず、考えが浅はかだったかと思いました。お書き下さった内容を読ませて頂いた上で考えると、庵野監督はゴジラのキャラクターや在り方を十分承知の上で、また自分のポリシーに則った上で、敢えてこの様な形のゴジラにしたのかと思えました。なぜ、不自然なほど海外を敵視したような描き方がされていたのかについても、なんだかモヤモヤが晴れた気がします。

      庵野監督はゴジラ本来の在り方は十分承知の上で、未だ海外に依存し海外に支配され続ける日本、震災を抱え共存する事になった日本など、今現在の時代を生きる者としての実体験の目線で、敢えてこのような立ち位置のゴジラを描いたのかもしれません。
      庵野監督の嘘はつけないというポリシーは素晴らしいと思います。もし初代ゴジラと全く同じような描き方をしてしまったら、今度は逆に「何も知らない若造が」と叩かれていたかもしれませんしね。

      ちょっと心残りなのは、庵野監督が描く強いゴジラも見てみたかったかなと(シン・ゴジラでも十分強かったでしたが)
      庵野監督はもうゴジラは作らないと言っている様ですが、10年後でも20年後でもいいので、庵野監督がやりたい事をやり尽くしたゴジラも見てみたい気がします。

  31. 匿名 より:

    シン・ゴジラで、初めてゴジラ作品を観た者です。シン・ゴジラを観た後の余韻と興奮のまま、あちこちネット検索をするうちにこちらの記事にたどり着きました。
    まずはわかりやすく、読みやすい解説記事を書いてくださっていることに感謝を。
    そして、敢えてこのような批判?感想を書いてくださっていることを、ありがたく思います。
    私も、作品を観た後の感想が「ゴジラ怖ぇ!」でした。それと同時に「でも歴代ゴジラって、なんでそんなに愛されているのだろう?」と不思議にも思いました。それは、こちらの記事を読むうちに納得しました。
    ゴジラへの共感について……なぜ今回は描写されなかったのかについては、既にコメントで議論され尽くしていると思います。人によってはゴジラへの痛みも共感できる作品だし、一方で私のようなにぶい者は、作品への理解がある方の解説のお陰でより深く楽しむことができました。
    このような作品愛に溢れた、良質な記事に今後も期待しております。どうぞがんばってください。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      ゴジラについては本当に昔から大好きで、今回のような本格的なゴジラを待ちに待っていた事もあり、こういった想いを述べてしまいました。
      ゴジラは初代公開か優に60年を迎え、数多くの様々な世代のファンを持つ日本にとって特別なコンテンツになりつつあります。
      私のようにこれまでのゴジラの在り方を望む人もいれば(私はその中でもVSシリーズにやや影響されていますが。。)、一方では新たなゴジラなのだからこれまでと一緒ではダメと思う方がいるのも事実かと思います。どう作り上げてもどこかしら批判や受け取り方の違いは起こる、それだけ期待され観客皆のの想いが詰まった描く事の難しいコンテンツになっていると感じます。
      その上で考えると、今回のゴジラは今の時代にあった新しい取り組みも成されており、ゴジラが被害者の部分は控えているものの初代にもつながる怖さやリアルの部分も描ききった完成度の高かった作品であったとも思えます。

      コメント欄でも色々と頂きましたが、庵野監督はゴジラの事は十分以上に承知の上で、”新作”として今回敢えてこういったゴジラの描き方をした様にもう伺えます。
      いつの日か庵野監督が描く初代の完全リメイクのゴジラも見てみたい気がします。それは恐ろしくハードルが上がるかと思いますが、今それを創り上げられる方は庵野監督ぐらいしかいないのではないでしょうか。

  32. 現国の成績3 より:

    一年越しにやっとレンタルして見れたので。

    ゴジラシリーズは飛び飛びにですが見ていました。そして期待を込めてシン・ゴジラを見てみたら、syumiさんと思うところは私も同じでした。もう既に上にあって二番煎じかもですが、今回のゴジラは少し(かなり?)可哀想に思いました。

    私が思ったのは、目が今までのゴジラと違い、◎みたいな目で、しかも背筋を伸ばして直立しているので、なんだか被爆してケロイドが身体中にある人間に見えるんですよ。そういったところで庵野秀明監督は少しでもゴジラを人間に近いモノにしようとしたのかと考えてしまうのです。そうすることで親近感?とでも言いましょうか、似たものを覚えさせることで従来からテーマにあった「ゴジラも被害者」という考え方を醸し出したのかなぁと。醸し出して、それをどう捉えるかを「好きにしろ」と。このように考えてしまうのです。

    こういった記事に書き込むのは初めてで、かつ国語の成績が3だったものでして伝わりづらい所もあったと思いますがとにかく言いたいのはシン・ゴジラはゴジラシリーズの中でも(良い意味で)異端作だなぁということで^^;

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。
      いえ、とても分かりやすく読み易かったです!

      私はどうしても過去作と比べてしまいますが、そういった目線こそが濁っていたのかもしれません。
      現国の成績3さんのような観方をすれば、今作はゴジラの被害者っぷりをある意味徹底的に描いた作品だったようにも思えてきました。今考えると。

      ここまで痛々しく攻められるゴジラは他に無いですし。
      言葉ではダイレクトに表現せず、どう感じるかは好きなようにしてくれだったのかもしれません。

      1年越しに思いますが、私もこのゴジラはかなり異端でした。本当に。。

  33. かめたろ より:

    はじめまして。
    記事を読みましたが、物凄く共感する所が多かったです。
    長文な上にコメント投稿は慣れていないので、失礼な点があればお許し下さい。

    自分はゴジラとはヨチヨチ歩きからの付き合いでとても大好きです。この手の作品では怪獣側に感情移入して観てる大馬鹿者です。
    ですが今回のシン・ゴジラは残念ながら自分にとって面白くない作品で、かなり複雑な心境です。印象変わるかなと思って4回観に行きましたが、印象はドンドン悪くなる感じでした。

    個人的にゴジラは破壊神だったり父ちゃんだったりヒーローだったり、加害者だったり被害者だったり・・・
    あれだけ強くて怖い大怪獣なのに、色々な側面を持っているのが魅力の1つだと信じています。
    シン・ゴジラでは久々の日本新作、久々の単体出現という事もあって初代のように加害者、被害者としての側面を掘り下げるのかなと思いましたが、個人的に終始ゴジラとの攻防に集中してしまった感じでそういう側面を疎かにしてると感じました。CGが良いショボイとか、誰かさんの英語がどうとか言ってる場合じゃないと思います。
    また登場人物の発言や描写等どこか人間側が思い上がっているように見え、観ててイライラする所が多くありました。ここら辺も疎かにしてると感じる要因の1つかなと考えています。
    失礼を承知で言うと「日本人が元気になるのに、ゴジラをダシに使うな!!!」と強く思います。

    庵野監督についてはエヴァは当時物珍しさからテレビシリーズや劇場版(ビデオ)を観たけど、自分には全く合わず良く思ってなかったのですが、前に美術館でやってた「巨神兵東京に現る」がなかなか良かったのでもしかしたら・・・と期待してしまったのですが、今はそう思った自分をボコボコにしたい気分です。

    その他放射火炎の描写や音楽の使い方等納得いかない所が多くこれだけでもショックなのに、世間やネット、雑誌などどこもかしこも大絶賛、いくつか感想を見てみると中には前シリーズを馬鹿にするような発言も見られ、悲しいような悔しいような、泣きたいような怒りたいような、激しくグチャグチャな気持ちになり長い間気分が落ち込みました。前シリーズとは切り離された新作だとは頭では分かってるのですが、なかなか割り切る事が出来ず・・・
    ホントに恥ずかしい話ですが何かしらシン・ゴジラの情報が出ると拒否反応が出て、出演した俳優さんは嫌いになり、映画そのものを観る自信も無くしてしまいました。

    ですがここに書かれてる記事を読んで、自分と似た意見を持ってる人がいる事にとても救われる思いがしました。記事の内容も自分の気持ちを代弁してるかのようで、声を上げなかった自分が恥ずかしくなる思いです。

    記事を書いてくれて、本当にありがとうございます。

    正直コメントしようか迷いましたが、好きな事に嘘つきたくないし、このまま1人で悶々と考えていても前に進めないと思い投稿を決意しました。
    (とはいえ、来月また気分が落ち込みそうな気もしますが・・・)

    まとまらない気持ち悪い文ですみません。不快であればコメントを削除しても大丈夫です。
    長文失礼しました。

    1. syumi より:

      コメント頂きありがとうございます。

      読ませて頂いて、なんだかとてもゴジラの事を愛しているんだなと感じました。やはりこれまでのゴジラが好きなほど今作はちょっと違和感のようなものを感じるのかもしれません。

      ゴジラが主役の映画、ゴジラがテーマの映画、2択があるとしたら今作は後者なのではないかと感じます。それはそれでいいのですが、久しぶりの復活なので私もやはりゴジラの方が主役の映画が観たかったなという思いも残ります。

      ネット上の検索エンジンは、ゴジラが好きというより映画が好きで映画を重点的に特集しているサイトや映画評論家の意見が評価され、上位に表示される傾向があります。そういったいわゆる映画好きの方々にとっては、長らく続いたこれまでの子供向けのゴジラよりも、重圧的なテーマと社会性を交えた本作の方が好まれるのでなかいかと。たとえば平成ゴジラを絶賛するより今作を絶賛した方が”見栄え”もいいですしね。

      ですがこれはゴジラシリーズの作品ですので、ゴジラ好きによるゴジラとしての評価がちゃんとされて欲しいですよね。
      もちろん私はシンゴジラを楽しめましたし感銘もしましたが、それでも少し疑問や違和感のようなものは残りました。

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