ゴジラ

徹底考察:『シンゴジラ』のラスト、最後の尻尾の骨から人間が出てくるシーンの解釈は?

※映画本編のネタバレ含みます。

絶賛人気公開中の映画『シン・ゴジラ』。

このシンゴジラのエンドロール前の最後のラストシーン。

ゴジラの尻尾が透けていき骨になり、中では人型の小さい生き物の様なものがうじゃうじゃしているシーンがありましたよね。この部分、??の方が多かったと思います。

ネット上では風の谷のナウシカの「巨神兵」ではないか?、はたまた例の牧教授なのではないかなど様々な憶測が挙げられています。

さて、この尻尾の骨から人間が出てくる謎のラストシーンが、一体何を意味するかを個人的に考察していきます。

他にもネット上で多数考察が挙がっています。別途以下の記事でもまとめました。
【シン・ゴジラ疑問点まとめ】ゴジラの目的、続編考察、元ネタ小ネタなど

 

1.シンゴジラのラスト、尻尾の人間は巨神兵!?

『シン・ゴジラ』公開直後から、この尻尾から人間が出てくるラストシーンの解釈として「ゴジラがいずれ巨神兵になるのではないか」、「巨神兵を作り出す元凶になるのではないか」という疑惑が、ネット上で多数挙がっています。


巨神兵とは?
巨神兵(キョシンヘイ)とは、漫画&アニメ『風の谷のナウシカ』及び短編特撮映画『巨神兵東京に現わる』に登場する巨大な人型生物兵器。
旧世界の人類が世界再建を目的に生み出した人造兵器であり、目から核兵器に匹敵する威力の「プロトンビーム」を放ち文明を破壊する事ができる。”調停と裁定の神”の異名をもつ。

『風の谷のナウシカ』では、腐敗した旧世界を7日間で崩壊させた。『巨神兵東京に現わる』では、現代の東京に現れ、東京を破壊。その後7日間で世界を崩壊させた。

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「シン・ゴジラ」が巨神兵と疑われる理由

さて、シンゴジラが巨神兵と噂される理由としては、次のようなことがゴジラと巨神兵をリンクさせているからです。

①監督が同じ。
監督が同じ。巨神兵を題材にしたスピンオフ特撮映画『巨神兵東京に現わる』と今回の『シン・ゴジラ』の監督が、同じ庵野秀明。更に言えば『風の谷のナウシカ』における巨神兵のなぎ払いシーンを庵野秀明が担当している。

②熱線表現などが同じ
『巨神兵東京に現わる』での巨神兵が吐くビーム(プロトンビーム)と『シン・ゴジラ』でゴジラが吐く放射能熱線の表現が酷似。
どちらも細く、長く、対象を溶かして爆発させる。またビームのエネルギー源がどちらも放射能。

③どちらも放射能をばら撒く
巨神兵は自分の周囲に放射性物質をばら撒く。シンゴジラも放射性物質をばら撒いて移動する。

④人の手に似ている
シンゴジラの手は、これまでのゴジラの手に比べ細く小さく発達していない(まるで、巨神兵や人間を思わせる様に)

⑤表面の形状
巨神兵には皮膚がなく全身が筋肉組織で覆われている。シンゴジラも皮膚はあるもののこれまでのゴジラにぐらべ薄く筋肉質になっている。

⑥テーマ
巨神兵は人間が作り出した滅亡の神。ゴジラは人間が作り出した過ちの象徴。核の申し子。(初代ゴジラの設定)どちらも人間が造り出したものである。

⑦神のような存在
シンゴジラは、死すらを超越した人知を超えた神のような生命体であり、状況に合わせて自らの形を変える事ができる。(見方を変えれば巨神兵になる事も出来る)

⑧そしてラストの表現
シンゴジラの最後で、尻尾の骨から出てきた生命体が、見た目的に巨神兵に似ている。

など

以上のような理由から、「ラストで尻尾の骨から出てきた人間型ゴジラが巨神兵になるのではないか」、「巨神兵を量産するのではないか」、はたまた、「あの国やあの教授がゴジラを造り、いずれ巨神兵化させようとしたのではないか」といった疑惑もあります。

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2.ただ、尻尾の人間が巨神兵はありえない!

とはいえラストの尻尾の人間型ゴジラが巨神兵になるのは、やはりありえないかと。

何故かって、そもそも製作会社が違います。

シンゴジラ「東宝」、巨神兵や風の谷のナウシカは「スタジオジブリ(トップクラフト)」。この2つの会社がせっかくのドル箱作品、老舗作品を正史上で混ぜさせるとは思えませんし、ファンや視聴者側もそんな事だれも望んでいないでしょう。

「シンゴジラVS巨神兵」のように、シンゴジラと巨神兵は全くの別固体で扱い、本編と全く関係ないスピンオフ作品として描くのであればあり得るかもしれませんが。

それに『シン・ゴジラ』→『巨神兵東京に現わる』をリンクさせようとしても、「巨神兵東京に現わる」の方が時代設定が少し前になるため(劇中のスマホの機種が古いなどでわかる)、辻褄があわなくなってしまいます。銀座時計台などの建造物も、両作品に登場し両作品で壊されているので辻褄が合わなくなりますしね。

やはりラストの尻尾の人間型ゴジラが、巨神兵になるのは色々と無理があるかと。

※追記
あくまで裏設定としてですが『シン・ゴジラ』で、『風の谷のナウシカ』の様な世界破壊→再生を描こうとしていた可能性はあります。

これについては↓の記事末尾「追記:牧教授のもう一つの解釈 ~世界の幸せのため、世界を壊す~」でまとめています。
「シンゴジラ」の牧教授の正体と目的は?折鶴・春と修羅・ラストの尻尾の謎を考察

 

3.では、シンゴジラのラストシーンの解釈は?

トsssssっさあ

それでは、シンゴジラのラストシーンはどう解釈すればいいのか。

個人的には、劇中でも示唆されていたシンゴジラ第5形態への進化だと思います。素直に考えると。

根拠としては、以下の通りです。

①溶炉が暴走
血液凝固剤により血液が固められてしまったため、ゴジラは、体内にある炉心を冷やす事が出来なくなった。(ゴジラは血液を循環させる事で炉心の温度を逃がし冷やしているため。)

②メルトダウン防止のため凍結
そのままでは炉心が高温になりメルトダウン(炉心溶融)が起きるため、ゴジラは原子力発電所のように自ら炉心を緊急停止。ただしその代償としてゴジラは凍結した。※

※炉心停止~凍結までの細かな仕組みは↓記事の「シンゴジラが凍結した理由は?「ヤシオリ作戦」のしくみ」で細かくまとめています。↓

【シン・ゴジラ疑問点まとめ】ゴジラの目的、謎や続編考察、元ネタ小ネタなど


③凍結解除のため第5形態に
凍結状態で何もできないゴジラは、そもそもの身体の仕組みを大きく変えて生き延びようとした。結果、出した答えが、身体内部で無数の小型のゴジラに分裂する方法。(劇中でも示唆されていた、群体となり各国に飛来する第5形態に変化)
そして、尻尾の骨から飛びでていたのはその小型ゴジラの一部。

個人的にはこんな解釈をしています。

ただし疑問も残る

しかし単に小型化したゴジラではなく、あきらかに”人間”の血が入ったようなデザインに見えました。あの人間がなんなのかは、未だに答えがさっぱりですが、牧教授の側面やエヴァゲリオンの側面などから、当サイトではあの人間について色々考察しているので、暇があったら観てやってください↓

特設ページ:シンゴジラまとめ

 

 

 

4.「シンゴジラを作ったのは人間」、原発事故の暗喩?

もしくは、ラストシーンは

・「シンゴジラを作り上げたのは、もとを辿れば放射能物質を投機した人間だよ」
・「こういった惨事が起きたのは、中身を除けば人間のせいだよ」

といった暗喩、メタファーを、映像で表現したものなのかもしれません。

また今回のシンゴジラは、ゴジラ登場当初の政府の図算な対応、ゴジラの形態の変化(災害レベルの変化)、最終対策がクレーン放水車による地道な冷却作業など、東日本大震災での原発事故をおもわせる節があります。

もしかしたら最後のラストシーンにも「原発事故を起こしたのも人間のせいだよ」という意味も込められているのかもしれませんね。

7

出典:http://wwwb.jp/img/kenki_hanbai/7.jpg

5.もう一つ恐ろしい考察、「呉爾羅(ゴジラ)」にかくされた秘密

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最後に一つ恐ろしい考察を。シンゴジラは、”人間を養分にしているのではないか”ということ。

シンゴジラ劇中でもさらっと使われていた「呉爾羅」の言葉。この呉爾羅(ゴジラ)は、『1954年版初代ゴジラ』でゴジラの語源となった言葉です。

『1954年版初代ゴジラ』の劇中にて、架空の島「大戸島」というのが登場します。呉爾羅(ゴジラ)はこの大戸島に伝わる伝説上の怪獣であり、海に住む神ともあがめられており、大戸島では婚礼前の若い女性を生贄として呉爾羅に捧げる文化があったようです。

そして、『1954年版初代ゴジラ』の劇中で初めてゴジラが登場したのがこの大戸島であり、それを垣間見た山根教授が、その怪獣を呉爾羅からもじり”ゴジラ”と命名しました。

・今回の『シン・ゴジラ』でもこの呉爾羅の文字がさらっと劇中で使われています。
・シンゴジラは人間の8倍もの遺伝子情報を持っていると劇中で述べられています。
・シンゴジラが移動時に使っているエネルギー、進化する際のエネルギーは不明です。(水と空気があればエネルギーを作れ生きていけると劇中では述べられていましたが、あの巨体を動かす莫大なエネルギーはそれ以外にもあるではないかと。陸上に侵攻後は水を得られない訳でしたし)

これらから推測できるのは、シンゴジラは人間を取り込み人間を養分、エネルギーとしているのではないかということ。

劇中でははっきりとは描かれていないものの、街を壊している際に人間も取り込んでおり、それをエネルギー源にしているのではないでしょうか。
人間を取り込むために、人口密度の高い、首都東京に向かっていたのではないでしょうか。

さらにいえば、取り込まれた人間達の遺伝子がシンゴジラになんらかの影響を与え、シンゴジラがラストシーンで人間に近い生物に変化しようとしたのではないでしょうか。

その進化の一環で、人間が猿から進化する過程で尻尾が無くなっていったのと同じように、ゴジラも尻尾が無くなりはじめた。(シンゴジラが人のように2足歩行、手が小さくなったのもその影響?)そして尻尾の表面が徐々に骨となり、吸収された人間の亡骸が顔を出したと考えられませんでしょうか。

シンゴジラが初めて登場したシーンで東京湾の水が赤かったのも、シンゴジラの体中が赤いのも、もしかしたら取り込まれた人間の血液かもしれません。

かなり怖くてグロい話となりますが、庵野秀明監督ならこういった話もありえるかも!?

 

7.追記:シンゴジラ=牧教授説

ネット上でも多数挙がっているシンゴジラ=「牧教授」説。本サイトのコメントでも考察意見を頂きました。

このシンゴジラ=牧教授説、よくよく考えてみると、たしかにこの説もかなり有力な気がします。

・牧教授はゴジラの研究をしていた、そして放射能に汚染された家族を見捨てた政府にうらみを持っている。
・冒頭で東京湾に乗り捨てられた牧教授のクルーザー、まさにそこからシンゴジラが登場。
・物語中盤で牧教授の家族や経歴の話→その直後、意味深なシンゴジラの尻尾のアップシーン。
・牧教授の”好きなようにした”フレーズの不自然なごり押し。

以上のような散りばめられたピースを素直に見れば、牧教授が自らゴジラになり、家族を見捨てた政府・日本に攻撃を仕掛けた、そして最後の尻尾の骨から出てきたのは牧教授の成れの果てとも考えられます。

しかし私はこれをミスリードであると思っています。
仮に牧教授が家族の恨みを晴らすためゴジラになってしまうと、この映画『シン・ゴジラ』という話の根本が、牧教授一個人の思惑によるものになってしまうからです。

せっかく家族愛や恋愛といった一個人のドラマを徹底排除し、ゴジラVS人間の群像劇を徹底して描いた『シン・ゴジラ』なのにも関わらず、そんな大事な部分の設定に牧教授個人の思惑を絡めるでしょうか。

さらに牧教授個人の思惑にすると、神秘的な生物であるはずのゴジラのイメージが一気にチープになります。庵野監督もゴジラがどういう存在かは十分分かっているかと思いますので、その様なゴジラの価値を下げる様な事はしないのではないかと思います。

更に言えば、牧教授は政府に対して恨みを持っている様でしたが、同時に「放射能を消し去りたい」といった願望もあったと劇中語られていました。このため、流石に自分がゴジラになり破壊行為をする事は望んでいなかっでしょう。例え人間を試す意味であっても。

とはいえ牧教授は不自然なほどフューチャーされていましたし、全く関与してないとは思えません。そこで私が考えるのは、牧教授がゴジラになったのではなく、ゴジラはもともと存在しており牧教授がなんらかの理由により取り込まれた説です。

例えば、諸外国の核廃棄物投機によりゴジラという生物が既に生まれており、牧教授はそのまま放っておけば人類の脅威になる事を知っていた。そこで牧教授はゴジラがいた東京湾に自ら出向きゴジラに取り込まれ、なんらかの作用を与えた。(これにより血液凝固剤でゴジラが倒せる道が確立した。)そしてヒントをばらまき人間の可能性に掛けた。 こう考えられませんでしょうか。

もしくは、牧教授は諸外国の核廃棄物投機によりゴジラという生物が既に生まれており、ゴジラが東京湾に現れる事を知っていた、そのため事前に東京湾のゴジラ出現ポイントに向かいなんらかの対処を行っていたら(後々、国際間の問題になりそうだが”好きなようにしていたら”)、ゴジラが出現時の衝撃に巻き込まれ、結果的に死亡したと考えられませんでしょうか。

いずれにしても、牧教授がゴジラのおおもとの発端となった、牧教授一個人の思惑でゴジラが誕生したとは考え難いです。もともとゴジラは存在しており、牧教授は途中で何かしらゴジラと関わり取り込まれた、もしくは死亡したと考えます。

更に追記:
この件に関して、”sill”様からコメント頂きました。とてもしっくりする考察であったためここにも転記させて頂きます。

投稿名:sill

始めまして様々な考察を読ませていただきました
私も教授がゴジラに取り込まれた説の派生で自ら取り込まれたのではと思います。

まず教授は世界や核に絶望していましたおそらく奥様が亡くなったことが引き金でしょう
そこで教授はゴジラの血液の凝固剤とは逆の溶血剤を作ったのではないでしょうか?
最初のボートの周りの血は溶血剤により流れたゴジラ自身の血であったのではと思います
地上に出た時にも首のエラのあたりからも噴き出していました

恐らくゴジラは自身の体温を冷やすために普段は海で生活しているが
教授が溶血剤とともにゴジラに取り込まれたためにゴジラが溶血剤により活性化し地上に出たのではと思いました

教授が自分は好きにしたの部分がこれなのでは?と考えました
では好きにしたまえの部分はゴジラに核を使うかもしくは凝固剤を使うかの選択だとしたら
もしゴジラに核を使えば恐らくその核のエネルギーでゴジラは分裂と増殖をくりかえすことになるのでは?
凝固剤を使えばゴジラは暴れなくなるがそこにあり続けることになり
核に対する抑止力になるのでは?
そして最後のゴジラの尻尾についていた骨が私には二人に見えたので
それが教授と奥様なのではと思いました
異常が私の考えです このシン・ゴジラはとても素晴らしい作品でした。

長文失礼しました

この溶血剤なるものを牧教授は造り上げ、またそれを有効化させるために、教授はゴジラに取り込まれたのではないでしょうか。

 

更に追記

牧教授については、更に深堀しました↓こちらが牧教授についての総集編です。

「シンゴジラ」の牧教授の正体と目的は?折鶴・春と修羅・ラストの尻尾の謎を考察

 

 

 

その他の考察、小ネタなど

この他にも、ネット上で多数の憶測や考察、面白い情報が飛び交っています。

それらについては、別途以下の記事でまとめました。

【シン・ゴジラ疑問点まとめ】ゴジラの目的、続編考察、元ネタ小ネタなど

 

まとめ

いずれにせよあのラストシーンであれば、続編が作られるのは間違いないかと思いますので、真相は続編に期待ですね。今回のシンゴジラは大ヒットしている様ですので、意外と近いうちに続編が作られ真相が分かるのではないでしょうか。

また、今回本記事に対して、多くの方々から考察や意見を頂きました。誠にありがとうございます。子供の頃から大好きであったゴジラの新作映画で、ここまで色々と考察を楽しめるのは本当に嬉しく思っています。

□関連記事
特設ページ:シンゴジラまとめ

最高の怪獣映画&でしゃばり記者女、『キングコング 髑髏島の巨神』感想・評価・レビュー

 

 

コメント覧に猛者の方々が↓

下にコメント覧がありますが、かなり濃い考察コメントを多数頂いております。
正直私の書いた上の記事よりも、興味深いものが多々。
時間があれば、コメント覧もぜひご観覧していって下さい。

 

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コメント

  1. 通りすがりのエヴァ好き より:

    シン・ゴジラのラストシーン解釈ですが、自分も巨神兵の暗示だと思います。

    時代設定と制作会社の違いを否定理由で挙げられていますが、エヴァという作品自体が時間不可逆なループ構造の作品であるため、同一時間軸で考えるのは意味がないですし、エヴァの素体が巨神兵を摸しているのは有名な話です。

    東京に向かったのは、初代と同じく、ゴジラは皇軍の英霊の化身なので靖国に向かいたかったんでしょう。

    作品の出来が本当によかったので、自分も続編を期待したいところなんですが、監督が「シン・ゴジラ」を作ったのは、旧世界の繰り返しの時点でループ構造から抜け出せた「ゴジラ」パターンを描きたかったからだとすれば、興行収入がよくても続編の望みは薄いかもしれませんね。。。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます!

      コメントを読んで、続編はつくられない、あくまで庵野監督が自分のうちで秘めるつもりでつくった設定であれば、ゴジラ→巨神兵もあるのかなと思えてきました。
      今回の『シン・ゴジラ』が、2000年以降に作られたゴジラシリーズのように一話完結の続編は作られないゴジラ、庵野監督としての一度切りのゴジラであれば、そういった遊び心もあったのかもしれません。
      ただ、このシン・ゴジラが日本ゴジラシリーズの再出発作品となり、今後も本作を躊躇したゴジラの続編作品が作られているのであれば、ゴジラブランドや製作会社の絡み的にゴジラ→巨神兵はやはり無い気がします。もしそうであったら、とても残念です。

  2. 通りすがりのエヴァ好き より:

    コメントへの返信、ありがとうございます。

    今回の作品は、初代や1984年ゴジラのオマージュがふんだんに盛り込まれていた点から見るに、東宝としてもゴジラシリーズの再出発は多分に意識していると思いますよ。
    ただ、興行収入次第で、続編は作られると思いますが、庵野監督のゴジラ作品としての続編は期待できないかと。(ゴジラとは無関係の過去のゲスト監督である、金子、北村監督も一作品だけでしたし、何より、本業のエヴァ制作ですら大幅に遅れている庵野監督に1年ごとの新作を期待するのは野暮ってもんです。。。)
    ちなみに、庵野監督作品はナディアからエヴァ、トップまで全て共通の世界観で成り立っているため、彼が作る場合は、どうしても同一世界観に取り込まざるおえなかったんだと思います。

    尻尾の扱いも、他の解釈でうやむやにするか、別の世界観ということで続編に持ち込むことはないと思うので、あくまでも、今回限りの裏設定だと思いますよ。

    今回の作品形式での連作は飽きが来やすい為、どうしてもVSシリーズ同様に怪獣水増しでの続編となっていくんでしょうが、総監督交代制で特技監督の樋口監督を固定してやってくれれば、文句は何も言いません!

  3. 匿名 より:

    尻尾のは、小型ゴジラってのは同意見です。物語の中でも有翼化して世界に散らばる可能性があるって言ってたので、その過程で小さくなったのではないかと。

    ただ、ゴジラが人間を捕食するのは流石に違うかなと。初代ゴジラで、初登場の時山から顔を出すシーンがあるのですが、最初口に牛を咥えて現れる予定だったそうですが、ゴジラの神秘性が失われるって事でボツになったそうです。それに、今回のパンフにも載ってますが、デザインの際何かを食べて生きてるわけではないからという理由であの歯のデザインになってるそうです。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます!

      捕食は流石に違いますかね。一応可能性のひとつとして書いておきました。
      ゴジラには神秘的なイメージやどこか愛らしいイメージもあるので、イメージ的にも捕食はないかもしれないです。

  4. 匿名 より:

    私は単純に、完全生物ゴジラが人間達を自分より優れた存在として認めた、という事なのではないかと思いました。
    やはり生まれていたと思うと恐ろしいですが、終わった事、と捉えると
    人類が結束し力を合わせればゴジラをも超えられるという希望を象徴するシーンなのではないかと。
    だから複数なのではないかと思います。

    庵野だけに巨神兵にも良く似ていましたが、あの姿から突然人間そっくりにはなれませんでしょうからね

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      フムフム、そういった線も考えられそうですね。
      終盤の竹之内豊や長谷川博己のセリフにも、そんな人の結束や人の強さを表すようなものを感じましたしね。
      人が海から陸にあがり人になったように、ゴジラも最終的な進化としては、同じく人を目指す形になるのでしょうか。

  5. 百年 より:

    そもそも牧教授がゴジラになった。
    (牧教授が東京湾で自分にゴジラ細胞?遺伝子?を取り入れたから、海底の爆発が起きた。爆発的な細胞の増殖?)
    だから、ゴジラの第0形態が人間。
    分裂、増殖する際の最初の形態ら人型だということだと思います。

    牧教授がゴジラであることで、ゴジラ上陸の理由にもなるのかなと。

    あのラストカットで、ゴジラ誕生とゴジラの増殖方法(ミニラの否定?)、ゴジラ上陸の理由、牧教授のストーリーをまるごと説明したように感じました。

  6. 百年 より:

    尻尾について。

    そもそもゴジラは牧教授だと思います。

    東京湾で牧教授は自分の身体のなかに、核廃棄を食べる生き物の細胞もしくは遺伝子を取り込みました。
    そのことで、細胞が爆発的に増殖し、冒頭シークエンスの海底爆発がおきます。

    つまり、ゴジラの第0形態は人間です。

    ラストカットの尻尾に人型がいるのは、第0形態のゴジラがいるということです。

    ラストカットは、
    ・ゴジラが分裂・増殖すること
    ・ゴジラは牧教授であったこと(ゴジラは人間そのものであること)
    ・ゴジラの上陸の理由(牧教授は核と核を生み出した人間を憎んでいた。ただし、自分が新しい生物になった理由は、街を壊したいということではなく、核をなくしたいだと思う)
    ・ゴジラの誕生から終わりまでの説明(ミニラの否定?)
    ・ゴジラの尻尾が尻尾ではなく排卵器官(たまごじゃないけど)であることの提示(初ゴジのときから恐竜の学説が変わり、尻尾の存在理由がなくなった。身体バランスからいけばいらない器官になってしまう。尻尾をつけるなら、ゴジラをハリウッド版のように前傾させないといけない。だけど、排卵器官なのでOK(なのかな?)。
    長い排卵器官の場合大体においてどこかに突っ込んで排卵するので、ゴジラもきっと海底に尻尾を突っ込んで排卵するのかと…。)

    ということをワンカットで一気に説明しています。
    完全無欠のこれ以上ないラストなので、続編はありえないと思います。

    このあとにゴジラを撮りたいという監督が出てこないので、恐らくしばらくゴジラは製作されないことが予想されます。
    今後は、
    ・個性の強い映像監督に依頼(岩井俊二、北野武、押井守、山田洋次、大友克洋、三丁目の夕日の監督)(監督のチョイスは私がこの監督の撮ったゴジラを観たいというだけです)
    ・でも、ほとんど断られる
    ・ドラマでやることを検討
    ・アニメでやることを検討
    ・河崎実が超エンタメ方向でやる

    なんてことを、考えました。
    なんにしても語りたくなる映画ですね〜。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      排卵器官ですか。興味深いです。
      中盤ゴジラが放射能を連射し疲れて固まっていた時に、尻尾が重力に逆らって浮いたまま固まっていたシーン(尻尾がバランス取りでない事の暗示?)や、尻尾からも放射能熱線が出せるシーンも何か意味があったのでしょうか。

      牧教授については、「牧教授一人がゴジラになったのか」、「牧教授を含めた何人もの人間の思念がゴジラになったのか」で、今回のゴジラのイメージが大分変わってくるような気がします。もし牧教授が自分の意志だけで一人ゴジラになったのであれば、今回のゴジラは、いくら牧教授が反核意識があったとしても、牧教授の私情劇っぽくなってしまうので少々残念です。
      今回のドラマパートは、個人の私情を全く排除したストーリーであったので、もし今回のゴジラが人間→ゴジラ→人間であるのだとしても、牧教授一人ではなく複数の人間の思念が混ざったものでないかと私は考えます。(そう期待しています。)

      最後に挙げられている監督のゴジラ、私もぜひ観たいです。これまでのゴジラの魅力は残しつつ挑戦的なゴジラを期待したいです。まさに今回のシンゴジラのように。

  7. 匿名 より:

    ゴジラのエネルギーについてですが、劇中で霞を食って生きてるという表現ありましたし、設定上水と空気あれば生きられるそうなので人を吸収はしないでしょう。

    考えるとすれば、
    血液凝固剤で攻撃される

    凝固剤が体にまわる前に分裂して回避しよう(細胞分裂レベルの生殖可能という言及ありましたね)

    膨大なゲノムの中から自分を攻撃してくる人っぽいものを選択し分裂しかける

    それをしきる前に凝固剤回る

    グエーフリーズしたンゴ

    ではないでしょうか

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      たしかに、劇中にて水と空気があれば”生きられる”とは言っていますが、移動したり進化したりする際に使う莫大なエネルギー、放射能熱線に使う莫大なエネルギーがどこから来ているのかについては、明確に述べられていなかったかと思います。なので、可能性のひとつとはしてはあるかと。

  8. 匿名 より:

    急激に進化するって設定から考えると、ラストの尻尾は第5形態でしょうね。
    魚→両生類→爬虫類と進化してきてるので、人間とか鳥とか(神?とか)の何かでしょう。
    あれが何かってことより、あのシーンは『ゴジラは凍結しとるけど、まだ生きとるで〜。』
    ということを示したかったんだと思います。

    今回のゴジラはまさに『動く原発』だったので、
    未来永劫冷やし続けないと生き返っちゃうゴジラが首都のど真ん中にいて、
    そういう世界を共生していかなきゃならんのだよ。というテーマなんでしょう。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      そうかもしれませんね。ゴジラはまだ生きている、今後も共存していくという事をとにかく言いたかったのかもしれません。
      後は、みんなそれぞれで解釈してね的な。
      そういえば、最後に市川実日子さんが2~3年くらいで解凍ゴジラ消滅?みたいな事を言ってた記憶がありますが、あれはなにか意味があるのでしょうかね。

      1. 匿名 より:

        初めまして  横から失礼します

        最後に市川実日子さんが言っていたのは、半減期の話だったと思います。
        2~3年くらいでばら撒かれた放射性物質が消えるということではないでしょうか?

        1. syumi より:

          ご指摘ありがとうございます。

          そうでした、解凍時期の話ではなく、放射能物質の半減期の話でしたね(汗)、記憶がごっちゃになっていました!

  9. sill より:

    始めまして様々な考察を読ませていただきました
    私も博士がゴジラに取り込まれた説の派生で自ら取り込まれたのではと思います。

    まず博士は世界や核に絶望していましたおそらく奥様が亡くなったことが引き金でしょう
    そこで博士はゴジラの血液の凝固剤とは逆の溶血剤を作ったのではないでしょうか?
    最初のボートの周りの血は溶血剤により流れたゴジラ自身の血であったのではと思います
    地上に出た時にも首のエラのあたりからも噴き出していました

    恐らくゴジラは自身の体温を冷やすために普段は海で生活しているが
    博士が溶血剤とともにゴジラに取り込まれたためにゴジラが溶血剤により活性化し地上に出たのではと思いました

    博士が自分は好きにしたの部分がこれなのでは?と考えました
    では好きにしたまえの部分はゴジラに核を使うかもしくは凝固剤を使うかの選択だとしたら
    もしゴジラに核を使えば恐らくその核のエネルギーでゴジラは分裂と増殖をくりかえすことになるのでは?
    凝固剤を使えばゴジラは暴れなくなるがそこにあり続けることになり
    核に対する抑止力になるのでは?
    そして最後のゴジラの尻尾についていた骨が私には二人に見えたので
    それが博士と奥様なのではと思いました
    異常が私の考えです このシン・ゴジラはとても素晴らしい作品でした。

    長文失礼しました

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      細かくありがとうございます。溶血剤とは私では思いもつきませんでした。とてもしっくりする考察でした。
      溶血剤の様なものを使ったのでれば、たしかに今回ゴジラが常々出血している理由にも繋げられそうですね。
      「好きにした」、「好きにしたまえ」のフレーズの解釈もとてもしっくりました。
      なにか色々なもやもやが晴れた気がします。

      ただ、最後の骨なのですが、まさかの2度見でよく観てみましたが、2人ではなく最低でも4人~5人はいました。また、顔や口、手や足の形状はまさしく人間でしたが背びれはゴジラのそれがしっかりと付いておりました。
      なので最後の骨の解釈は、博士とはまた切り離して考える必要があるのかもしれません。

      1. 匿名2 より:

        始めまして
        私もsillさんの考察に近い考えです

        溶血剤等の下りは別として、「教授は自らゴジラに取り込まれた」この部分は同意です
        遺伝情報と一緒に教授の恨みの感情も取り込んでおり、それが東京を目指した行動理由と推測します。
        そして、ゴジラは他の人間や生物も取り込んでおり、それが最後の尻尾シーンに繋がるのではないかと。

        「人の8倍の遺伝情報」という台詞から、他の生物を取り込んで遺伝情報を得て進化するのではないでしょうか

        教授の「好きにやる、好きにやれ」はある意味「人間を試す」をテーマにしているのかなと
        殺すために核を使う、残したヒントから共存の手段を考える、殺すか生かすか…

        まぁ、その辺は敢えてボカして皆に想像させる演出で正解はないのかもしれませんね

  10. 匿名 より:

    庵野監督自身、巨神兵には大きな思い入れを持っておられる方なので、
    尻尾から生えていた人型の頭部や手は激しく巨神兵っぽいデザインでしたし、
    ゴジラの熱線もラミエルや巨神兵を彷彿とさせるものになった印象でした(あくまで個人的な目線で受けた印象)。

    ただ、ラストの人型が巨神兵そのものなのか、人(博士?)のなれの果てなのかは決めるのは難しいですね・・・
    デザインだけで、実際は全く別ものなのかもしれませんし

  11. 匿名 より:

    いろんな方の考察を読ませて頂きました。
    どれも興味深い考察で、見終わったあとの楽しみの一つでもあります。

    私なりの尻尾の解釈ですが、あれはゴジラにより踏み潰された人間そのものだと思います。
    核兵器や原発により苦しめられ、死んでいった人達の暗示だと思います。
    そして、人の歯のようなものもありましたが、あれは人間と同化して出来た歯ではないかと。
    だから尻尾から放射能を出せるのだと考えられます。
    人間が作り出した放射能が、人間を苦しめるのだと解釈してます。

    エヴァをどうしても連想してしまいますが、オマージュはあるにせよ、あくまでゴジラはゴジラで描くと思いますので、巨神兵や新人類の線は薄いと思います。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      尻尾には複数のゴジラ人間の様なものがいましたし、おしゃる通り何人もの人達を指し示しているものなのかもしれませんね。
      これから生まれてくると言うよりは苦しくもがいている姿にも見えました。

      そう言われてみれば、尻尾にはゴジラ人間の他に歯のような物があった気がします。ただそうなると、背びれからは放射能熱線がなぜ出せたのでしょうか。ひょうっとして、いずれ背びれからもゴジラ人間や歯が生まれてくるとかでしょうか。ホント考察しがいがありますね(笑)

  12. より:

    ゴジラは水と酸素によって内部でこの世にない新元素放射能物質を生成して炉心でエネルギーを生産しているので、すでに新元素の下りで膨大なエネルギー量の説明は済んでいるのではないでしょうか
    それに今回のゴジラは、移動以外の破壊行動を除くと積極的な攻撃を行わないという意見も多く、ゴジラの行動原理はあらゆる敵対因子に対する「制裁」を基準にしているという解釈も巨神兵から連想させるのかよく聞きますね
    その辺りはGMKの通称白目ゴジラ(悪霊ゴジラとも)と違って意識的に人間に害を加える悪意や欲求のような、固定の目標に対する固執的な拘りは薄いのではないかと
    シンゴジラのゴジラの中で強いて言えばもっとも関心を抱いたのは、飛ぶものに対する驚異判定のイメージがやはり強いですね、逆に言えばそれ以外はラストまで不気味なぐらいあらゆるものに無関心

    個人的ではありますが自分としては、博士本人説かラーニング説が無難に説明できそうで馴染みますね
    本編でも言われていますが、東京湾というのは巨大生物が隠匿されるには海洋物流のそれや震度も合わさり狭く、逆に楽に活動できるサイズで個人がそれを見つけるに広すぎるという立地の悪さがあります
    これらを考察した本もあったりしますが、東京湾の物流は厳正な管理があってこその安全があり、この統率を失うと天候にも左右されますが、多くの湾内接触事故を誘発させてしまいます
    博士とゴジラがこれを掻い潜って、アクアライン近辺でゆっくりと作業するというのはかなり困難な条件と思われます
    さらにこれはメタ解釈でファンの間でひっそり囁かれつづけた古い話ですが、ゴジラの元になった生物の正体が明確に描かれたのは平成シリーズのゴジラザウルスあたりで、いまだに初代では推測のセリフはあっても確定はしていない考察のグレーゾーンになっています
    その中で、初代の骨格標本から正体を考察した説もいくつかあり、それらの中ではゴジラは爬虫類の類いではなく哺乳類かそれに準ずる特徴を多く持つ生物であるとするものがあります
    実際共通点がかなり多く、一般的な古代の恐竜が核の力で突然変異の末巨大化というイメージではなく初代劇中でも爬虫類ではない推測もされています
    ファン間の考察の中ではむしろ人間に近いという考察もあり、GMKの悪霊ゴジラの元になったとも言える戦争犠牲者の集合体説とハイブリットされた考えで、ゴジラの元になった生物が憑依された人間の怨群に念に影響されて、突然変異の際、肉体の特徴が人類に類似するかのような影響を受けたなどの末端単位での噂は極端になりがちですが数多くありました
    庵野監督がこの辺の噂話にもアンテナを張っていた世代ならどこかしらでインスピレーションを無意識にでも受けているはずなので、博士が正体という表立たない裏設定を作ったとしても抵抗感は無かったのではないでしょうか、ゴジラの正体が人間のなにかというのは前述の通りすでに東宝の公式で逆輸入されているという前例もあります
    薬一本で怪物に変われるというのは特技監督の樋口監督が担当した進撃の巨人でも使われており、あれもエヴァンゲリオンに影響されて巨人の設定を原作者が作ったのでは?とよく言われています
    さらに庵野監督がウルトラマンをクリエイター心の支えとしているので、人が変身することをゴジラでやろうと喜んで思いついてウキウキしている姿も容易に絵が浮かびますしね
    それらを踏まえると博士本人説が自然な流れで脚本段階で組まれたように受け入れていましたね、自分の場合ですが
    お注射作戦眺めながら、ラーニングで群体の有利を学んだ結果人間を模倣したでも説明できますがこれは正直面白くはないですね

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      ゴジラザウルスの考察、またGMKゴジラの経緯については初耳でした。貴重な情報ありがとうございます。
      そういった経緯があったのであれば、庵野監督がインスピレーションを受け、今回のシンゴジラにも人間の概念を取り込んでくる事は十分考えられそうですね。おまけに庵野監督がウルトラマンにウキウキですか。うーむ。
      ただ、ただです、私は牧博士一人だけがゴジラに成り変わったとはどうしても思いにくいです。進撃の巨人やウルトラマンとは異なり、ゴジラは昔から神秘の生物的なブランドがありますよね。庵野監督もおそらくゴジラを好きな方なので、ゴジラの持つイメージや立ち居地を十分理解している方だと思います。その上で、牧博士というぽっと出の一人の人間をゴジラのルーツに組み入れるでしょうか。その瞬間、今回のシンゴジラがすごくチープな生き物に見えてきませんか。
      なので、私はもし今回のゴジラが人間であるのであれば、牧博士が一人でゴジラになったのではなく、牧博士を含む多数の人間の集合体なのではないかと考えます。

  13. CRESCENT LIMITED より:

    ここCSLBOOKは、とても興味深い場所です!
    ただ、
    人間は猿から進化した生物ではないことが何年か前にNHKで特集として放送されていました。
    人間と猿は全く別の生き物、人間も猿も進化の元になった生物は、齧歯目と改められていました。
    西洋では元々、進化論は受け入れられてはいませんが・・・。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      そうなのですか!てっきり人間は猿から進化したものだと思い込んでおりました。
      ”齧歯目”というのを調べてきましたが、ネズミ系の動物類のようですね。これが人間の元なのでしょうか。
      ネズミ系が人間になれるのであれば、深海生物がゴジラになりさらには人間になっていくのも自然な気がしてきました。

  14. より:

    連続になって申し訳ない
    返信を読んで庵野監督や博士にたいする補足をしておいたほうがよかったかもしれないと思い、失礼とは思いますが加筆しようと思いまして、その辺を中心に纏めさせてください

    ファン間で培われてきたゴジラの既存のイメージや、ゴジラの正体のポジションひとつで作品の空気を纏う世界、そしてスケールがガラリと変わってしまうという考えを読みとった上で
    ウルトラマンのくだりの続き辺りという立ち位置なるのでしょうか、

    庵野監督は良くも悪くも趣味を遊びつくすタイプのクリエイターであるという話しを業界人や元同僚の人が語っている事が多いことを補足させてください
    エヴァンゲリオンシリーズを批評する人、また批判する人の多くは監督に対してよく「深く考えて作っている人間ではない」「深くないのだから、その作品を考察するだけ徒労だ」「逆にファンの考察を拾って公式の設定にしてしまう」
    などの否定的な推測をされる方は多いですが、これは彼の経歴をしっていくと間違いでもあり正しくもあるという矛盾的にも両立されているという印象を受ける部分があります

    というのも彼の作品への拘りは間違いなく日本でもトップ10に入ってしまうほどの偏った趣向の持ち主で、間違いなく一要素単位で見た時にかけられた時間、労力、センス、拘りがある作品を多く残しているのは事実なのです
    ただそれはあくまで一要素単位で取り上げた場合であり、すべての要素においてそれを保障しきれるものではありません
    それが彼の作り手としての命綱であり弱点ともいえます
    趣味とそうでないかに於ける力の格差の大きさは新劇場版エヴァシリーズの作品間ですら、大きな差を作ってしまっている
    大好評のエヴァ破に対して、特撮博物館で上映された「巨神兵、現る」のインタビューから、数年間の間に制作期間が実質上5ヶ月しかされていない可能性を示唆した、公開中に未完成CGを大規模修正されるなどのエヴァQなど(案の定彼はシンゴジラ制作表明でエヴァQを切っ掛けに再び壊れてしまったと告白)

    庵野監督がウルトラマン好きという普及しつつある認識の中でも特筆すべきは、彼はあくまでウルトラマンそのモノが好きなのであって、ウルトラマン役の主人公にはまるで興味がないという、かなりの偏りを持った偏食趣向をもつ人物という面です
    当時の特撮クリエイターの多くはウルトラマンや仮面ライダーではなく、その主人公にあこがれそこを含めて強調し自分なりの拘りを持っていた作り手や監督が多かったそうですが、庵野という人物はそこに対しての興味がかなり希薄で、そこはいいからウルトラマンその物をやらせろ、構造物を拘らせろ、破壊を拘らせろと人というキャラクターよりも、そこにあるモノや記号としてのウルトラマンであるギミックやそれによって起きる破壊への関心が強烈だったようで、これは学生時代の有名なウルトラマン再現映像提出物のころからそういう行動が多く目立っていたそうです
    庵野監督としてはウルトラマンというシナリオ全体の主人公になることよりも、巨人として振舞える映像的記号であるウルトラマンそのモノを演じることに喜びを感じる、ということになりますね
    今回のゴジラは歴代の中で、もっとも初代の「災害」としてのカテゴリーとしての記号、例えば地震災害、強風災害、などのカテゴリー別けとしての
    「怪獣」災害のゴジラという側面を最大回収、強調することで、昭和以降培われた個性としての各性格を与えられたキャラクター像としてのゴジラ、つまりキャラゴジラという性質面をほぼ完全排除することで、初代にあった不規則かつ不可解な行動をとる事によって、何を考えているか読めない、何をされるか分からないこその予測不能な災害に近い得体の知れない恐怖をリブートしたゴジラと言え、さらにいえば、このゴジラを好むか好まざるかの今作におけるファン賛否の分断要因の一つという重要な点にもなっています
    初代ゴジラはこの両者を混在させている存在ともいえ、そこから昭和を経て平成VSシリーズ後半である所謂ヒーロー、ダークヒーロー(アメコミでいえばヴィランという概念に近い?)を司るキャラクターゴジラ
    今回や84ゴジラ、エメリッヒ版ゴジラ(通称マグロ、ジラ)などの災害としての側面が強調された「怪獣災害」ゴジラに別れ、現在に至るまで派生していったといえます

    さらにその部分を補足すると初代のゴジラは、日本でいわれる「怪獣映画」というカテゴリーが完成していなかった、開拓の時代の作品といえ
    それはつまり当時のゴジラは明確に「怪獣映画」というカテゴリーとしてあくまで形式上作られたものではないことを差します
    それは「怪奇」映画のなかで怪獣を取り扱った一作品であり、いわば現代でいう所の「Jホラー」の本質的奔りとしての映画の一つに区分けされた存在といえました
    これがゴジラに近い時代の、怪獣、怪物映画である名作キングコングなどと、ゴジラのイメージが違う明確な要因といえるでしょう、
    当時の戦争を引きずったゴジラはその後の怪獣映画の怖さの中でも一層変わった怖さ、おどろおどろしさがあります
    その上、庵野監督の趣向とJホラーのスケールの扱い方は実はかなり似ていて、どちらも普遍的な当たり前に存在する一つの意思を切っ掛けに想像もできない転がり方からの、
    世界を塗り替えるような1からのハイパーインフレーション的ロジックを用いてくる作品群であり、エヴァンゲリオンも所謂「セカイ系」の看板作品の一つとして顔が知られています
    その他にも携わった作品の制作エピソードでは、ナディアやトップをねらえ!などの作品でも彼の演出論では多くの設定から来る障害的論理は彼にとって脇役であり、一つの情動や怨念によってあらゆる論理を無視して(悪く言えば設定を無視してでも)駆逐される引き立て役でしかないように扱うことを元ガイナックス代表の岡田さんが語っています
    始まりは矮小でも、それが劇薬的な起爆剤となって最大のスケール単位を軽々蹴りとばす事を庵野という人物像は抵抗感を感じないタイプのクリエイターといえるのです
    それを裏付けるかのようなシーンがシンゴジラ本編でも見受けられました
    本編では博士の残した人類の進化としての希望をあける第一歩の鍵である血液材でゴジラをコントロールするか
    ゴジラを核によって滅ぼし、日本を見捨て文明躍進の可能性を手ばなすのかという選択に迫られるシークエンスが用意されています
    これは今までのゴジラを知っている上で彼のエピソードを見るとこのシーンを命題にするのは引っかかる部分でもあり
    というのも、エヴァでクリーン核兵器モドキのN2兵器を耐える使徒を描く庵野秀明ですが、自分のパーマネントであるウルトラマンの二次創作といえる作で、民間人<怪獣<ウルトラマン<核という力関係(強さというよりは影響的役割)
    という脚本を出されて喜んで撮影に臨んだそうなのです
    核はウルトラマン以上にその世界へ強く影響する過ちの象徴なので、人類に核という過ちを犯させない為にウルトラマンは戦うという動機付けです、つまり破壊という概念において怪獣より怖く強いのは人間であるという考えです
    このコンセプトはシンゴジラの脚本テーマにも類似が見られ、これに近いニュアンスのセリフ自体も今回のシンゴジラ本編に出ていますよね
    しかし、ゴジラファンからしてみれば、ゴジラは核をエサにするので核兵器なんてオヤツ同然という風潮が常識化しています
    実際はそのオヤツの核物質のいくらかは純粋な熱エネルギーに変換されるので、細かく考えればそうとも言い切れないのですが、現代に至ってハリウッド版のギャレスゴジラは艦船の垂直ミサイルに大きく怯む存在として描れているのにも関わらず、水爆実験という名目の爆破攻撃を受けて致命傷にもならなかったというファンの抉れた風潮がそのまま現れたような形で完成しました
    しかし今回のシンゴジラはこの庵野という人物の経歴を聞きかじった人間からすれば、アメリカのバンカバスターで傷つくゴジラをまさか本当に核で滅却可能なゴジラとして書いたのでは?と疑ってしまうかのようなミスリードか悩む要素が散りばめられているようにとれるシーンが多い
    「現実(人間)対(ゴジラ)虚構」というメタ構図といい、今回のゴジラは恐怖感の為に圧倒的な攻撃力や進化スペックを演出していても歴代のゴジラ以上に弱点やつけいる隙を用意している、いわば庵野監督は作品のテーマに相応しい様に現実が虚構を乗り越えられる障害としての希望
    割り切られて作られたピーキーな仕様に特化したゴジラとして従来のゴジライメージをあえてチープ化させているともとれる要素が多く見られました
    核エネルギーと人間が暴走の恐怖を常に持って、希望になるかもしれないエネルギーと共存する他ないという現実の社会問題としてのメタファーに関しては確実明白なので、
    もしゴジラを概念的にチープ化しているのが意図的であるのならば、現実の人間にある程度コントロールできる存在として虚構を矮小化して落とし込んで合わせてきたとしても監督の主義ならば不思議はありません

    確かに今回のゴジラを博士単一の存在であると考えると一つの意思がとてもチープといわれれば、そういう風に印象をもつ側面は多く、先のGMK悪霊ゴジラのスケール感を考えればどうにも矮小な規模に見えます
    しかし、問題としては庵野監督はそういう他外的思想に影響されない、悪く言えば空気を汲み取らず、自分好みの発想さえあれば相応しさを投げ捨てでも、それを優先するタイプのクリエイターでもあるというところにあります
    その趣味性に重きをおいた極端な選択趣向が問題の一つとしてエヴァンゲリオンなどのシリーズによる監督自身の鬱の原因などになるともいえますが、それらを踏まえると彼にとってチープかどうかよりも、先述のウルトラマンにどう触れるかという監督の主義において「自分の思うゴジラ」に自分自身がなりきれるのか?という趣向であり、葛藤であり、問題にたいしてこそ、彼の中の最高決定意思があるのではないかと感じるのです
    つまりは例えそれがチープだったとしても、スポンサーなどの代表的な障害に阻まれて遂行不可能なケースにならないのであれば、それを選んでしまうクリエイターであって庵野監督にとっては決してそれはオカシイことではない、やりかねない人物だと考えられるのです

    ウルトラマン云々に対するチープな選択を取ってもおかしくない庵野監督の作家性の補足といえる部分はここまでです

    そしてこれに関しては完全に個人の感想で他所ではどうとされているか判りませんが、自分は彼のリスペクトとして登場させた博士役の実際の人物の言葉を借りてこそ、庵野監督の本音を今度の衆目の場に出せたと自分は考えている例の手紙のシーン
    「私は好きにした、君達も好きにしろ」
    というセリフには庵野という一人のクリエイター史の命題であり、苦しみの種にもなってきた多くの出来事にたいしての皮肉を本編の外で設定的、
    もっといえば概念的に息づいている時間軸の枠組みの外に置かれた博士だからこそ言わせたモノではないかと思われてなりません
    それに対する補足ですが、というのもこの博士という役柄自体はぽっと出と言って差し支えないのですが、この役の写真の人物が日本映画の大物監督の写真を使っており
    岡本喜八という人物は、初代ゴジラの本多猪四郎に師事していた監督の一人で、庵野監督は彼の大ファンでもあり特有の細かくスピーディーなカット割のコンテが生まれた影響の元である事や岡本作品から流用した用語も多く
    エヴァの使徒の有名な「パターン=青」も彼の映画のタイトルの英文役が元になっていたりと相当な思い入れのある人物であり、技法の参考元であるも含めて
    庵野監督にとっての自己投影キャラクターとして「牧博士」という絶妙なポジションは最上の登場人物といえる存在です
    このキャラクターは障害に対する隠れ蓑としても有効ですね(ゴジラに自分を自己投影するという野望の隠れ蓑にもなり博士=監督の外伝的投影は有効)
    そしてこれは監督の問題作といえる旧劇場版エヴァのユーザーに対する例の意趣返しを知っている世代、または経験した世代ならばなんら違和感のない行動だと口々にもらすことでしょう
    それが受け取り手側から許されるかどうかはともかくですが(笑)

    で、これは返信してもらった内容に対する私の印象ですが
    確かに「人間(または意思、または魂)を吸収する」という考えは、ある意味で庵野監督の好みであると考えられます
    というのもエヴァンゲリオンの制作バイブルともいえる、富野監督作「伝説巨人イデオン」は
    ヒトの意思や魂を吸収し、それをエネルギーとして変換して使う、遺跡巨大ロボットである「イデオン」そのモノの姿といえるからです
    すでにネットでは今回のゴジラのゴジラを逸脱し始めたと表現してもいいほど突飛押しもない進化ギミックや特徴に、エヴァ以上にイデオンの姿を重ねる人が多くいたようです
    上でもガイナックス時代の例でも書きましたが、庵野監督は絶対的障害は一時の人間の爆発的感情であらゆる論理性を無視してでもソレを打ち破れる、破壊するエネルギーとなると考えている節があります
    イデオンのエネルギーである「イデ」と呼ばれる意思は、その意思群をすべてエネルギーに変換するとその単一の宇宙に存在するエネルギー総量は「イデオン」の中に約99%も内包されている事になるそうで
    つまり宇宙全体をエネルギーにかえても、イデオンのエネルギーの1%にも満たないという荒唐無稽かつ大胆な法則を抱えたSFアニメがエヴァンゲリオンやひいては庵野監督の真情と共存しているといえます
    これは機動戦士ガンダムシリーズの宇宙世紀という世界観にも、ニュータイプとサイコミュ技術、サイコフレームという形で存在しており、Zガンダムという続編では、主人公がサイキックで死んだ仲間や死人の魂を機体に吸収し、念力のようなバリアーをはりオーラを纏ってエネルギーに変えて無敵となり、最後の敵を金縛りにした上で倒すといった形で富野監督シリーズの一部でも存在するギミックとなりました
    ちょっと話がそれましたが、それほどまでにリスペクトしているイデオンの要素を大きく加えたゴジラが、死んだ人間の魂を吸収しないかと言われればとてもそうとは思えません
    率先して人間に攻撃を加えない受身的な博士変身ゴジラ説を自分は一番違和感を覚えない論として感じてはいますが、その切っ掛けである変身ゴジラ体に巻き込まれ死んでいったヒトの魂が次々と吸収されていった結果、噴出したのが尻尾のあの姿だとすれば、これまでの庵野監督史上、そしてゴジラサーガの足跡を俯瞰するモノであるならば、充分成立する論だと考えられます
    いわれれば、地獄の底(ゴジラの中)から光に向かって(体外へ)群がる亡者やクモの糸という話しを連想させる光景でもありました

    ちなみに先のコメントで挙げたGMKゴジラの逆輸入メタ設定について存じ上げないとのことなので、説明不足で誤解されてしまうかもしれないのでそちらとしての補足もします
    この説の本質は初代ゴジラが日本を襲う理由の謎、東京襲撃時のあまりに不可解な侵攻ルート、なぜ皇居を目の前にしていきなり海へ逆戻りしていったのかという考えから、太平洋戦争の戦没者、海で死んでいった者達の英霊が正体不明の生き物に憑依し、日本へかえって来たことで怒りを発散させたが皇居という聖域にだけには決定的な意思のタブーによって手をだせず、帰ってしまった
    核で突然変異したとはいえ砲弾やミサイルが通用しない生物はいないという多くの当時の認識が、英霊の力、加護によって守られているから無敵を誇ったのではと考えられたそうです
    これは逆輸入であるGMK悪霊ゴジラでも採用されており、ある方法でゴジラを浄化?したことで一時的に通常兵器でもダメージが通るほどゴジラが脆くなったシーンがあります
    この説は舞台役者が常読していた雑誌に有名な方のエッセイが掲載された物が元で時間をかけ徐々にファンに広がっていったモノが元になって昭和には多くのファンに伝わった説、らしいです
    私もGMKゴジラまでは又聞きだったものなのでこの辺は、元のエッセイまで詳しく触れたことはないのは残念ですが

    1. syumi より:

      再度コメント頂きありがとうございます。
      大変細かく、貴重な情報を多々頂き感謝です。色々と勉強になりました。

      一読し、庵野監督の知らなかった部分が見えてきました。私は庵野監督という人物についてそこまで詳しくありません。エヴァシリーズやナディシリーズは一通り見ていますが、裏事情や庵野監督がこれまでにどういったスタイルで作品を作ってきたのかの詳しい部分は、恥ずかしながら分かっていませんでした。
      その上で今回のコメントを読み、こういった人物なのであれば、庵野監督が自分の思いを牧博士に投影し、牧博士をゴジラにしたというのは十分考えられそうにおもえてきました。まさしく、自分のコレまでのポリシーをぶつけ、たとえ設定的にチープになろうとも「好きなようにした」のかと。

      ただ、私は庵野監督について分かっていない部分もありましたが、今回のシンゴジラを観て、この人は日本のゴジラの魅力がわかっており、日本のゴジラをどう見せれば観客が喜ぶかが分かっており、そしてなにより日本のゴジラが好きな人なんだと言う事は、一ゴジラ好きとして素直に感じました。かつ、事前のインタビューにて庵野監督は「面白い映画を作ろうという以上は、最初のゴジラに少しでも近づけたい」、「(初代ゴジラの)あの面白さあの衝撃に僅かでも僅かでもいいので近づけたい」と述べています。そして、今回のゴジラは、ナディアやトップをねらえ、エヴァなど庵野監督が一から作ったブランドではなく、ゴジラという東宝が造り上げた一大ブランド、そして東宝の名の元に今回も製作しています。(久しぶりの純東宝映画作品で看板作品です。)そういった事を考えると、エヴァのBGMで遊んだりなど細かな部分では”好きなようにしていても”、ゴジラが何であるか、何で生まれたかの物語の機軸になるような部分には好きなようにせず、その部分には本来の初代ゴジラらしさを組み入れるのではないかとも思えてきます。(そういう意味では、戦没者達の残留思念の設定の方がピンとくるイメージがあります。)

      なので、纏めると牧博士がゴジラだとも思えますし、そうでないとも思えます。この部分は、それこそ庵野監督が今回のゴジラをどう扱っていたかにかかってくるように思えます。これまで庵野監督が作っていた作品と同列に扱うか、あるいはゴジラ映画として少々特別視するか。

  15. 匿名 より:

    こんばんは。
    わたしの妄想を解き放ちたいと思います!

    博士がゴジラを東京湾に放ったのだと思います。
    凝固剤(博士作)によって冷凍状態の幼生を。
    博士も凝固剤を作れたはずです。データを隠匿してたし。
    物語の最初、あの船の上で凝固しているゴジラの幼生の血液を
    融解させて休眠状態をとき、共に海に飛び込んだのではないでしょうか。
    でないと突然東京湾で活性化、巨大化がはじまった理由がみつかりません。

    博士は死にましたが食われてはいないと思います。
    ただ博士はゴジラ幼生に遺伝子操作をしてるような気がします。
    ゴジラの放出する放射能の半減期が極端に短い(そもそもの彼の研究)とか、
    作戦名のやしおりからオロチ=ハイドラ=キメラ生物を匂わせてるとか、
    人の8倍の遺伝子情報をもってるとか。
    そのなかに博士自身の遺伝子情報があってもおかしくないのかも。

    原種は別にどっかの深海で眠ってるんじゃないでしょうか。
    核廃棄物食い荒らす程デカい生物はさすがにあの船で運べないでしょうし。
    (博士持ち込み犯説前提)
    そしてたぶん、博士が持ち込んだゴジラ幼生は1匹では無いのでは。
    計画的にやったのなら、サンプルやスペアがいたっておかしくないですし。
    おそらく凝固剤で休眠中の別個体が博士によって、事前に都心へ
    持ち込まれたんじゃないかな。もしかしたら東京ステーションホテルかも?(笑)
    それでゴジラはそこ=仲間のいる場所を目指したのではないでしょうか。
    真相は分かりませんけど、オマージュにしても何かストーリー上で明確な理由は
    後付けしてそうですよね。ゴジラが東京に転進した理由。

    ひとたび人口密集地に上陸すれば人間は攻撃する。
    攻撃され生命の危険を感じるとゴジラは生物として生き延びるために進化する。
    兵器の威力はエスカレートしていく。
    対してゴジラも自己防衛本能という名の進化と反撃を繰り返し、
    人も大きくなりすぎた脅威に対して際限なく攻撃せずにいられない。
    やがてゴジラは群体になり世界中に火と放射能による死を振りまきながら拡散。
    (ただし半減期が短く、土地は元の清浄を取り戻す。)
    博士が目論んだのはこれではないでしょうか。
    私は今回のゴジラは、巨神兵というより動く腐海みたいな感じがしました。

    博士は上記のようなことをひっくるめて『わたしは好きにした』んだと思います。
    BGMの歌詞のように自分の心中の虚無を解き放っちゃった。
    そしてドツボにはまって、それでも崖っぷちで踏みとどまってる日本や世界に
    『おまえはどうすんの?』と、問うているのではないでしょうか。
    いや、好きにすれば?だからもっと他人事ですかね(笑)
    我々は120m余りに巨大化した挙句、口どころか全身から熱線を放つ怪物を
    見上げつつ『どうすんのこれwww』と呆然としてるわけです。
    様々な暗喩やテーマが盛り込まれてましたが、
    ストーリーについてはこんな感じだったんじゃないかなぁ。
    まぁセリフの半分くらいは何言ってるか理解できませんでしたが(笑)

    あとゴジラが萎えた短い手を、掌を上に向けて歩くのが気になりました。
    昔のゴジラもみんなそうなんですかね?
    見ようによっちゃ何かを乞うているような、何かを求めて
    彷徨うようにも見えました。
    怖くて醜いけど、美しい瞬間(やや不謹慎かもですが)や
    悲しさ寂しさも感じるゴジラでしたね。
    非常に満足しました。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      原種がいて、それとは別に幼生がおりそして複数いる。
      思いもつかなっかった興味深い考察でした。
      それならゴジラが呼び寄せられて東京に向かったも十分ありそうですね。(VSシリーズで同種族間でテレパシーが使えるような表現ありましたし)
      そして、もしそうれでばこの話はそう簡単に幕引きできなそうですね(笑)

      また腐海というのも、確かに色々と酷似していますね。言われてみれば不自然なほどに。
      『風の谷のナウシカ』に登場する大海嘯の引き金となったヒソクサリとう植物、wiki上で以下の様な設定が書かれていますが、おっしゃている内容と似ている気がします。

      【ヒソクサリ】猛毒の腐海植物。土鬼軍が生物兵器として利用するべく墓所の技術を用いて遺伝子操作を試みたが、凍結保存されていた種苗が粘菌状に突然変異して暴走、大海嘯の引き金となった。作中ではヒソクカリとの表記もある。

      やはり本作は、風の谷のナウシカなど過去に庵野監督が携わった作品のオマージュがかなり取り入れられていそうですね。
      ただ、博士はいくら恨みを持っていたからといえ、そこまでやるのでしょうか。そこが個人的には気に掛かってます。
      萎えた手については、これまでのゴジラはすべて下向きです。また、これまではあそこまで痩せ細っていませんでした。今回のゴジラは戦う相手が居ないから、もとは海中生物だったから、手が発達せずやせ細った設定になっているようですが、それでも他の部位に比べて痩せ過ぎな気がします。それに、だったら口の牙は使わないのになんで発達してるのって事になりますしね。もしかしたらあの手にも何かメッセージがあるかもしれません。

      1. 匿名 より:

        たしかに個人の恨み晴らすにしては、えげつないかも。
        自分の場合は最低なバッドエンドから逆算して考えたからかもしれません。
        つまりあのゴジラで人類滅ぼすにはどうしたら辻褄があうか、です。
        病んでるのはわたしの心かもしれません(笑)

        わたしはあのゴジラ、核兵器で殺せると思うんですね。
        とてもとてもファンタジーですが一応、生物として描かれてますし。
        ゲームみたいですが、殺す=綺麗さっぱり解決する方法、は
        ちゃんと用意されているのではないか、と。
        むしろ現存する兵器で、ゴジラ殺せるのは核だけ、って設定なんじゃないかと。
        それでやっと地獄の蓋が開くと思うんです。

        核がゴジラに効いちゃったら、もうその先、使わない訳にいかなくなる。
        そしたら次の舞台はニューヨークかな。
        劇中で例えニューヨークでも、とフラグ建ててましたし(笑)
        日本人にとっての直近は原発事故ですが、アメリカ人の心をえぐる
        トラウマは同時多発テロでしょう。
        映画には出てこないですが、牧博士の研究を手伝った人らが
        いると思うんです。同じような虚無を抱えた。
        彼らが博士に続いたらどうなるのか。
        書き置きの『きみたち』が指すのが、そういう人を含んでいるとこじつければ、
        第二波以降の存在が可能です。なのでゴジラの素(冷凍深海ザメみたいなの)
        が複数いた方が面白いなと思いました。

        水際で止めようにも、進化(変異?)するのがわかってるから攻撃できない。
        凝固剤を使おうにも、放射熱線を放ってガス欠になってくれないと無理。
        東京に使った手前、確実に効果が見込まれる核を拒否できない。
        焼かれた側は恨みがつのり、次の被害地を焼く側にまわる。
        世界地図に住むことが困難な不毛の地が増えていく。
        そんな感じでパリ、ロンドン、上海、ロシアはどこだろ?と続けば
        そのうち人間同士でもやりあって人類滅びそうかなと。
        ゴジラが歩いてるだけじゃ人類滅びないと思うんですよ。
        ゴジラをカタストロフィのきっかけにして、人間同士トドメ刺しあう、みたいな。
        ひどい妄想ですけど(笑)

        一方で、他の人の意見で、牧博士の遺留品=宮沢賢治の詩集から
        彼の人となりや科学者としての思想を考えてる人がいて、
        自分の妄想以上に納得してしまいましたが。

        1. syumi より:

          興味深い考察でした。
          確かに今回のゴジラは強いものの生物的な一面もあるため、おそらく核であれば葬れるかと思います。(もろに直撃できれば)
          そうなればおっしゃるとおり、ゴジラを葬るために核を使う、そして第2第3のゴジラがいるのであれば都度各地で核が使われそれが世界を破滅に向かわせる、
          ある意味、初代ゴジラ以上に、核の恐ろしさや人間の過ちを描く作品になりそうですね。

          もしそういった話であれば、それこそ博士一人がそこまで恐ろしい事を考えるとも思えませんし、庵野監督も一人の人間にそこまでの濃い設定を盛り込まない気がきます。
          ただ、おっしゃている通り博士を手伝っている方など、それが博士一人ではなく複数人の犯行であればそういった話はありえる様な気もします。
          例えばあの国と博士やその手伝っている方々は繋がっており、なんらかの大きな大儀のために組織的にゴジラを進化させ利用し、そして核兵器使用のシナリオがある的な。
          庵野監督はそういうの好きそうですしね(笑)人類補完計画的な。ナウシカでもそんなのあった気がします。

          1. 匿名 より:

            まさに庵野おじさんの好きな絵を撮るための映画って感じがしましたね(笑)

            ゴジラ=虚構、を排除した画面を想像すると、結構怖い絵になります。
            3.11は日本人には、わかりやすいのでゴジラがいてもそれと分かりますけど。
            在来線爆弾の所なんか、見た瞬間はBGMもあいまって
            「ウォォォ遂にやられ役が一矢報いた!」って私も興奮しましたが、
            冷静に考えればゴジラと伊福部音楽がなかったら、あれ完全に911だよね。
            飛行機じゃないけど高層ビルも倒壊するし。東宝よく通したなと思いました(笑)

            ゴジラじゃなかったらあんな絵撮れないと思う。
            画面にゴジラが存在するから許される絵、とでも言いましょうか。
            だからエヴァでもナウシカ2でもなくゴジラを撮ったのかな。
            丁度今日もののけを放送してますが、夜になって死を振りまくアレとかも
            ゴジラ夜の部に雰囲気が結構似てるけど、今この時代にやるなら
            ゴジラのほうが圧倒的に分かりやすいですし。
            きちっと初代ゴジラを踏襲して、その中で自分の表現したい映像を作る。
            なので映像の外の領域は謎だらけにして、思う存分好き勝手妄想
            していいよっていう庵野おじさんからのサービスなのかな(笑)

            長々お邪魔しました、そろそろ退散します!
            聞いてくれてありがとー。

          2. syumi より:

            たしかに、ゴジラを画面から排除したら、意外と怖く際どい映画になりそうですね。
            あのクレーン車の第2班も、ある意味特攻してこいって言ってるようなもんですし(笑)
            でも、おっしゃるとおりゴジラと居福部音楽があれば、多少はやり過ぎてもOK的なマジックがありますよね。まさに庵野監督はそんなゴジラを使って思う存分”好きなようにした”のでしょうか。

            そんなゴジラだからこそ、これからも多少のタブーは平気で描けるような映画として続いていって欲しいですね。それに監督も、今回の庵野監督のような評価を気にせずチャレンジする方に次も描いてほしいです。

            長々とありがとうございました、また何かありましたら気軽にコメントください!

  16. CRESCENT LIMITED より:

    『進化』ということばが今までのコメントで盛んに使用されていますが、ここ(生物学上?)では不適切のように思いました。
    『変態』とか『個体変異』、『変容』が正しい使い方のように思いました。
    シン・ゴジラを生物学上での1個体(生命体)として見るならですが・・・

    【進化の定義】

    進化とは、生物個体群の性質が、世代を経るにつれて変化する現象である。また、その背景にある遺伝的変化を重視し、個体群内の遺伝子頻度の変化として定義されることもある。この定義により、成長や変態のような個体の発生上の変化は進化に含まれない。
    また狭義に、種以上のレベルでの変化のみを進化とみなすこともあるが、一般的ではない。逆に、文化的伝達による累積的変化や生物群集の変化をも広く進化と呼ぶこともある。日常表現としては単なる「変化」の同義語として使われることも多く、恒星や政治体制が「進化」するということもあるが、これは生物学でいう進化とは異なる。
    進化過程である器官が単純化したり、縮小したりすることを退化というが、これもあくまで進化の一つである。退化は進化の対義語ではない。

    以上~wikiより~

    私も、後編では第5形態に変化し、「人間を取り込んだ集合体が分散し各国を襲撃する」という意見です・・・。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      定義をみましたが、たしかにおっしゃる通りです。一応1固体っぽいので正しくは変化、変態とかですかね。
      語弊がありそうな部分は、進化→変化に訂正しておきました。

      ご指摘ありがとうございます。

  17. 匿名 より:

    ゴジラのエネルギー源は細胞内の新元素が空気などを熱変換しているという事で説明されていますので謎ではないかと思います。

    1. syumi より:

      コメントありがとうざいます。

      たしかにそういった説明はされていますが、形態の進化時に使用するエネルギーやあの強烈な放射能熱線に使用するエネルギーは、かなり莫大な量の熱量に思えたので、それとはまた別のエネルギー源が必要なのではないかと思いあくまでひとつの可能性として仮説しました。

  18. アングラー より:

    尻尾は熱線出したり謎を最後の最後にぶっこんだり・・・なんとも忙しいですね。尻尾に始まり尻尾に終わる映画でしたね(笑)。
     シンゴジラ自分も最近見ましたがゴジラにそこまで明確な破壊衝動を感じませんでした。なんとなく歩いて破壊して、出血を伴う傷を負ったから身を守るために飛行物体を脅威認定して急速な変異を遂げたり。根底にあるのは破壊よりは防衛本能。
     それを考えると最後の尻尾の映像が第5形態への変化を表してるとしてもそれは破壊の為ではなく、人類にとっての自身の脅威度を下げるために(でかいと歩くだけで攻撃の的になる)小さくなったのだろうか。ゴジラからの共生を認めてくれというメッセージなのかも知れません。少なくとも攻撃の為にわざわざ群体となるほどの攻撃衝動は感じられませんでした、ゴジラから。
     謎をちらつかせてファンに意見交換させて盛り上げるのが庵野監督だしこれだけ考えたけど実は何の意味も無かったとか普通にありそうですけど(笑)、そうであれば正解は無いから自分の珍説もあって良いのではないかと思い書いてみました。

     PS 尻尾からビームはどうなんだと見た当初は思いましたが動きに制限のある顔より、射角が制限されない尻尾から撃つ方が確かに理に適ってるんですよね、変化の方向として。時間がたって受け入れられるようになりました。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      共生ですか、考えもしませんでした。
      おっしゃるとおり、今回のゴジラは攻撃意識がほぼ全くと言っていいほどありませんよね。
      もしかしたらゴジラからすれば、攻撃されたんで戦ったけどいい戦いだった、これからは仲良くしよう的な感覚なのかもしれませんね(笑)不良がケンカした後和解する的な。人間からしたらたまったものではないですが。

      尻尾ビームは確かに打ちやすようでしたね。ただ、背びれは過去のゴジラでも光ったりしてたんでビームが出てもまあ納得できるんですが、尻尾はどういう原理なんでしょかね。公式資料集を早く見てみたいです。

  19. 匿名 より:

    はじめまして

    ゴジラは食事を必要としないということでしたが、口から食べないだけで足元などでの皮膚接触(?)で体内に取り込めるのではないかと思いました。そうやって踏み潰された人たちなどがゴジラの皮膚から取り込まれ、結果骨が蓄積されて皮膚表面(特に尻尾)に押し出されているように見えました。
    終盤で尻尾の先から熱線を発射してますが、背中のようにいろんなところから発射されるのではなく先端から発射というのも尻尾が骨でコーティングされてるからではないか、と。
    といっても人骨って何度まで耐えれるんでしょうね

    取り込む理由も人間だけではなくいろんな生物を取り込んでまた新たに遺伝子情報をゲットするためなのかと…。
    まだ一回しか見ていないため細かいところの確認が疎かですがとにかく吐き出してみたくてこちらに投下しました。すみません(・・;)

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      私もまさにそんな感じのイメージを持ってました。
      第2形態のあの異様な動きも、地面や建物などに身体をわざと擦り付けていたのかもしれませんね。

      たしかに人間が取り込めるのであれば他の生物も取り込めそうですね。あの第2形態ももしかしたら、出現した第一形態が東京湾にいた生物を採取して即席で組み合わせて出来た姿かもしれませんね。そしたら「あれこれなら陸も上がれるぞ」って思って、陸上に出てきたのでだったりして(笑)

  20. 匿名脂肪 より:

    はじめまして

    ゴジラは食事を必要としないということでしたが、口から食べないだけで足元などでの皮膚接触(?)で体内に取り込めるのではないかと思いました。そうやって踏み潰された人たちなどがゴジラの皮膚から取り込まれ、結果骨が蓄積されて皮膚表面(特に尻尾)に押し出されているように見えました。
    終盤で尻尾の先から熱線を発射してますが、背中のようにいろんなところから発射されるのではなく先端から発射というのも尻尾が骨でコーティングされてるからではないか、と。
    といっても人骨って何度まで耐えれるんでしょうね

    取り込む理由も人間だけではなくいろんな生物を取り込んでまた新たに遺伝子情報をゲットするためなのかと…。
    まだ一回しか見ていないため細かいところの確認が疎かですがとにかく吐き出したくてこちらに投下しました。すみません(・・;)

  21. ここでナイジェリアの選手交代です。 より:

    全部丁寧に返信されてて素晴らしいとおもいました。お疲れ様です。

    僕もふと思いついたので書きたいと思います。

    個人的に初見の際、漠然と直感的には小型ゴジラが分裂しようとしてる瞬間に凍結されてしまったものと解釈しました。
    もし凍結が少し遅ければ解き放たれて、エラい事になってたぞって表現と、単純にエメリッヒゴジラの卵みたいな続編の示唆と思ったんですけど、同時に、でもやっぱり人型だから人間なのかなとも感じました。
    だとしたら、自衛官かな?微妙にヘルメット被ってるようにも見えるな。
    外から飲み込まれそうになってるようにも見えるな。
    でも、だとしたらこの上ないグロい死体な訳だしゴジラに有るまじきグロ表現だよな。さすがに無いかって事で取りあえず前者の解釈で納得しました。

    すると、他の方の感想にも「最後に尻尾に自衛官みたいなのがこびりついてて悲しくなっちゃった」というのもあって、やっぱそう見えるようにも作ってあるんだなって思って、そうだとするとこういうメッセージかなってのを思いついたので書きます。

    この上なくいやーな感じの自衛官の末路と安堵してるお偉方を対比させて映すことで、「日本は助かったけど、勇敢に戦った立役者のお前らの末路はコレだ。お前らは所詮捨て石だ。現実の戦争でも同じなんだぞ。」って事を言いたかったのかなぁと。

    ていうのは自分的に、ヤシオリ作戦中に熱線で作業員が蒸発するところに妙に感情動かされちゃったっていうのがあっての発想なんですけどね。
    意図的に作業員の顔を映さない演出も妙に生々しく感じちゃいましたし。

    まあ自分の思想から影響されてる解釈なので、正しい解釈と言い難いとは思ってます。
    庵野監督の人となりもよくわかってないですし、むしろあんまりヒューマニズムをかざしたりしそうにないなとも感じますから。
    実際、僕も取りあえずはゴジラの群体の分裂ってのが無難な解釈と思ってますし。

    でも、最近自衛隊がテレビCMで求人し始めちゃったりしてるのとか見てると、色々ヤバいなとか考えちゃう今日この頃なので、こういうメッセージを込めたんなら素晴らしいなと個人的には思ったもので、書いちゃいました。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      なるほど、凍結したことにより小型ゴジラの分散が止められたという訳ですか。私は凍結後に、内部で出来上がった小型ゴジラが湧き出てきたのか(湧き出ている途中)と思っていました。どちらなのかでその後の観方が大きく変わりそうですね。

      自衛隊については、たしかに今回は、ヤシオリ作戦の作業員然り、多摩川で戦車で戦っていた自衛隊然り、あと米軍機のパイロットもですが、前線で戦っている人や犠牲になった人は顔すらも全く写していませんよね。一方で官僚や政治家などお偉いさん型に、少し過剰なくらい焦点があたっていたように感じました。あえて個人ではなく組織を描いた作品であったとしても、少し比率が極端な気がしました。おっしゃるとおり、そういった前線とお偉いさんの間の差や、前線で散っていた人たちの無念も、皮肉として表しているのかもしれません。

      そう見ていくと何やら沢山メッセージ性がある様に思えてきました、もしかしたら全く全部が実は全く意味のないミスリードかもしれませんが(笑)
       

  22. 匿名 より:

    はじめまして

    私も二回ほど見ましたがラストのしっぽのあれは人間、あるいは第5形態に該当するゴジラ人間とでもいうべきものではないかとおもいます。今回のゴジラは何を考えてるかわからないですが知能はかなり高いと思います。B-2を撃墜する術を素早く思いついたり無人機の攻撃にも柔軟に対応してるところからそう考えました。そしてそれは牧教授を取り込んだからであり、ゆえに人間並みの知能を獲得し、ラストで自分を封印した人間に変態するのが合理的と判断。人型の形態に変化を始めようとした、あるいはしているのかもしれません。

    今回のシン・ゴジラのシンですが英語における道徳上の罪を表すSin(シン)ではないかとも考えます。

  23. 匿名 より:

    シン・ゴジラは政治家を正面から「脅威を乗り越える責任を負う者」として描ききっていたので良かったと思いました。
    「個としての将来よりも国の存続を大事にしなければならない」という責任があることとか無視されがちで、悪者にされちゃうことも多いですからね…

    ところでゴジラが人間に進化する説は、エヴァにおいて一般的に人間の形をしていない使徒であるカヲルが、人間の姿でシンジたちの前に現れるのと共通してる感じがします

    あと群体みたいな感じになっているのは、エヴァQのニアサードインパクトの影響で人間からエヴァの形状に進化しようとして固まっているやつに似ているなーと感じました

    1. CRESCENT LIMITED より:

      前のコメントでも触れましたが、『進化』ということば、ここでは不適切だと思います。
      シン・ゴジラを生物学上での1個体(生命体)として見るなら、『変態』とか『個体変異』、『変容』(または『変化』)が正しい使い方のようです。

      【進化の定義】

      進化とは、生物個体群の性質が、世代を経るにつれて変化する現象である。また、その背景にある遺伝的変化を重視し、個体群内の遺伝子頻度の変化として定義されることもある。この定義により、成長や変態のような個体の発生上の変化は進化に含まれない。
      また狭義に、種以上のレベルでの変化のみを進化とみなすこともあるが、一般的ではない。逆に、文化的伝達による累積的変化や生物群集の変化をも広く進化と呼ぶこともある。日常表現としては単なる「変化」の同義語として使われることも多く、恒星や政治体制が「進化」するということもあるが、これは生物学でいう進化とは異なる。
      進化過程である器官が単純化したり、縮小したりすることを退化というが、これもあくまで進化の一つである。退化は進化の対義語ではない。

      以上~wikiより~

    2. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      なるほど、たしかにそうかもしれませんね。私も似たようなことを思っていました。
      今回のテーマのひとつに、脅威や問題に直面した時にそれぞれがどう動くか、自分の意志で動けるか(好きなようにできるか)があるのではないかと思っています。
      矢口など若手政治家に始まり、キャリアを汚しても決断した石原さとみ、日本が下に見られようと頭を下げ続けた代理総理、命を捨ててでもゴジラをとめようとしたヤシオリ作戦の作業員などなど。

      おっしゃるとおりエヴァには、使途やエヴァを人間のような姿で描く描写が妙に多いですよね。ラストシーンのゴジラ人間も、もしかしたらカヲルのように人間に近付くために外観だけを人間っぽくしたというのもあるのでしょうか。

  24. at より:

    ゴジラは元々水爆や原爆を元ネタとしていますので、核で犠牲になった人々の亡霊ではないでしょうか

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      初代ゴジラはそういったプロットで作られたとも言われている様です。今回のシンゴジラは初代ゴジラに少しでも近づけるべく製作したと庵野監督も述べていますので、おっしゃるとおり、今回のシンゴジラも核で犠牲になった人々の亡霊という設定の可能性も十分考えられそうです。
      それに加えて、牧博士など今回新たに登場した人間の怨念もプラスαで加わっているではないかとも思えます。

  25. 匿名 より:

    はじめまして。

    初代ゴジラが本多猪四郎の反戦の思いを込めてつくられた作品であることは間違いなく、庵野さんもそこをブレさせることはないと思います。
    よって、僕はゴジラ自体が核(あるいは戦争全般)の犠牲になった人間の怨念から成ると考えるのが自然だと感じています。
    そもそもゴジラという存在がそうしたもののメタファーなので、そう解釈するのに時間はかかりませんでした。

    みなさんが、説明されてもいない複雑な設定を深読みされているのに驚きました。
    そういう深読みを観る側に促す走りとなった作品の一つがエヴァンゲリオンだと思います。

    しかし、独創的な設定を説明不足に盛り込みすぎたことによる混乱が、現在のエヴァの制作の停滞と決して無関係ではないと、僕は考えております。その点は庵野さんも反省されているのでは?

    続編はないと明言されているストーリーで、最後の最後に「あれは何形態でどうたら」といった小難しい設定またを持ち出してくるというのは、不自然であるように思うのです。

    私は一度しか観ていませんが、尻尾の先についた人骨は複数体あり、また自分には動いているようには見えませんでした。

    また、この映画は一見、日本は自衛隊がもっと活躍できる国にすべきだと主張しているようにも見えます。しかし、最後にゴジラを打ちのめしたのは、無人列車、ビル解体、クレーン、タンクローリーです。これは単純に自衛隊万歳の話とは捉えられません。
    最後に平和を希求するテーマに帰っていくのは自然な流れと思いました。

    シン、とタイトルにつけたのは、日本人はゴジラを、人間の知恵では説明のつかない「神」として描きたい、と思いからでしょう。海外のゴジラはリアルではあるが、あまりにゴジラを動物として描きすぎている。(いわゆるエメゴジにもそうした批判が多かったと思います)
    それを最後の最後で表現したのではないかと。
    でも、ネット上の皆さんが意外にもゴジラをどこまでも動物として解釈しようとしていることにも驚きました。意外に今の若い人はエメゴジを楽しめるんじゃないでしょうか?

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      私もそれに近い意見です。庵野監督は初代ゴジラに出来る限り近づけたいとも述べていますし、おそらくこれまでのゴジラが好きだった方だと思うので、ゴジラの神秘的でそれこそ神の様なその根本部分までは手をつけてないように感じます。
      ゴジラの誕生経緯や存在意義、目的などは、初代ゴジラとほぼ同じではないのかと。
      ただ、目的も分からず疾走した牧教授やラストの明らかに人の形にみえるゴジラをみると、これまでの神秘的な神としてのゴジラではなく、全く新しいキャラクターのゴジラとして描いていた可能性も捨てきれない部分もあります。みなさんの意見を観てみるとどうも庵野監督は自分の世界観を過剰に取り入れてくる方でもあるようなので。1作品限りの続編なしで作ったからこそ、色々と自己満足的な裏設定を組み込んでいるかもしれません。

      どっちつかずのコメントになってしまいました。

  26. JJ より:

    コメントさせて頂きます。

    最後のシーンは第5形態へ進化する途中だった説を推します。
    (敢えて進化と書きます。作中で「進化」と言ってますし、ゴジラを他の生物の常識に当てはめるのはナンセンスだと考えます)

    ガチャンと尻尾部分が動く意味深な描写も進化に向けての動きだったのではないでしょうか。
    第5形態がどのような姿なのか明確な答えはでませんが、よく言われている「より強いものになる=人間に近づく」「群れの脅威を知る=群体化」が私の考えに近いです。
    ただ人間に近づくだけであって、それは人間ではありませんし、巨神兵でもないと思うんですよね。あくまでもゴジラの第5形態です。

    また熱線の件ですが、ガスを出す器官のようなものが口の中にありそこから熱線が出ているだけであって、お腹(胃)の中で溜めた火炎を口から吐いてるというわけではないと思います。
    ですのでその器官が尻尾に付いていれば尻尾からも熱線が出るし、背ビレからも出るという感じじゃないでしょうか。

    ちなみに余談ですが、「尻尾は第1形態から形状が変わっていない。尻尾は持ち上がっていて常に頭と同じ高さにあった。」という事から尻尾こそゴジラの本体なのではないかという説もネットで見てちょっと面白いなと思いました。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      第5形態について、私も同意見です。やはり人間やそれこそ巨神兵などになるのではなく、ゴジラとしての進化だと私も思います。最後の骨から出てきた生物も、2回目観たところやはり背びれはついており完全な人間ではなさそうでした。

      尻尾はどうなのでしょうか。形状自体は第1形態~第3形態まではかわいいシンプルな感じでしたが、第4形態からあのいびつな骨交じりの形になったので形状の変化はあったと思います。尻尾が持ち上がっているというのは確かに気になりますね。熱線打ちまくって活動停止していた時も重力に逆らって突っ立っていましたし。昔のゴジラなら本体が倒れたら尻尾も倒れるはずだったのに。尻尾はよく観ると顔のようにも思えますし、おっしゃるとおり、尻尾こそが本体の可能性も十分考えられそうです。

  27. 匿名 より:

    ぶっちゃけアンチ、ヘイトで偏見を持って監督への考察。
     
    多くのスレを眺めていると、「何事も投げっぱなしジャーマン庵野」に毒されてると感じる。
    だってあの人って題材は何でも良いから自分のやりたい事をやっただけで多数が満足する終わり方をしない作品しか残してないじゃないですか、そんなんだから矢鱈と外野が騒ぐ結果に……外様の声なんて何とも感じてないんでしょうけどあの人。
     
    庵野=エヴァと見てる人が多いわけで、それならすぐわかるでしょうにエヴァTVシリーズ後は完全に蛇足で実験作品なんだってwww
    そんなだから終わり方に大した意味ないんじゃないっすか?尺がもっと長ければ第五形態も第六第七とやり続けてゴジラ題材に飽きちゃうってパターンでしょう。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      たしかに、全てがミスリードというか考え過ぎで、実際は何の意味もないのかもしれません。おしゃるとおり庵野監督はそういった事を過去によくやっていたようですしね。

      ただ、今回はエヴァではなく歴史あるゴジラシリーズに一作品です。庵野監督自身もおそらくゴジラファンでしょうし、その晴れ舞台で意味の無い遊びをするかは少々疑問です。(それでもやったかもしれませんが)なので、今回こそは真面目に作ったと騙されつもりで考察してみてはいかがでしょうか(笑)
      たとえ意味がなくても考察って意外に面白いですし、盛り上がっている今だからこそ楽しめるものでもありますしね。

  28. ネコロイド より:

    記事読みました!とても良い考察が書いてありすごく面白いですね!
    自分もこの前見てきて最後のシーンはどういう解釈なんだろうといろいろ考えたのですが、今回のシン・ゴジラのサウンドトラックの各曲の鷺巣詩郎さんのコメントで、戦いの後に流れた曲のところにこうありました。

    終止なのか、持続なのか、安定なのか、疑問なのか、いずれにしても複眼的なコーダ(音楽のしっぽ)は、せっかくの進化が凍結により閉ざされてしまうシン・ゴジラの尻尾のようでもある。

    というコメントがあり、この文章からする解釈だと、やっぱりゴジラは危機に瀕した時に次の形態へと進化しようとしたのかなという風に読み取れました。
    単純な解釈ではありますが作ってる側の人の話でしたので生きるために次へ進化しようとしたというのがやはり大きいのかなと思います(人形という点はまた皆さんの考察にもあるとおりまたいろいろ考えられそうですけど)。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      サウンドトラックにそんなコメントがあったのですね。貴重な情報まことにありがとうございます!
      そうですね、私もあれは危機から逃れるための進化の表れなのではないかと一番に考えています。

      上の”せっかくの進化が凍結により閉ざされてしまうシン・ゴジラの尻尾のようでもある。”の部分に驚きました。
      ラストの尻尾は、むしろ今後も進化を続けるために凍結から抜け出していく描写かと思っていたので、
      あれが凍結により閉ざされ、そこで食い止められているのであればラストの解釈が大きく変わってくるような気がします。脅威の再開 or 脅威の終焉かで。
      もしこれが製作者側としての発言であれば、かなり重要な意味を持つのでは!?

      1. ネコロイド より:

        自分もそのコメントにはとても驚きました。でも危機迫ったゴジラが次なる進化をして生命を繋ごうとしたが人間の手で止めた、となればこの物語はしっかりと完結出来てることとなると思うのでしっくりくるんですよね。

        ゴジラは一つの生命体として今作では言われてる部分が多いので人間しかりゴジラしかり、生き延びようとする物語でもあるんだろうなと自分は思うんです。ヤシオリ作戦が進むにつれてゴジラが苦しそうに見えるんです自分には。生きたいって言ってるような。
        だからこそ鷺巣詩郎さんが製作側の重要なファクターであるというのも大きいですが、この見解というかお話が答えなのかなと思うんですよね。

        ただ、やはり人型に進化しようとしたのは何故かということは疑問ではあります。
        自分としては、何故人型なのかというより人型のがそこにいるのだということが重要なのかなと。
        それこそ、皆さんの見解や想像などでいろいろ出てる過去の戦争のお話などゴジラから関連させられることと人間を繋げて様々な見解が生まれてます。庵野さんの作品はいつも何かしらの取っ掛りをつけていくような人で、おそらく庵野さん自身の見解はあるのでしょうけどあえてそれで固定させず、皆があらゆる想像を掻き立てられるそんな作品になってるということに意義があるんだろうなと自分は思います。

        ここからはその人型という面についての個人見解なのですが、シン・ゴジラのデザインで、眼球が人間のそれを元にしてデザインしてあると聞いたことがあります。それは人間こそが恐怖の対象であるからと。
        このお話を見つけた時に感じたのが劇中でもセリフとして少し出ましたが「怖いのは人間である」というキーワード。これこそが全てなのかなって思うんです。
        ゴジラは恐怖の対象ではありますが、本当の恐怖の対象は同じ人間であり、ゴジラは人間であると。
        これは生物的な意味ではなくもっと抽象的な意味で、人間こそがゴジラ(恐怖)なのだという事の暗示なのではないかという見解を持ちました。

        なんか長々と書いて失礼しました(>_<)

        1. syumi より:

          同感です。
          私も今回の話は、人間だけでなくゴジラの話でもあったのではないかと。
          今回のシンゴジラはこれまでになく生物感に溢れており、凶悪だったものの、これまでのただ単に破壊やバトルを繰り返すゴジラとは大分違って見えました。2回目観たときは、ヤシオリ作戦のゴジラが私も少し可哀想というか辛そうにも思えました。ゴジラ自身の生物として、”好きなようにしたかった”のかもしれません。

          ゴジラの目のデザインにそういった意味があるのは初めて聞きました。興味深いです。
          私も最後の人間の部分は、物体としてではなく比喩や象徴としての意味で描かれている気もします。
          そしておっしゃるとおり、ゴジラより恐ろしいのは人間というのは、まさに今回のシンゴジラに隠された一つの大きなテーマに感じます。また、初代ゴジラはもちろん、これまでのゴジラシリーズの根底にあった部分だと思います。
          今回、庵野監督は「初代ゴジラに少しでも近づけたい」と言っていましたし、初代ゴジラでも描こうとしていた”ゴジラとは何なのか”の部分を最後にあの形で表したのかもしれませんね。
          初代ゴジラのラストに「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない」という有名なセリフがありますが、もしかしたらそれに掛けて、シンゴジラのラストでは「あのゴジラ(恐怖)が最後の一匹だと思えない、ゴジラ(恐怖)は人間なのだから」といった意味があったりするのかもしれません。

          すみません、妄想が過ぎました(汗)
          また、なにかありましたらぜひコメントくださいm(_ _)m

  29. ゆば より:

    はじめまして。記事を拝見しました。色々なパターンの考察があり、とても面白かったです。
    まだ1度しか観に行けていませんし、肝心の尻尾のカットは、本編中に張り詰めていた緊張の糸が切れてしまって、半ば見逃したような形になってしまいました。その上での考察ですが、自分の考えを述べてみたくなり、ここに書き込ませてもらっています。

    「教授は一体何を好きにしたんだ」という、矢口の台詞の直後、ゴジラの体表の一部がゴトンと音を立てて動く描写がありました。かなり意味深なカット割りだった記憶があります。また、これと前後して、牧元教授の遺した図式が解明され、その直接的なヒントは、彼の遺した折り鶴でした。
    そして、彼の遺品には、メモ、折り鶴の他にもうひとつ。宮沢賢治が生前に発行した唯一の詩集、「春と修羅」です。エンドロールで確認し、めちゃくちゃ気になっていたところ、偶然家の本棚にあることが判り、すぐに読みました。意味を噛み砕くのにかなり時間を要しましたが、シンゴジを観た方には、是非、読んでみることをお勧めします。
    この詩集には序文として「序」という詩があります。

    「人は銀河や修羅や海胆は
    宇宙塵を食べ または空気や塩水を呼吸しながら
    それぞれ新鮮な本体論も考えませうが」(「序」一部抜粋)

    宮沢賢治は考古学、仏教などに幅広い知識があり、人も銀河も修羅も海胆も、宇宙に瞬く信号としては同列のものだという、哲学的な思考も持っていたようです。ここにも「修羅」という言葉が出てきます。「修羅」は、仏教界において、帝釈天に破れ続けた鬼神、戦神で、破れたが故に、5つの人間界と地獄の狭間にある修羅道に追放されたといいます(あくまで一説にすぎませんが)。
    表題になった詩、「春と修羅」にも散見される言葉です。

    「四月の気層のひかりの底を
    唾し はぎしりゆききする
    おれはひとりの修羅なのだ」(「春と修羅」一部抜粋)

    牧元教授は、自らを修羅だと言いたかったのではないでしょうか。あるいは、修羅になりたかった。奥さんを苦しめ、自分を苦しめた物質を生んだ人間を裁く神に。どうやって、という部分は分かりません、あくまで想像に過ぎませんが、劇中のゴジラが誕生するには、”ヒト”というピースが足りず、それを補完するために教授は海に飛び込んだ。パズルの最後の1ピースとなった折り鶴は、その隠喩でもあったのではないかと思うのです。結果、深海にいた何らかの放射能汚染生物が、爆発的に細胞レベルの進化を起こし、冒頭のシーンに繋がる、という。
    それから、「春と修羅」という詩そのものには、作中ゴジラそのものの比喩だと思われる描写も散見されます。詳しくは長くなるので割愛します。

    尻尾については、あの意味深なカットを考えると、牧元教授の思念の成れの果てのような気もしますし、進化の最終段階と考えることも出来ると思います。これに関しては、結論を出さなくてもいいような気がしています。

    いずれにせよ、もう一度観て、初回に拾いきれなかった説明等も補完したいです。長々と失礼しました。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      初めての視聴でそこまで細かく観れるなんて凄いですね、なんだか尊敬します。
      また、「春と修羅」に関する情報ありがとうございます。ここはノーマークでした。

      私は、牧教授が冒頭シーンでなんからかの作用をゴジラに与えたかと思ってはいるのですが、
      それは牧教授個人の意志や感情で行ったのではものではないと思っていました。ですが、ゆばさんがおっしゃっている通り牧教授の動機が修羅道的なものであると、今回のシンゴジラの観方が大分変わりそうです。やはり妻を見捨てた政府への恨みから修羅道に走りゴジラを利用したといった形なのでしょうか。もしくは人の道を外れてでもゴジラを利用しなければならない理由があったのでしょうか。
      「春と修羅」は何か意味がありそうなので、個人的にも調べてみようと思います。

      折鶴に関しては、広島平和記念公園にある原爆の子の像のモデルとなっている佐々木禎子さんが、広島原爆で被爆し亡くなる前までの間、病状を回復したいと願い折り紙で鶴を千羽折ったというエピソードが有名です。もしこのエピソードを比喩したものであれば、「妻の病状を回復させたかった」という無念を意味させているか、もしくは「妻はまだ生きており(もしくは妻がゴジラ?)、妻の病状を回復させるためにゴジラが必要」といった考察もできるかもしれません。

      いずれにせよ、思った以上に牧教授がゴジラに関わっているように思えてきました。
      ぜひもう一度観て、何かお気づきがありましたらコメントいただけると幸いです。

      1. ゆば より:

        原爆の像の折り鶴のエピソードは確かに有名ですね。そこには思い至りませんでした。
        しかし確かに、折り鶴は原爆で亡くなった方々のご冥福をお祈りするにあたって、今日では重要なモチーフとなっていますね。先だって「かの国」のトップが、広島訪問の際に子どもたちに渡したことでも話題になりました。
        記憶する限りでは、「人間を恨んでいた」という一言で説明されたので、その恨みが如何程の物だったのかは想像の域を出ません。ただ、放射能の力は、人間をDNAレベルで破壊します。放射能を完全に打ち消す、件の新元素を発見したとしても、牧教授の奥さんは助からなかったのかも、と考えると、修羅にならざるを得なかった理由も理解出来なくもないな、と考えてしまいます。

        「春と修羅」に関しては、テストのヤマをはったら偶然当たったという心情です(笑)。劇中の遺品に本が含まれていることには気付いていましたが、題名までは確認出来ず、最後のテロップで引用が流れてきたこと、ネット上で他に言及している方がいたことでやっと確信を得ました。おまけに、家に帰って情報を整理するまで、それがこんな考察まで至るとは考えてもいませんでした。詩集を読んでみてビックリした次第です。こういった考察は、他の方に任せておくのがいつもの自分なので。
        まだ映像の中にネタがありそうな気がしてなりません。一瞬の映像の中に、重要な小ネタを挟んでくるのは、庵野監督のお得意な手法です。「春と修羅」を読んだ後だと、また別の発見がありそうだな、とも思っています。正直詩の本文も、まだ完全に読み込んで理解出来たとは思えていません。

        いろいろと考察が出回っていて、読むだけでも楽しいです。
        庵野さんの出題に、また気付けるかは分かりませんが、とりあえずもう一度観てこようと思います。返信、ありがとうございました。

        1. syumi より:

          牧教授の心境はほんとに一体どんなものだったのでしょうか。
          おっしゃる通り、もし放射能を打ち消す元素を発見したのにそれでも奥さんを助けられなかったのであれば、気が狂い修羅道に入った可能性も捨て切れません。もしそういった単純な恨みでゴジラを生み出したのであればそれこそ”修羅”という言葉がこの上なく似合う感じがします。

          もう一度観て発見がありましたら、またお話頂けると嬉しいです。
          この春と修羅は、なにやら大きな意味がありそうに感じます。

        2. syumi より:

          この春と修羅のお話ですが、別記事で考察を書かせて頂きました。
          ゆばさんから頂きました意見も参考にさせて頂きました。

          http://cslbook.com/movie/3759/

  30. John Smith より:

    考察を拝見しました。様々な考えがあり参考になりました。有難う御座いました。
    ラストシーンの尻尾は第5形態(群体)への進化という説がしっくりきました。
    また、完全な生物である今回のゴジラですら(コントロール出来なくなった)炉心を破棄するとも見ることが出来、核に対する強いメッセージを含んでいるように感じました。
    先端部分が人間の形だったのは、原子炉を必要としない生活=食事を必要とする生活へ適応するためにその形を採用したのだと思います。

    さて、マキ教授に関してですが、私はゴジラ退治を試みて絶命した説を挙げます。
    その理由は冒頭でマキ教授の船が発見されてからゴジラが出現し、
    ・ゴジラ(第一形態)がいる周辺の海が赤く染まっていた
    ・これまで鳴りを潜めていたゴジラが急に日本に上陸した
    ・さらにエラから沢山の血が流れでていた
    ことからゴジラが負傷したような印象を受け、何かしらの水中で攻撃を試みたのでは、と思いました。
    マキ教授が何をしたのかについてははっきりとはわかりませんが、水中に居られない様にしたのだと思います。(初代ゴジラの芹沢博士のオマージュかも?)
    動機としては
    1.妻を奪った放射性物質を憎んでいた(天然の原子炉を持つゴジラも憎しみの対象になった?)
    2.研究から明らかになったゴジラの持つ新元素を危険視していた(作中でも暗号化している)
    の2つによって排除しようと考えたのではないでしょうか。
    また、マキ教授は日本に失望し学会からも追放されており、新元素を狙っている米国にも頼れない。故にたった一人でゴジラに挑むこととなった。
    船上の靴の形(綺麗に揃えて脱いでいること)から、自らを犠牲にする方法(例えば毒薬と共に自らゴジラに飲み込まれたとか)であったと予想します。
    研究資料や折り紙のヒントは、失敗したときの保険かもしれません。(折り紙をヒントにする辺り、日本への期待が伺えます)
    マキ教授は日本政府に失望こそしてはいましたが心の底では信じていたのでは…と思います。

    劇中の「マキ教授は一体何を好きにしたんだ?」というセリフが頭に残っていたため上記のことを考えました。
    憶測の長文で失礼しました。
    シンゴジラは見た後も楽しめる本当に良い映画ですね。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      >先端部分が人間の形だったのは、原子炉を必要としない生活=食事を必要とする生活へ適応するためにその形を採用したのだと思います。
      この解釈は興味深いです。たしかにあそこで起きた変化は原子炉のスイッチONOFFですもんね。それが次の進化の糧になってしまったのかもしれません。

      冒頭シーンの海の赤は、たしかに攻撃の後かもしれませんね。もしくは海中→陸上への進化時に不要な器官を血液と共に排出していた、もしくは進化時に体温調整が上手くいっておらず、血液を放出して体の熱を逃がしたとも考えられます。

      マキ教授の動機については、難しいところです。おっしゃる通り、善意からゴジラを葬るために行動したとも捉えられますし、上の”ゆばさん”のコメントの「春と修羅」を踏まえれば、マキ教授は修羅に走りゴジラを利用し何かを企てたとも考えられます。

      ほんとに噛めば噛むほど色々でてくる面白い映画ですね。

  31. uzuki より:

    庵野秀明監督は「一度きりの挑戦」とおっしゃっていたので、続編なり出るとしても別の監督になるんですかね。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      そうですね、でもここまで空前の大ヒットとなると、もう一回庵野監督で続編って話もちょっどだけありえるかもしれませんね。
      “シン・ゴジラ”として続編を作るのは庵野監督でも超絶にハードル高いと思いますが、話的にあと1回くらいはいけるのではないでしょうか(笑)

  32. ぶろ より:

    私が考えた考察を少しだけ。
    個人的にもしっくり来て自画自賛しています。

    尻尾の骨(第5形態)に関してはヒト型への進化で間違いないと思います。

    そこで考察①
    (これは考察②の後の時系列として適用される内容です)
    凝固剤投入量100%になったあと、数秒間暴れましたよね。あのシーンこそがゴジラの最後のあがきであり、進化シーンだと思います。でも進化し始めた瞬間に冷凍した。
    尻尾からヒト型への分裂進化は失敗に終わった。

    考察②
    (個人的にはコレかなと思っています)
    それから、最後のシーンにだけ注目しがちですが、
    私が一番気になったシーンはヤシオリ作戦の前。
    約2週間の活動停止中に尻尾がパキッと割れるだけのシーン。
    ゴジラは活動再開と共に尻尾からヒト型へ進化するつもりだったのでは。
    だから活動再開の数日前に尻尾にヒビが入った。
    でも活動再開前に人間軍が攻撃を開始したため、進化せず、第4形態のまま背中や口からビーム。
    人間軍を殲滅したら進化する予定だったんですかね。その流れで可能になったのが尻尾からのビームかも。
    その後時系列は考察①へ。

    庵野さん作としてヱヴァと紐付けるなら、
    人間のなり損ないのインフィニティですね。

    1. syumi より:

      コメントありがとうござます。

      なるほど、たしかにあのパキっとしたシーンで既に人型への進化は始まっていたのかもしれません。
      明らかになんか起きてますって描写ですもんね。
      あれまでもが何の意味も無くミスリードと言われたら、おしまいです(笑)

      という事は、おっしゃる様にその後の人間達の攻撃でエネルギーを使い、人型の成長が一時中断してまった形なのでしょうかね。
      私もいろいろ考えましたが、やはり第5形態の進化が一番辻褄が合って現実的かなと思います。

  33. 8939 より:

    皆さんの考察楽しく読ませてもらいました。
    特にラストシーンのアレについては、いろんな説があって感心しました。せっかくなので、考察とは呼べないかも知れないですがここに私の解釈を綴りたいと思います。

    結論からいうと、最後のアレは、日本が手に入れた゛天叢雲剣゛ではないのか、という案です。

    今回のゴジラにはヤシオリ作戦というヤマタノオロチを連想せざる終えない名称が出てきます。もちろんヤマタノオロチ=ゴジラであり、そのしっぽから何か出てくる、の流れはごく自然に天叢雲剣に行き着きますよね。
    では天叢雲剣を手に入れたスサノオ(日本)は次に何をするのか・・・

    妄想が膨らみますね笑

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      ヤシオリ作戦で考えていくと、そういう線もありえるかもしれませんね。
      庵野監督が、昔「ヤマタノオロチの逆襲」撮ったしエヴァのヤシマ作戦にも似てるから、ヤシオリ作戦だ!って感じで安直に名付けていなければ、そういったヤマタノオロチ方面の裏設定もあるかもしれませんね。
      私はこの辺の日本神話に疎いので、そっち方面の考察ができず無念です。2ちゃんねるなどで、天皇や皇居がどうだとか議論されていますが、あれもこういった日本神話が関係してきてるのでしょうか。

      1. 8939 より:

        私も詳しくないですが、アレをもとに日本が巨神兵を作り、遥か時を経て、草(森の化身、オーム)を薙ぎはらうシーンに繋がると考えると、天叢雲剣=草薙剣とも合致してワクワクするものがあったのでコメントを残さずにはいられませんでした笑

        1. syumi より:

          なるほど、たしかに草を薙ぎ払っていますね(笑)
          巨神兵説は、記事内で否定しておいて難ですが、アレはアレでなんだか面白そうな部分もあります。
          宮崎駿さんももしかしたらゴジラファンだったりして。

  34. あでらいーで より:

    上のコメントを読んでいて、巨神兵に刻まれている「古代文字の商標」が、よく見ると漢字で『東京工房』 と書いてあることを思い出し、思わずニヤリしてしまいました(笑)

    それとはまた全く別の話ですが、突拍子もない思いつきをしてしまったので書いてみようと思います。
    牧博士や形態変化などとは何の関わりもありませんが、重なっているかもしれない意味程度に受け取ってもらえればと思います。

    問題の尻尾のシーン、下(根元)から上(先)へと舐めていくカメラワークからふと連想したのは、モニュメントとして保存されている陸前高田市の「奇跡の一本松」でした。
    そこで思い付いたのは凍結したゴジラ(の尻尾の先)はあの世界の中でのひとつのモニュメントと化した、またはこちらの世界にとってのいちモニュメント=映画「シン・ゴジラ」そのものだ、という発想です。つまりあの尻尾のシーンはこの映画の主題とも取れるのでは…などと、いろいろ考えてしまいます。

    モニュメントでもう一つ思い付くのは、管理人様も別記事で言及していらっしゃる「原爆の子の像」です。折鶴は重要なファクターでもありますしね。
    ここで「原爆の子の像」と「尻尾の先」を比較してみると…
    前者は一人の少女、後者は数体(数人?)の人のようなもの、
    前者は折鶴、後者は…?

    私は一度しか観ていないのでうろ覚えで申し訳なく、記憶が正しい自信は全くないのですが、ぱっと見てっぺんにある「芯」もしくは「殻」のような菱形or三角形のものに、人様のモノたちが苦しそうに(シンゴジラポーズ?で)体をそちらの方に向けてくっついている感じだったと記憶しています。(もう一回観る予定なので、またしっかり見ます!)

    折鶴に比較されるそれのフォルムから連想したのは、
    「折られてる途中の折鶴」です。
    実際折ってもらうと分かると思いますが、最初に紙を大きくたたんだあとに、翼部分をつくる前段階の折り目をつけるのが済んだ状態。あれに心なしか似ている気が…します。とっても自信がありませんが。なにせ人の形に目を奪われていたものですから(汗)

    なぜ途中なのか。
    安易な考えかもしれませんが、
    「もし核弾頭が落とされてしまっていたら、ゴジラは骨になろうがどうなろうが折鶴は折り上がり、東京版『原爆の子の像』として完成してしまっていたかもしれないが、今回はそれを避けられた。しかしこれが終わりではない。人類は決してこの像を完成させてはならない。」
    というメッセージを含むからだと考えてしまうのが人情ではないでしょうか(笑)

    もしくは今の現実世界の宙ぶらりんな状況を暗示しているのかもしれません。

    なにせモニュメントですからね。それこそいろいろな意味が付与できてしまいます。

    駄文失礼しました。本当にゴジラのことばかりずっと考えてしまいます。恐ろしい映画ですね(笑)

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      モニュメントですか。これはまたまた新しい切り口ですね!
      たしかに最後のシーンは、そういった象徴的な意味を持ったシーンなのかもしれません。
      私もラストの尻尾の造形は細かくは覚えていないのですが、おっしゃるように折鶴がまさにこれから鶴の形になっていく形状に似ていた感じもします。
      まさに日本の中心、東京の中心で、尻尾だけではなくゴジラの体もろとも固まり佇んでいるのも、モニュメントとしての意味を強調している様にも思えます。

      ほんとにこの映画は恐ろしいです、私も元々映画とかを考察するのは好きなのですが、よりによって大好きなゴジラがこんな考察してくれと言わんばかりの作品となって帰ってきたため、もうこの世界から抜け出せません(笑)

  35. tom より:

    なぜ人間が出てくるか

    1番大きな理由は、
    監督が、意味深なラストにして、いかようにも解釈できるようにする手法が好きだから。

    一番意味深で議論が盛り上がるのは、人間が出てくるのがベスト。
    色々な解釈を、勝手に観客が考えられるから。

    そういうテクニック的な理由。

    次に、どんな解釈が妥当か。

    牧は、妻を失って、政府を恨んでいるので、
    311で死んだ人、今後、ガンになる子供たち、その家族など、
    放射能を憎む人、全員の象徴。

    そして、その怒りが、形になったのがゴジラ。

    人々の怒りは、どうなるか?

    何億人もの、放射能を憎む、世界中の人々、被災した人々は、
    それぞれ違う考えを持つ。

    原発を憎んだとして(原発事故を見たとして)、あなたはどうする?

    ある人は、もう忘れて日常生活をただ行う。
    ある人は、デモに参加したり、シールズ的な団体で活動する。東電、政府を糾弾する。
    ある人は、放射能汚染の日本から逃げ、移住する。
    ある人は、今でも福島に残る。
    ある人は、食べて応援。
    ある人は、汚染食品を子供に食べさせないよう、気にする。
    ある人は、テロを起こそうとする。
    ある人は、原発作業員になる。
    ある人は、ジャーナリストになる。
    ある人は、憎むどころか、逆に、再稼動、さらなる原発建設を、世界中で行う。

    怒りが、「有翼化し、大陸横断の可能性もある」、各々が「好きにする」

    制御できず、暴走する。また、足並みが揃わない。

    そんな人々が、観客。
    観客に「好きにしろ」
    =「自分の意思で、311にどう反応するか決めろ」「ちゃんと考えて、意思を持って対応しろ」

    そういう解釈をしました。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      そういった可能性も十分あり得るかと思います。
      まさに物語後半、諸外国の意思に逆らい行動した巨災対のメンバ、キャリアを汚してでも選択したカヨコ、情報漏洩のリスクを追ってでも協力した海外の研究所、プライドを捨て頭を下げ続けた代理総理、命を懸けてでもゴジラを止めようとしたヤシオリ作成の作業員などなど、
      ああいった流れを見せられると、観客自体にも好きにしろと問いかけているような気がします。

      今回、ゴジラ自体にキャラクターを与えなかったのも、ゴジラそのものをなにとして見るかも観客に委ねたのかもしれません。
      核、原発、戦争相手国、テロ集団、自然災害、もしくは人間の汚点、過ちなど、ゴジラ自体も人それぞれ様々なものに見立てられるかと思います。

      ただ、こういった事は例えあのラストシーンが無くても想像は出来る事かと思うので、もし観客に丸投げするつもりであのラストだと、ちょっとミスリードを誘ってるようでズルイですね(笑)続編の保険としても一応使えますし。

  36. taka より:

    様々な考察とても楽しく読ませてもらっています

    私も参加させてもらいたいので少し妄想を垂れ流してしまいます
    私の解釈だとゴジラは牧教授自身が自作の薬で変化した物だと考えています
    まず、牧教授がゴジラの原種の調査を行ったのは、妻を亡くす前か後かは劇中には言及されていないのですが、私は後だと考えます
    何かの理由で牧婦人は被曝してしまい、それを機に教授は生物学からエネルギー学に鞍替え、そして妻の死によりどこか壊れてしまったかのような突飛な研究を繰り返し日本をおわれ、米国の研究機関に移った、
    放射性廃棄物を取り込んで生きる生物の調査は生物学、放射線の研究、両方の知見を持った牧教授が適任と判断され調査が任された。
    しかし既に憎しみと狂気に取り憑かれていた牧教授はこの研究を自らの復讐の為に利用しようとする。
    そもそもゴジラの原種は放射能を取り込みエネルギーに出来るよう進化しただけの危険性の無い生物で、放射線の半減期の短い元素への変換効率も悪かった、
    そこで牧教授は細胞を活性化させる為の微生物を作成、ゴジラの原種に投与した所、あっという間に巨大化、体内に原子炉を有した超生物が誕生した、もしもの時の為に準備しておいた抑制剤と殺処分の為の設備で成長しきる前に殺してしまったが
    牧教授はこの生物を世界中から有害な放射性物質をなくす為に大量に増やしこの世界を埋め尽くせないか考えるようになった
    やっぱり教授は狂っていた
    ゴジラが短時間で進化し群体化までたどり着くために人間の遺伝子を進化の設計図として取り込ませる事を思い付き
    自らの身体をゴジラに変える事にした

    こんな感じです

    牧教授は狂っていたが人間の事が嫌いではないので(むしろ今更興味が無かった?)ゴジラを止める手立てを残した、もし核を使っていた場合、表皮を高熱に耐えるように進化させるとか、尻尾の先だけ地中深くに打ち込むとかして群体化は止められなかった気がします

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      とても興味深い内容でした。
      ゴジラを郡体化させばら撒き、放射能を吸収させる存在にする、風の谷のナウシカの巨神兵+王蟲を混ぜたような存在ですね。監督が庵野監督ですし十分あり得る話かなと思います。
      私自身もこの路線での考察を進めていましたが、それを完璧にまとめた様な内容でなんだかちょっと悔しいです(笑)
      それくらいこの考察には同意です。私には全く突っ込みどころがありません。
      これまでで最もピンとくる考察でした。

      1. taka より:

        ありがとうございます、まさか褒めていただけるとは・・・

        調子に乗って他にも考えていた妄想を垂れ流してみます
        ゴジラの形態変化についてですが、前回の私の書き込みを前提として考えると、人間の胎児は細胞分裂を繰り返しながら胎内で進化の過程を辿って人間の形になると聞いたことがあります
        ゴジラ細胞は人間の遺伝子を取り込んですぐ人の形には成れず(原子炉を体内に持つような人間は存在しない為)進化の過程を辿る為、まず水中生物になり(ゴジラの原種とほぼ同じ)、次にハイギョの様なエラと肺、両方を持つ生物に進化して上陸、第二形態の時エラから血が流れ落ちたのは肺呼吸に移行した為、そして直立し第三形態へ、しかしここで身体が進化に追いつかず再び水中へ、人間の先祖も一度上陸しようとして水中に戻ったとされる学説があり、イルカなどの水中哺乳類がその子孫だそうです、そして再び上陸、進化の過程では哺乳類は小さくなったそうですがゴジラは巨大化、つまり爬虫類である恐竜の様に進化しました、
        恐竜の絶滅の要因は隕石の衝突による環境変化と氷河期だと言われています。
        核による滅却と血液凝固剤による凍結、要因を重ねるには些か強引かも知れないですが、第四形態のゴジラは外部からの攻撃(変化)によって倒される。
        しかし第五形態の外部からの攻撃に強いゴジラが尻尾の先から出現し増え続ける。
        ここまでが牧教授のシナリオだったんじゃないでしょうか、しかし実際にはゴジラにとっての進化の秘宝とも言えるどんな形にもなれエネルギーを作り出し続ける万能細胞は抑制剤でその力を抑えられ第五形態ごと凍りついてしまった。あのラストはそういう意味かと解釈しています(もしくはそれさえも越えて第五形態が増殖している最中?)
        どちらにしてもこの先は巨神兵が蹂躙する世界しか想像が出来ないのが嫌な所です(兵器利用されれば確実に暴走)
        もう一つ、牧教授が何故東京を選んだかですが、多分第三形態までだと通常兵器で倒せてしまう+核だと跡形もないからじゃないでしょうか?
        今の時代どこに出現しても上陸後、建物を破壊しながら進む化け物が軍隊からの攻撃を受けない訳がないので、日本の人口密集地を選んだのかと、もしかすると政府の重要ポストの中に自分が日本から追い出された原因か妻が被曝した原因を作った人物がいるのかも知れないですが、どちらにしても牧教授には理由があって東京湾に決めたのだと思います

        1. syumi より:

          またまた興味深い返信ありがとうございます。
          頂いた内容に対して、私側の解釈を述べさせていただきます。

          ・進化について
          進化については、本来、陸上に上がった生物の爬虫類に先にある、究極的な生物がゴジラ(第4形態)だったのではないかなと思っています。人間はそれとはまた別の方向で進化したもう一つの究極的な生物。
          それで、takaさんが先のメールで述べていた通り、牧教授の狂気によりゴジラと人間が混ざり合ってしまった。それによって出来た神の様な生物が第5形態だったのではないでしょうか。

          ・ラストの尻尾ついて
          ラストの尻尾は、私は現在進行形だと思っています。ヤシオリ作戦が成功しゴジラがカチッと凍結するカットがありますが、その直後のゴジラの全体像を写すカットでは尻尾には第5形態がまだ見られませんでした。その後、少し時間が経過した後の例のラストシーンで第5形態が初めて生えてきていたので、あれは凍結では食い止められておらず現在進行形のものだと思っています。
          つまり牧教授は第5形態に進化するのは、もとから想定した上での計画だったと思います。抑制剤を作る基となった極限環境微生物のデータも、もともとは牧教授の残したデータですので、牧教授は、初めから血液凝固剤や抑制剤ではゴジラの進化を止められない(凍結させる事しかできずいずれ第5形態に進化する)と分かった上での計画なのかなと思っています。

          ・なぜ東京を選んだのか?
          これは、先のtakaから頂いたメールにもあったとおり、牧教授は人間は恨んでおらず、ゴジラで放射能を吸収させ無効化させようとしたのではないでしょうか。
          それでどう操ったかは分かりませんが、ゴジラを東京に向かわせ東京で第5形態に進化させ、まずは東京の放射能を吸収させようとしたのではないでしょうか。
          なぜ東京なのかは、まずは日本の首都から放射能汚染を無くしたかった?(ただ東京は放射能汚染されてないとおもいますが)もしかしたら、人間側が攻撃しなければ、ゴジラは東京を通り、福島を目指したのかもしれません。
          いずれにせよ、今回のゴジラはあくまで目的地に向かう→第5形態に進化→放射能を吸収をやりたかったのかなと思っています。それが人間が余計な攻撃をしてしまったために反抗され、あんな火の海になってしまったのかと。
          また、牧教授がさらにガチなマッドサイエンティストなら、ゴジラが目的地に向かう→第5形態に進化→第5形態で人類を破壊→放射能を吸収もありえたかもしれません。

          ↓の記事で牧教授が修羅に落ちたパターンでの考察も書きましたが、
          http://cslbook.com/movie/3759/

          もし、牧教授が修羅に落ちず妻を失っても放射能無効化のために動いていたのであれば、今ここで書いたような行動をしていたのかなと。(これはこれで修羅かもしれませんが(笑))

          だらだらと書いてしまい失礼しました。

          1. 匿名 より:

            ゴジラが放射能を吸収する描写も台詞も一切なかったけど
            あんたこの映画の何を見てたんだ?
            過去のゴジラと違って核物質を摂取する必要も一切無いし
            にわか知識とガバガバな理解力でゴジラを語るんじゃねえよ

          2. syumi より:

            コメントありがとうございます。

            >ゴジラが放射能を吸収する描写も台詞も一切なかったけど
            >過去のゴジラと違って核物質を摂取する必要も一切無いし

            私もこれと同じ認識です。
            劇中では、ゴジラが放射能を吸収する描写や台詞は一切ありませんでした。ただ、描写や台詞が無いだけで、放射能が吸収できないと100%断定された訳ではありません。

            その上で、ラストで示唆されていたゴジラの驚異的な放射能半減率から、今回のゴジラは周囲の放射能を吸収し無効化(半減)する力があるのではないかと”推測”して上のような記述をしました。
            また、ゴジラVSデストロイアの同じくラストで放射能吸収→半減の同じようなシーンがありましたが、これをラストシーン同士のオマージュにしているのなら、尚更に放射能吸収の力がある様に思えます。

  37. CRESCENT LIMITED より:

    ・・・ゴジラで放射能を吸収させ無効化させようとしたのではないでしょうか。・・・
    との文章で、ゴジラが放射能を吸収すると、確かに言及していますが・・・

    まだ「進化」という言葉」を軽々しく使用しているんですね。
    あきれたものです。
    どうやら日本人は「進化」という言葉が好きで、『シン・ゴジラ』でも台本が稚拙なため、
    無知なシナリオがまかり通っている。
    科学的な面とそうでない面を分け切れていない。それが庵野作品である。
    内容が「庵野式SFアニメ」とみられるのは当然です。

    根拠のない証拠が今だにまかり通っている。サルはもともとサル、人間はもともと人間。
    ヒトとチンバンジーの遺伝子は83パーセントちがうという事実。
    知能などで差があるヒトとチンパンジーですが、その遺伝子の配列に約1パーセントしか差がないことがこれまで大きな謎でした。
    しかしそうではないことが最近の研究でわかりました。
    理化学研究所を中心とする日本、ドイツ、中国の国際研究チームが2004年5月の英科学誌ネイチャーに発表した論文によりますと、ヒトとチンパンジーの遺伝子は実は83パーセントちがうという結果が出ています。

    劇中でも軽々しく『進化』という言葉が使われていましたが、
    『シン・ゴジラ』を生物とみるなら、以下と食い違っていてはいけないはず。

    ≪定義≫
    進化とは、生物個体群の性質が、世代を経るにつれて変化する現象である。また、その背景にある遺伝的変化を重視し、個体群内の遺伝子頻度の変化として定義されることもある。この定義により、成長や変態のような個体の発生上の変化は進化に含まれない。
    また狭義に、種以上のレベルでの変化のみを進化とみなすこともあるが、一般的ではない。逆に、文化的伝達による累積的変化や生物群集の変化をも広く進化と呼ぶこともある。日常表現としては単なる「変化」の同義語として使われることも多く、恒星や政治体制が「進化」するということもあるが、これは生物学でいう進化とは異なる。
    進化過程である器官が単純化したり、縮小したりすることを退化というが、これもあくまで進化の一つである。退化は進化の対義語ではない。
    突然変異は欠陥を生む。進化はしない。

    『シン・ゴジラ』を生物とみなさないのなら、
    なおさらこの『進化』という言葉は使えなくなる。

    「シン・ゴジラ」の設定(4形態変化)についても、

    まず、「形態的変化 」(morphological change)という言葉はあるが、
    「形態変化」という言葉はありません。
    ここでは便宜上、「形態変化」という言葉を使用します。
    「形態変化」と言えば
    『ガンダム・バルバトス』第1形態~第6形態(最終決戦用)や、
    『ドラゴンボールZのフリーザ』の4形態変化を思い出す人が多いでしょうが、
    過去の『ゴジラ映画』を一瞥すれば、自然と『へドラ』が頭に浮かぶはずです。
    日本人は「変身」ものが好きなのでそれをうまく利用した疑いすらあります。

    私の年代の根っからの【ゴジラ・ファン】たちは、ゴジラの皮を被った実写版「エヴァンゲリオン」という見方をしています。

    50年以上前から映画館で『ゴジラ映画』を観てきた私たちにとっては、
    『シン・ゴジラ』=『ニセ・ゴジラ』、
    庵野にとっては別に『ゴジラ』でなくてもよかったのです。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      >ゴジラで放射能を吸収させ無効化させようとしたのではないでしょうか。
      コメント欄のこの記述でしたか。
      劇中では、ゴジラが放射能を吸収する描写や台詞は一切ありませんでした。ただ、描写や台詞が無いだけで、放射能が吸収できないと100%断定された訳ではありません。その上で、ラストで示唆されていたゴジラの驚異的な放射能半減率から、今回のゴジラは周囲の放射能を吸収し無効化(半減)する力があるのではないかと”推測”して上のような記述をしました。
      また、ゴジラVSデストロイアの同じくラストで放射能吸収→半減の同じようなシーンがありましたが、これをラストシーン同士のオマージュにしているのなら、尚更に放射能吸収の力がある様に思えます。

      ・進化について
      進化についてですが、たしかに厳密な意味ではその通りです。
      ただし映画内で公式に「進化」という言葉を使っているので、読んでいる方に伝わりやすい様、私も進化で統一して書いています。
      またもう一つ加えれば、
      シンゴジラは人知を超えた存在です。本来の生命は世代交代をして進化していくが、シンゴジラは世代交代を介さずに魚類→両性類→~と進化を重ねていく。
      その驚異的な性質を示すため、「形態的変化」ではなく、敢えて「進化」という言葉を選んだとも考えられます。

      1. CRESCENT LIMITED より:

        「進化」とは、
        人知を超えない存在に使用する言葉であって、人知を超えた存在には使用できない言葉です。
        脚本が稚拙な上、科学的な語彙に知識のない人たちが作り上げた『虚構』こそが、
        今回の映画『シン・ゴジラ』なのです。
        「進化」という言葉自体が怪しい存在になりつつある昨今の現状を考えると、
        使用してはいけない言葉を脚本に入れたため、映画自体が怪しいものとなってしまいました。
        そもそも「庵野」自体が一番怪しい存在!

        >魚類→両性類→~と進化を重ねていく。

        は、最近の研究では、間違っていたということが一般的です。
        何億年かかっても自然に足や尻尾が生えてくることはありえませんが、
        遺伝子操作でホタルの遺伝子を羊に組み込んで、爪が暗闇の中で光る羊が簡単に登場してきます。

        著名な生物学者のトーマスハクスリーは「(種における)大規模な変化は何千万年もかかって起こり、その中でも本当に大規模なもの(大突然変異)は一億年程度かかる」と述べています。

        これとて、人知を超えた存在には使用できない言葉です。

        1. syumi より:

          進化という言葉を敢えてなぜ使ったか?を考えていくのならともかく、使い方が正しい間違っているをここで議論しても余り意味が無い気がします。

          それに、”進化”には生物学としての意味だけでなく、日常表現として変化の同意語的な意味もあるため、今回の劇中での使い方が決して100%間違っているわけでは無いかと思います。あなた様自身も認めていました通り。
          >日常表現としては単なる「変化」の同義語として使われることも多く、恒星や政治体制が「進化」するということもあるが、これは生物学でいう進化とは異なる。

          1. CRESCENT LIMITED より:

            確かに「使い方、正しい間違っているを議論する」場ではないかもしれませんが、意味はあると思います。
            それは、「ラストの第4形態の尻尾の骨から人間が出てくるシーンの解釈」を進化と捉えるならなおさらです。

            >日常表現としては単なる「変化」の同義語として使われることも多く、恒星や政治体制が「進化」するということもあるが、これは生物学でいう進化とは異なる。

            →「生物学でいう進化とは異なる」を当てはめるのなら、『シン・ゴジラ』が生物ではないことになります。

            日本人はどうもこの言葉を乱用するのが好きなようで(特に映画『シン・ゴジラ』で)、詭弁を使ってごまかそうとしている(悪意ではなく無知なゆえ)ふしが多く感じられます。

          2. syumi より:

            劇中のどこで”進化”が使われていたか細かく覚えていなのですが、矢口が連発していた認識です。
            矢口は生命学を専攻していた人間ではないので(おそらく)、矢口だけか言っていたのであれば、単なる日常表現なのかなと思います。(ポケモンが進化したぞ~的な)

            一方で、巨災対チームの間教授や尾形さんなど生命学に近い登場人物の間で、”進化”という言葉が使われていたのであれば、
            脚本の質が低いか、もしくは何かしらの意図があり敢えて”進化”という言葉を選んで使ったのかなとも思います。

            劇中で誰が進化という言葉を使っていたか、細かく覚えておらず失礼しました。

          3. CRESCENT LIMITED より:

            了解しました。
            私も劇中のどの場面で「進化」という言葉が使われていたかを細かく覚えていません。
            矢口は確かに連発していましたが、他の人物も言及していました。
            これは、矢口の専攻云々ではなく、誤った知識から作られた脚本の稚拙さからだと思います。

            『ラストの尻尾の骨から人間が出てくるシーンの解釈』は、第5形態への進化なのか変化なのか。
            それともまた別の意味があるのか・・・。
            続編があるにしろないにしろ、今回の『シン・ゴジラ』は生物として設定されているのか、エヴァンゲリオンのような兵器なのか疑問が残ります。
            余談になりますが、ゴジラの叫び(?)はたったの1回だったと記憶しているのですが。
            随分おとなしい『ゴジラ』だと思いました。

            今までの『ゴジラ映画』でしたら、必ず続編がありましたので、これで終わりではないはずです。
            (本人は1回だけと言っていますので庵野作品は終わりかもしれませんが・・・)
            「東京のど真ん中にゴジラを放置して終わり」は、乱暴すぎます。

          4. syumi より:

            シンゴジラの叫びは、私も冒頭を除いて1回だった記憶です。

            たしかに今回のゴジラは兵器の様な印象も受けます。
            敵(人類)の攻撃に対してはまるで機械的に処理していますし、色々考察しましたがなぜ東京に向かったかの理由も未だにさっぱりです。
            進化には以下の様な意味もありますし、
            >3 事物が進歩して、よりすぐれたものや複雑なものになること。「日々進化するコンピューターソフト」(デジタル大辞泉より)
            もしかしたら、ゴジラを生物ではなく物である事を示すヒントのため”進化”という言葉を使ったのかもしれません。

            もし仮にゴジラが物や生物兵器であれば、この作品のメッセージ性が根底から変わってくる気がします。
            個人的にはゴジラは、これまでどおり生き物であって欲しいです。

    2. より:

      あんたアホなん?
      もともと大衆向けの娯楽作品なんだからさ、そこ考えようよ。
      根拠がどうのこうのって言いだしたらゴジラの存在自体がおかしいだろ?

      進化という言葉の使い方についてもだけどね、例えば機械製品がパワーアップしたときにも「進化した」って言うことがあるだろ?
      その程度の解釈でいいんだよ映画のセリフについては。
      頭固いんだよあんた。

  38. 匿名 より:

    雨が降っていましたから、その時少しばかりの水を補給した可能性がありませんか?それでエネルギーの補給の足しにできたのかはわかりませんが。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      少なからずはエネルギーの足しになったのではないでしょうか。
      どの程度の水と空気で、どの程度活動できるかが疑問ですね。
      あの程度の雨だけで元気に動きまわれるのなら、それこそ各国が欲しがりそうなサンプルに思えます。

  39. koara より:

    初めまして。
    ゴジラファンでも有り、庵野作品のヱヴァンゲリヲンファンでもあります。
    「シン・ゴジラ」のラストシーンのしっぽですが、
    ヱヴァンゲリヲン序での、セントラルドグマに隠された白い巨人。
    その画像を見てください。
    その白い巨人の下半身=ゴジラのしっぽそのままです。
    ロンギヌスの槍で十字架に固定されてますが、
    引き抜かれると、普通の足に変化します。

    その白い巨人の正体は、アダムの最初の妻であるとされる「リリス」。
    アダムとは異なる「生命の源」であり、アダム系を除く全ての地球上の生物の始祖であり、その最終形態として人類(=第18使徒リリン)を生み出した存在。
    つまり「神」。

    「シン・ゴジラ」のシン・は、新しい観点からのシン・と、
    「神」の意味合いを持たせたシン・だと
    私は解釈してます。

    原子力に対する、人類への「神」からの制裁、警告かもしれません。

    そこに、原発を抱える日本の問題、法律が無ければ何も出来ない政府。
    想定外の出来事と連発する官僚。

    全てを皮肉った、庵野さんらしい作品だと思います。

    ゴジラの歯並びの悪さ、放射線の吐きかたは、巨神兵‼
    政府の作戦会議の様子、カメラアングルまでヱヴァンゲリヲンそのままです(笑)。

    庵野さん、
    ヱヴァンゲリヲン:Qを発表後、一時精神的に病んでしまい、
    ジブリの声優の件や、このゴジラの撮影も全て断っていたらしです。
    宮崎監督の働きかけや、スタッフの努力で、実現したらしいです。

    ヱヴァンゲリヲン劇場版最終も予定よりかなり遅れてますが、これを気に、
    頑張ってほしいです。

    シン・ゴジラ最高でした。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      たしかにリリスの下半身のあれは、シンゴジラのラストの描写を思わせるものがあります。
      私も”シン”に関しては、koaraさんと同じように、エヴァで描かれていた神の概念に近いものを感じました。
      おっしゃる通り、原子力や核に対する啓示を示したかったのかもしれませんね。

      なおゴジラ×エヴァについては、私なりの解釈を以下の記事で纏めさせて頂きました。もしお時間ありましたら観ていただけると幸いです。(エヴァについては正直理解不足の所もあり、解釈が間違っていたら失礼します。)
      http://cslbook.com/movie/3997/

      庵野監督は、そんなに病んでいたのですか。そこまでとは知りませんでした。
      それでもシンゴジラを作ったという事は、それだけゴジラを描きたい気持ちがあったのかもしれませんね。
      私も突っつくとこはあるもの、シン・ゴジラは本当に最高でした。

  40. youetu より:

    はじめまして。
    私の考えも少し吐き出させてください。

    私はラストの尻尾のシーンは庵野監督自身、明確な答えを持たないまま作ったと思っています。
    一緒に観た私の友人の言葉を借りるならば

    「お前らこういうのが好きなんだろ?」

    ということだったのかな~と笑

    私はこの作品自体は純然たるエンターテイメントだと考えています。
    意味深なシーンは数多くありましたが、大スクリーンでゴジラが暴れまわる姿に興奮できればそれでいいんじゃないかと思っています。それが庵野監督の作りたかったものなんじゃないかと。

    一度きりの挑戦と言っている以上続編の可能性もまず無いでしょう。
    だからこそ作ることの出来た素晴らしい作品だったと思います。
    どういった形でも捉えることの出来るラストや謎は、次回作を考えていないからこそ存在するのではないでしょうか?

    しかしそこまで横やりを入れておいて恐縮なんですが、考察自体を否定しているわけではありません。
    作品が世に放たれた時点でそれは作者のものでは無くなります。考察し、それを議論する人たちの手に委ねられるものでありますし、文学ではそういう考え方をします。

    作中で出てくる

    「私は好きにした。君達も好きにしろ。」

    という牧教授の言葉は、作中では矢口達へ向けられたものでしたが、同時に私達へ向けられた庵野監督からのメッセージだと思っています。単純にエンターテイメントとして楽しむのも良し、考察が好きな人はとことん深く掘り下げてみろよ、と。作り自体はオタク臭いような感じもしますが、これだけ多くの人から絶賛されているのにはこうしたところが理由なんじゃないかと考えています。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      庵野監督は特に意味を持たせず、観客にゆだねる様な描き方を得意?としている人物ともお聞きしました。
      おっしゃる通り、もしかしたらこのラストシーンには本当に何の意味もないのかもしれません(笑)
      牧教授のセリフも、まさに好きなように読みとれ!の意味があったのかもしれませんね。
      無いとはいいきれません。むしろその方が可能性として高そうな。。。

      ここからはあくまで私個人の感想ですが、
      それでもあのラストシーンの異様な造形を観ると、私は何かしら明確な意思を持って造った様にも感じます。
      あのラストシーンさえなければ、その後ゴジラがどういった風になるか人それぞれでかなり多くの解釈が描けたと思うのですが、
      あのラストシーンが来た事で、その選択肢が一気に狭められたと思うのです。
      私には、「明確な意図があるからしっかりと読みとれ」の意思表示にも感じました。それさえも罠かもしれませんが(笑)

      実際のところどうなのでしょうか。
      あの分厚い資料集にその辺は載ってるんですかねえ。

  41. noir より:

    はじめまして!皆様のご意見、楽しく読ませていただきました。
    本日観て来ました。楽しかった!

    最後の尻尾のシーン、私はモヘンジョダロの遺跡を思い出しました。
    一瞬にして命を奪われたかのような大量の人骨、超高熱でガラス化した砂や遺跡…
    ラーマーヤナに記されている神の兵器、アグネアの矢にて焼き尽くされたかのような。
    まるで巨神兵ですね!
    私もゴジラは裁定者と思います。劇中でもスクラップビルトと言っていますし、一度世界を焼き尽くし再生させる神の化身なのかも知れません。
    ただ、ヤマタノオロチの神話と作戦名も興味深いです。
    ヤマタノオロチ討伐後、尻尾から出てきた雨の叢雲。後に草薙の剣として三種の神器となり、天皇の武力の象徴とされているそうですが、その武力の代償が原爆被害者であるという、なんとも皮肉なメッセージが込められているのかな?と感じました。

    シンゴジラのシンは、私は神や新ではなく、Sin=罪 と解釈しました。法的な罪ではなく、宗教的、道義的な罪を意味します。

    巨神兵やエヴァもそうでしょうけれど、ヒトの罪をテーマにしたかったのではないでしょうか。

    最後まで読んで頂き、ありがとうございます!

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      そうですよね、私も今回のゴジラは裁定者や人の罪の化身のように思えます。
      やっぱり直接的にはつなげなくても、裏設定か何かで巨神兵やエヴァに繋げたい意図があったのでしょうか。
      ヤマタノオロチも気になりますね。おっしゃっているように、草薙の剣の意味があったのかもしれません。

  42. masa より:

    初めまして。
    『シン・ゴジラ』の元となった神話の八岐之大蛇
    首が八つ有るだけでよくわからない生き物(笑)
    何処で生まれ何が目的化さえわからない。あの巨体で何食ってるの(笑)

    シン・ゴジラに、似てますね。
    八岐之大蛇の火は八つの首から出ますが、ゴジラは
    口からだけではなく背中や尻尾からも出します。
    ゴジラの熱線の吐き方もアセチレンバーナーの炎を絞る時を素にしたゴジラの熱線良かった。

    ラストの尻尾が割れて生まれる第5形体(群体「草那芸之大刀」)人型修羅ゴジラを阻止もよかった。
    あくまで仮説ですが。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      ヤマタノオロチや日本神話は正直余りわかってないのですが、意外とリンクする所が沢山あるのでしょうか。
      久しぶりの日本版ゴジラのため、もしかしたら設定にも日本らしさを押し出していたのかもしれませんね。

  43. コルテス より:

    初めまして。大変面白い考察でした。
    意見交換も含め私の考えも少し投下させてください。

    私がまず疑問に思ったのはゴジラはなぜ東京へ?そして、2回目はなぜ鎌倉から?というところです。
    これに関しての私の答えは
    ・仮にどこかの地方に行ったとしても壊すものが無いから
    ・国がどのように考えてゴジラと向き合うかを描きたかったから
    ・2回目が鎌倉からなのは作中にもありましたが、海辺での迎撃では間に合うか分からないため距離をとらせた
    ・ゴジラは破壊神のような存在であるため人口密集地に自然と惹きつけられる
    ではないかと思います。自分が映画の作り手になった場合の考えでもあるので説得力はないかもしれませんが、演出上ということも考えられます。
    破壊されれば国そのものを失い兼ねない場所に破壊を体現したモノが現れた場合、必死になった人々がどうするかがよく描かれていたと思います。

    また、途中で2週間程停止しますがあれは充電期間であるととらえています。熱線を吐き、エネルギーを使い果たしたゴジラは活動を停止(最小限に)することで体表または肺に相当する器官から空気と水を吸収、変換し燃料として蓄えていたのだと思います。
    ヤシオリ作戦で熱線を無駄打ちさせたのもそうすることで動けなくさせることが目的でしょう。
    水と空気を変換していることから人や動物を吸収しなければならない段階はとっくに超えていると思います。

    次に形態変化ですが、第2形態の時にエラ部分からの流血に関して、あの瞬間にエラが必要無くなったのだろうと感じました。融血剤という考えをする方もいてなるほどと思いましたが、あれがエラを落とし肺呼吸になった瞬間ではないかと思います。
    ラストの尻尾ですが、本能的に血液凝固剤の影響の低いであろう尻尾から逃げようとしたが間に合わなかったと考えています。熱線を吐いているため排卵器官と考えるより間に合わなかったのだろうと考えています。
    第5形態として群体となるかもということもあったためこれが一番しっくりきました。少なくとも人ではないと思います。
    また、最初に受けた印象ではどこかで宗教絵における地獄を描いたものを見たような記憶が蘇りました。蜘蛛の糸で、お釈迦様の糸に群がる人の絵だったかも知れません。
    これに関しては、しっかりとした記憶では無いのですが、ゴジラは生物ではなく悪魔や鬼のような存在であるとしたのかもしれません。
    また、ゴジラは続編を匂わせる終わり方をよくしていたのでその様式美であるとも思います。
    ただ、続きそうな終わり方をしているけれどゴジラが間に合わずに固まってしまったようにここで終わりと言っているようにも思います。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。
      私も意見整理を込めて回答させて頂きます。

      ・なぜゴジラが東京に向かったか
      おっしゃる通り破壊演出の意味で東京を選んだ可能性も高そうです。
      よしログ ゴジラが東京・蒲田を最初に破壊したワケ 
      http://gyao.yahoo.co.jp/player/00309/v09888/v0987100000000564536/
      この動画内で「庵野監督は破壊しがいのある場所をゴジラに壊させようとして蒲田が選ばれた」と情報が述べられています。こんな感じで東京も選ばれたのかもしれませんね(笑)
      あと別記事で纏めていますが、シンゴジラには体内に生体レーダーがありそれで東京を目指したという解釈もありえそうだなと思っています。

      ・充電期間について
      おっしゃる通り、あの2週間の間に水や空気を取りこみエネルギーを蓄えていたのかもしれません。目覚めた後はやけに乱射していましたしね。途中雨が降っていましたが、あれもその表現の一つだったのでしょうか。
      なお一点疑問なのは、水と空気で生成した核エネルギーをどうやって運動エネルギーに変えているかの部分です。運動エネルギーや巨大化するためのエネルギーは物理的なものとして別に必要なのではないかと思っています。

      ・形態変化について
      私もあの第2形態に変化する際の出血は、素直に肺呼吸に変化した事の意味のように思えます。出血については、最初の海の血がなんだったのかが良く分からずあそこが気になっています。

      ・ラストについて
      ラストは、たしかにお釈迦様の糸に群がるような光景でした。なにかそういった宗教的な意味合いもあったのかもしれません。
      様式美の可能性もありますね。ちょっと今回のは後味が悪い感じでしたが(笑)
      あと、ネットで画像が流出しておりまじまじと見たのですが、やはり頭の骨格や手などは完全に人のそれであり人間の遺伝子が入っていたように思えました。ただ背びれもあったので純粋な人ではないかと思いますが。

      以上、長々と駄文失礼しました。

      1. コルテス より:

        返信ありがとうございます。もう少しだけお話させていただければと。

        核エネルギーと活動エネルギーの変換についてですが、あのゴジラにもエネルギー保存則が適用できるはずなので相互変換は可能だと考えられます。
        ゴジラが持つ炉は発電所として考えればそこから得た膨大な熱エネルギーを以ってゴジラの活動に変換が行われているととれると思います。

        第1形態時の海の変色については私も気になっています。
        ・何かしらの出血をしている
        ・海面温度の上昇により赤潮のような状態になっていた
        ・第1形態時は体から何かしらの化学物質が漏れていた
        というのが私の考えですね。ただ、海水が蒸発するほどの温度であることとトンネル内に漏れた海水も濃い赤色だったことから赤潮説は可能性として低いかなと。
        実は米軍がゴジラを秘密裏に捕獲していたが逃げられたため殺そうとしたが失敗、東京湾に逃げ込まれたとも思いましたがさすがにそこまでの関係性も無いかなと(笑)

        最後の尻尾の画像、私も色々見たのですがどうも人には見えないんですよね。
        大きくなるのが失敗だったと感じて小型化(第5形態化)しようとした結果たまたま似たというか。
        人やその他動物を取り込むという考察もありましたがすでにあらゆる生物の上にいる存在なので取り込む必要すらないのではと。そもそも興味すら持ってないようにも感じました。
        人の8倍のDNAを有していたことと人のDNAを有していたことは別だと思うんです。
        第0形態時にあらゆる動物を吸収したことは考えられますが、東京に現れた(形態変化が行われた)時点で吸収したものを元に発展したDNAであると考えています。

        再び長々と失礼しました。

        1. syumi より:

          返信ありがとうござます。

          もし核エネルギーから活動エネルギーへの変換まで出来るのであれば、ゴジラの持つ細胞は物凄い価値がありますよね。
          もしかしたらその力をアメリカは狙っていたのかもしれません。

          冒頭の海の血については、私も色々考えましたが、出血なのかなと思っています。
          ただあの状況でなぜ血が出るのかが分からないのですが。
          ちなみに『ゴジラVSデストロイア』でも映画冒頭でゴジラ達がすんでいたバース島が海底火山?の影響で消滅しましたが、その際のシーンでも同様に赤い血のようなものと湯気の様なものが撒き散らされていました。ここのオマージュの可能性もあり、もしくは東宝側でゴジラシリーズに共通する裏設定みたいなものがあるのかもしれません。

          最後の尻尾については、完全な人間ではないかと思いますが、私にはやはりなにかしら人間と関わりがある生物の様に思えました。
          特に頭の骨格がゴジラの様に突き出ておらず、まさに人の骨格でした。もしあれが単にゴジラとしてだけの進化であれば、ああいった反感を買うような造形には製作側としてしない様に思えます。もし本当に人間とは全く関係なくミスリードを誘うためだけにゴジラをああいった姿にさせたのなら、かなり悪質な気がします。

  44. 匿名 より:

    他の方も似たような考察してると思うけどヤシオリ作戦が八岐大蛇に飲ませた酒の名前からのチョイスだったりとかも意味ありげですねぇ
    八岐大蛇の伝承自体も鉄を生成する為の燃料を作る為
    辺り一帯を剥げ山にされた現地民の怒りと彼等が起こした戦争の揶揄だとか言う話もありますし
    ゴジラ=八岐大蛇として観ると無限に生成するそのエネルギーと進化の可能性が八岐大蛇の尻尾から出て来た宝剣なんて捉えられなくもない感じ

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      剥げ山にしたという話があるのですか。それは知りませんでした。
      八岐大蛇とも何やら関係深そうですね。

      仮にゴジラ=八岐大蛇となると、ゴジラの核の申し子というキャラクターがますます薄れていく様な気がするので少し残念です。

  45. PPP より:

    ゴジラは生み出されたというより牧教授本人が正体だと思います。船に残されたルート地図はゴジラの進路です。牧自身の確認のためでしょう。最後の尻尾の人形は「これは〜だ」という結論では無く、巨神兵、エヴァなど色んなミーニングであり、何なんだという新たなる恐怖、第5形態寸前で止まった事、危機は完全に去ってはいない事を表現していると思います。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      個人的には、最後のアレは何かしら確たる意味があると思います。
      もし選択肢をぼやかしたいのであれば、例えばブラックアウトしてゴジラの咆哮とかで終わらせたり、尻尾がカチっと割れた所で終わらせた方が自然だったかと。にも関わらず、ああいったファンからもブーイングを食らいそうな意表をついた造形のゴジラをラスト敢えて出し、選択肢を狭めたという事は、それなりの意図があったのではないかと思います。

      本当に確たる意味や結論もなくああいったシーンを入れたのであれば、庵野監督は作り手としてちょっと残念に思えます。過去にも意味ありげで意味の無い表現を庵野監督はよく行っていたようですが、せっかくのゴジラシリーズでしかも大事なラストでそれはやって欲しくないものです。

      感想文になってしまい失礼しました。

  46. ゴゴゴゴジラ より:

    管理人さんや皆さんの考察楽しく読ませていただきました!
    僕が考えたのと似たような内容も多かったですが、皆さん僕よりずっと細かいとこまで深く考えてらして、読むだけで楽しかったです!
    何人かの方が書かれてた、最後の尻尾=草薙の剣と言う話が面白く、八岐大蛇の神話のこともいろいろググってしまい、劇中に出て来るヤシオリやアメノハバキリの意味も分かり興奮しました!笑
    神話の中では、草薙の剣は天羽々斬より優れた素材(技術)で出来た剣なんですね!

    そこで僕なりの妄想をしてしまったので書かせてください!笑
    考察ではなく妄想ですみません…笑

    シンゴジラの続編がもし出るとすると、やっぱりVSシリーズみたいに新たな脅威が襲来すると思うんです。
    で、人間たちは兵器や技術を用いて対抗するけど、あと一歩のところで解決までは導けず…
    その最中、凍結されているゴジラの尻尾に進化(分裂?子ども?)の予兆が有り、それが新たな脅威に有効かもしれないという事が議題にのぼる。(武力的にかもしれないし、放射能による問題を収束させるためかもしれない)
    草薙の剣を使うべきかどうか決断を迫られる政府。
    最終的にもう手段はそれしかないとなり、ゴジラを解放。
    ゴジラのお陰で新たな脅威から人類は救われるが、その後ゴジラは…!?

    みたいなストーリーを妄想しちゃいました。笑
    舞台は日本ではなくNYの方がしっくり来るかもしれませんね。
    今作が八岐大蛇伝説を一部モチーフにしている事から、ありえなくもないストーリーかなと勝手にワクワクしてます。笑
    今回のシンゴジラが福島の原発事故をモチーフにしているなら、僕の妄想上の続編は、原発事故を目の当たりにしてもなお原発を稼働させようとしたり核兵器を持ち続ける人類へのメッセージ的な作品が作られそうだなーと。

    八岐大蛇伝説とシンゴジラの一番の違いは、天災か人災かってとこだと思います。
    八岐大蛇は河川の氾濫の象徴で、天叢雲剣というのは八岐大蛇の頭上にいつも雲がかかっていることから付けられた名前っていう説が有りますね。
    対してゴジラは人の生み出した放射性物質が原因で生まれた、人の罪の象徴。
    自分たちの暮らしを豊かにするために危険なものを生み出しその豊かな暮らしを守るために外敵を排除する人間は、見方によると罪深いですね。
    八岐大蛇伝説も、昔全国各地にあった、天災をおさめるために若い女の子を生贄に捧げるような風習が元になってるみたいですしね。
    一番怖いのは人間、ですかね。笑

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。
      とても面白い考察でした。そんな続編ぜひ観てみたいです。
      私も次回作があるならば、商業的に考えてもやはり怪獣同士のVSシリーズに突入していくんじゃないかと思います。また今回のシンゴジラで入ってきた新規の観客達は、単に怪獣バトルではなくシンゴジラの様な社会派テーマも同時に求めてくるかと思います。そうなるとおっしゃっています様な”脅威だと分かっていて利用する”的なテーマはとても合っている気がします。今回のシン・ゴジラの延長線上でその決断を描いてしまったら、相当な重い話になりますよね。それこそ”罪”の上塗りかと。これまでにない雰囲気の怪獣バトルが期待できそうです。ほんとにそんなVS物を観てみたいです。

      理由は何にせよゴジラを生み出してしまった牧教授、ゴジラを利用しようとした米国エネルギー省、ゴジラを攻撃し核の均衡を破ろうとする米軍、そして自らが生み出したのにも関わらず何の躊躇も無くゴジラを葬ろうとする人類などなど、今回のシン・ゴジラは、これまでになく罪や人間の恐ろしさを生々しく描いた作品だったと思います。せっかく確立したこの雰囲気を壊さないまま、次回作に続いていって欲しいものです。

  47. より:

    初めまして。
    色んな考察が飛び交っており、こういう感じの人の考察を読むのが好きな自分にとってとても……良いです。(語彙不足)
    私も自分なりの考えがあって、尻尾に関してはそれこそ色んな人の考察があって(第5形態説派です)、それとは別に少し気になったのが上向きになった「手」です。単純にカッコよさや禍々しさの演出か、何かを欲しているのか。手のひらを見せることでのゴジラなりの無抵抗のサイン……とも取りにくい(貫通弾をくらうまでは歩いてただけだが)し。ネットで浅くではありますが「掌上(しょうじょう)を運(めぐ)らす」なる中国?の言葉があるそうで、掌の上で物を転がす(運らす)さまから、自由にあやつる、思いのまま行うという意味になるのだとか。これが検索でヒットした時に、今回のゴジラの手は牧教授が「好きにした」結果(自分自身が変化したのか、制御下に置けたのかは分からないが)を象徴するものであり、ゴジラをどうにか「好きにしたい」人類に対しての皮肉または挑発なのかなぁと感じたり、感じなかったりしました。牧教授自身はそんな回りくどいサインはせずに人類に中指立てたかったかもしれませんが(笑)

    以上単純にそんな言葉もあるよ的な稚拙な考察でした。
    VSシリーズっぽい続編待ってます。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      私もあの手は気になっていたのですが、未だに理由が分かりません。ネットではそんな考察があるのですか。たしかに手のひらで転がすサマにも見えますね。
      いずれにせよ不自然なほど一度も手の平を下に向かせたことが無いので、単にデザイン的な事以外にも何か理由がある様に思えます。そういえば尻尾が重力に逆らい常に上向きになっていたのも気になります。
      意外とこんな細かいところに重大な秘密が隠されていたりして(笑)

      VSシリーズ期待ですね!今回は最後ちょっと不完全燃焼感があったので、今度はゴジラに思う存分暴れてもらいたいです。

      1. より:

        返信ありがとうございます!
        ちょっと見返してみて自分のコメントが言葉足らずすぎで気になったので付け加えさせてください。
        単純に「掌を上に」のような検索をかけたらそのような言葉(掌上)がヒットした(たしかgoo辞書)ために、掌の上で〜という考えに行き着きました。なのであくまで私がそうこじつけくさい考察をしたというだけなのです。申し訳ありませんっ。

        1. syumi より:

          ご丁寧にありがとうございます。

          考察なんてこじつけでいいんじゃないかと思います、私もこの記事で色々こじつけて書いてますし(笑)
          掌の上での考え方はとても面白いです。私はそういうのもあるんじゃなかいなと思いました、

  48. 福ちゃん より:

    特撮監督が樋口真嗣監督ですよね、ならばヤマト2199でふんだんに取り入れられた量子力学
    的な部分も化学考査にはいるのでは密かに期待しております。量子力学では真空から莫大なエネルギー
    が取り出せる(宇宙戦艦ヤマトの推進エネルギー)はこの真空のエネルギーからです。
    ならば霞を食べて生きることは物理学的に可能になります。

  49. 匿名 より:

    人間取り込んでる説についての疑問です。
    >・そして、シンゴジラは人間の8倍もの遺伝子情報を持っていると劇中で述べられています。
    →これって、ただ単に情報量の基準を人間にしただけですよね?

    人間取り込んでる説の根拠にはならないような。

    血が赤いことが根拠にしてましたが、血が赤い生物他にもたくさんいますよ。それに両生類→爬虫類という形態変化ですので、魚出発と考えれば血の色もおかしくなく、根拠としてはかなり弱いかと。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      遺伝子情報の量や身体の赤さは、たしかに決定打にはなりません。
      ただ、大戸島の伝説をリンクさせているところや今回のゴジラの物理的エネルギー源がはっきりしてない事などから、
      もしかしら人を吸収している線もあるのではないかと思いました。

  50. 匿名 より:

    巨神兵は有り得ないと断言されているのが気になります。
    syumiさんは、続編は有り得そうだが、会社が違うために巨神兵になる事は有り得ない、と考えられたようですが、あくまで続編という作品としての話で、考える余地がないと言えることでしょうか?

    僕は、続編としては有り得ない。しかし、あの世界の未来としては有り得るというスタンスです。

    続編で巨神兵に進化することはないと思いますが、その想像が筋違いかと言われたら、そんな事はなく可能性のひとつとしてあって良いと思います。なんなら、パラレルワールドとして有り得ても良いと思います。

    時代的に実写巨神兵は前という考察がありますが、巨神兵になると考えてる人でも、そのまま実写巨神兵の世界に繋がると思っている人は少ないと思います。

    そのまま実写巨神兵の世界に移るとは全く思いませんし、会社が違うから、そういう続編が作られるかと言われたら、その可能性は低いでしょう。そういう意味では有り得ないと言っていいでしょう。

    しかし、シン・ゴジラが現れた世界の結末として、巨神兵になるという可能性はないと、有り得ないと断言できるものではないと思います。

    そのように考えても良い余地を庵野さんは与えて下さっていると思います。

    例えば、続編が作られるとして巨神兵にならなくても、今回のラストから、巨神兵へと至るルート(パラレルワールド)を想定してみてもいいと思います。しかし、有り得ないと断言はできないでしょう。

    庵野さんは、どのようにかんがえてもいい、巨神兵になると想像してもいいと考えてると思います。(これについては、人型の造形が実写巨神兵と似ていたという程度のことから得たあくまでも発想です。)
    庵野さんが、根拠が一個人の直感、想像によるものを否定するとは思えません。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      巨神兵については記事内でも書きましたが、”正史”上で交ぜる事はないのではないかという考えです。
      会社うんぬん的にもそうですが、それ以上にゴジラシリーズとジブリシリーズが正史上本編でリンクしてしまうのはブーイングの嵐でしょうしタブーの様な気もするのでおそらく無いかと思っています。

      でもそれはあくまで表面上の話であり、裏設定としてはゴジラと巨神兵は関係してる可能性も考えられます。
      私もシンゴジラ・巨神兵・エヴァこの3つは庵野監督の中での裏設定としてパラレルワールドではないかと思っています。どの作品においても2015年前後に壊滅的な被害がおきていますし。裏設定としてはおっしゃいます通りもっと色々な考察ができてくるかと思います。

      私が述べたのは、あくまでゴジラシリーズの正式な続編や正式な後日談として、巨神兵に繋がることはないのではないかという話でした。

  51. シンゴジバカ より:

    昨夜12回目を観たシンゴジバカです。

    12回目を見る前に改めて「巨神兵東京に現る」のDVDを見ました。
    やはり尻尾の先っちょから飛び出しつつある複数の人型は、やはり巨神兵に激似でした。
    ただ冷温停止直後のゴジラの尻尾の形は放射線流(劇中ては放射能熱線とは言わず)を放出時の形状でした。

    あのビル屋上でのカヨコと矢口の語らうシーンはある程度日にちが経った後でその間に変異したか透けたのか、また新たな疑問となりました。

    それと間先生が劇中で語っていた「有翼化し大陸間を飛翔する可能性すらある」という事からして、背中から翼状のモノが出て居たという指摘もありました。
    で、私は続編が「シン・ラドン」或いは樋口真嗣監督の手による「シン・ギャオス」になるのでは?と推察しました。
    そのもう一つの根拠が、初代ゴジラが破壊した東京タワーも現代なら当然破壊されたであろうスカイツリーが出てこなかったことがあります。

    これはシン・ラドン又はギャオスが破壊又はそこに巣食う為に温存したと言うのは考え過ぎでしょうか?

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      12回!12回は物凄いです、日本でもトップクラスなのではないでしょうか(笑)
      ゴジラも喜んでそうですね。
      巨神兵については本文で思いっきり否定してしまいましたが、形状は私もとてもよく似ていたと思いました。裏設定やいずれの保険として巨神兵に似させておいたのかもしれませんね。
      私もあの凍結~カヨコと矢口の屋上シーン~ラストのしっぽの間には少し時間経過が入っていると思います。凍結直後にゴジラの全体像を写したシーンでは尻尾に変化はまるで見られなかったので、少なくとも凍結直後に尻尾からあの生物が出てきたとは考え難いです。

      シン・ラドンとシン・ギャオスは考えもつきませんでした。ギャオスは巨神兵と同じく製作会社やブランド的な問題で難しい気がしますが、ラドンはもしかしたらあり得る気もします。エンドロールに何故かラドンのテーマが入っていましたしね。初代ラドンも確か放射能の影響を受けたという設定でしたし。
      それに今回のゴジラは東京タワーも含め、いい具合に名所的な建造物を外してきましたよね。もしかしたらおしゃるように、次作でここを壊そうという予定が組み込まれていたのかもしれませんね。そうなると舞台はまた東京でしょうか。
      どんな形になるかわかりませんが、ぜひ続編には期待したいです。

  52. 七坪氏 より:

    初めまして。

    皆さんの考察素晴らしいと思ったので私も予想を述べさせていただきます。

    私はあの尻尾の正体は進化ではなくメッセージでは無いかと思います。
    今回のゴジラのキャッチコピーは「現実対虚構」
    シン・ゴジラは非常にリアルでしたね。
    国会の動き、震災を思い出させる蹂躙後。

    このリアルさから私は、「現実」と言うのは、今の日本や世界の現状を意味するものではないでしょうか?

    今はテロを起こしたり、ミサイルを何度も撃ったり。
    人を平気で殺したり。くだらない事件を起こして人生を棒に振ったり。

    ネットに溺れ、デマにすぐ惑わされすぐ声を上げ周りを恐怖へと誘う。

    政治についても記念撮影を断ったくらいであーだこーだ騒ぎ立て、野党が何だ、与党が何だ。
    そんな日本・世界に対しての怒り、または呆れを現したのがシン・ゴジラ。
    第三形態になっても全く攻撃はしなかった。それは「今ならまだ殺せる。日本の未来か、二つの命か選べ」と言っているのではないか?
    実際島本先生曰く「老夫婦に構わず撃っていたら倒せていたと庵野が言っていた」と言っている。
    そして米軍の攻撃で傷つきゴジラは放射流線を放ち大量の死者を出した。
    それは、「人類が今更協力してももう遅い」と言うことを知らせているのではないか?
    そしてラストのゴジラ「言いか。これは一時的に止めただけだ。次に自分が動いた時、それが人類・地球の終わりになると思え。そしてこれだけは忘れるな。本当の化け物はお前ら人類だ」
    そう言っているように読み取れる。
    そしてあの蠢いていたのは人類の末路では無いか?
    このままいけば人類は本当にこうなる。
    私はそう思う。

    以上が私の考察です。
    駄文で申し訳ありません。

    それと続編はあってほしくありません。
    だってもう「ゴジラ」というジャンルから抜けてしまうのですから。
    それに監督も「一度きりの挑戦」としています。
    しかし…続編どうなるかは分かりませんね

    ではでは。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      熱い内容のコメントで興味深く読ませて頂きました。
      おっしゃっていますような今の時代を皮肉り、今の時代に問いかけるようなテーマがシンゴジラには多数散りばめられている様に思えます。
      老夫婦で発射できなかったシーン。私は老夫婦の命を必死に守ろうとする政府、そこに佇む無抵抗なゴジラの構図に何か皮肉のようなものを感じました。
      人の命はあれほどまで重視するのに、無抵抗なゴジラの命はどうでもいい的な。
      それは当然で間違った事では無いのですが、まるで射撃を待っているかのように佇む第三形態を見ると、人間のエゴの様なものも感じとれました。

      ヤシオリ作戦で一致団結し「最後は日本を立て直していく」的に綺麗に?締めました。
      でも今回のゴジラでは、なぜゴジラが誕生したのか、一体アレは難だったのかなど根本的な部分には触れず、言ってみれば突如起こった問題に対処しただけです。本当の問題はゴジラを生み出した人間側にあるハズなのですが、そこを今回のゴジラでは描いていませんでした。
      私はそういった意味で続編を期待します。このまま終わらせず、人類はゴジラをどう考えるのか、ゴジラを今後どう扱っていいくのか、を”現実”の目線で追っていって貰いたいと願います。

  53. おじゃまします より:

    ご考察、以前から読ませていただいておりました。
    『巨神兵東京に現わる』をつい最近見まして、主様のご感想と同様「シンゴジラって基本的にワイド判のこれだよな」という感想を持ちました。とともに、経緯が省略された短編だけあって余計にそう思ったんですが『なんで裁かれるか、判ってるよね?』と言われているような妙な気分にもなりました。
    「我々は何も悪いことはしていないのに、理不尽にも…」という感想が湧かないのは不思議といえば不思議ですが、黙示録的破滅については、誰しも何か「漠然と思い当たるフシ」を抱えているのかもしれません。

    「ゴジラ=戦没者の怨霊」説というのがありますが、公的には初代の映画公開後三十年も経過してから評論家によって初めて主張され、奇矯な説として退けられることなくそれなりに説得力ある見方として今に至るという、妙と言えば妙なことになっているのも、初代ゴジラの”裁き”について、当時の人々が一番ピンと来た理由が、ひとつには
    「貴様ら、本土決戦を覚悟するとか最後の一兵まで戦うとか、あの約束はいつ果たすのだ。我々は貴様たちが後に続くものとして信じて戦い、死んだのだぞ。この裏切り者め」という、戦没者からそれを言われると、戦後に生きるものとしては大変困る事柄だったのではなかろうかと考えます。
    だから、その問いを「自分への問い」として受け取ることができる戦争体験世代がある程度減少するまでは、公的にはばかられる見解だったからではなかろうか、とも思います。

    シン・ゴジラを見ながら、私は、今度は、第一作でゴジラを鎮める(庶民の無垢を守る)ための生贄にされた(とも解釈できる)芹沢博士が怨霊となるとすれば…というかなり偏った見方をしていました。
    そして牧博士の遺書に「ゴジラをつついて、福音たる夢の放射性元素を取り出すことに成功するか、それに失敗してゴジラ人間たちに征服される運命をたどるか。私は勝手にその準備をさせてもらった。君たちも好きにしたまえ。ただしその責任はすべて君たちが被るのだ」という、人類の科学を信じ、かつ人類そのものには猜疑心を抱いて死んだ科学者の怨霊らしい「意地悪」を感じたものです。
    で、やっちゃうんだろうなあ、と私は思います。
    国家の決定には、望むと望まざるにかかわらず、「国民の運命」が委ねられる、いわば一蓮托生のものであり、もともと国策に反対であろうと、後になって「悪い軍部や政治家に騙されて」と言い訳しようと関係ないのだ…という、身もふたもない国家の現実が描かれているようで、「重い怪獣映画だなあ」と思ったものでした。
    乱文、すみません。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。
      また、以前の考察から読んで頂ただき誠にありがとうございます!

      初代ゴジラから続く元々のゴジラも、今回のシンゴジラも、巨神兵もエヴァもですが、これらは全て単なる怪物ではなく罪をはかり裁く裁定者的なポジションの怪物であると感じます。庵野監督はおそらくゴジラのそういったポジションに惹かれ、また今回のシンゴジラでその部分をさらに強調して描いたのではないかと私は感じました。

      私も牧教授と芹沢博士はリンクがあるかと思っています。牧教授が東京湾を選んだのも芹沢博士へのリンクを張ったようにも思えます。
      第一作で芹沢博士が投げかけた事を継承した上で、おっしゃっているようなマッドサイエンティスト的な選択を再び人類に投げかけたとも十分考えられそうです。

      今回のゴジラの会議シーンはこれまでのゴジラには無い要素で面白かったですが、私も人類の命運が掛かっているような事を一部の官僚でえポンポンと決められ進めていく部分にはなんとも言えない感情を持ちました。これが例えばインデペンデンス・デイとかであればいいのですが、リアルを意識して作ったシンゴジラで見せられるとなんとも言えません。現実にもしゴジラが日本に現れたら、こうやって官僚の手に委ねられていくのでしょうか。矢口のような人物ならまだしも、よく国会で目にする腐ったような官僚や政治家に決められるとするならば悲しいものがあります。

  54. たちゅまる より:

    ゴジラが人間を取り込んでいる説、大変面白かったです。
    前半(?)上陸後、通過ルートの瓦礫の中、亡くなった人の衣服?だったか靴だったかが映されるシーンがあったと思うのですが、(ごめんなさい、一回しか視聴できてないのでちゃんと見えませんでした…)
    視聴時は、「被害者のむごさを暗示するオブラートに包んだ表現で、あくまでグロさを隠したかったのか」と思ってましたが、帰宅後にこの「人を取り込んでる説」というのを拝見して、
    この落ちてた靴の理由や、なぜ都心を目指していたかについて一気に自分の中で解決しました!ありがとうございます。
    真偽は置いといて、凄くストンと胸にしみました。

    今回コメントさせていただいたのは、「溶血剤」の下りについて違和感を覚えたので、そこについて意見を書かせていただきます。

    おそらくこの溶血剤説を書いた人は、アンチトロンビンなどの「凝固阻害因子」をイメージされてると思います。
    本編で使用されていたのがトロンビンという「凝固因子」であったので、それに対する真逆の作用というと凝固阻害因子アンチトロンビンとなります。

    ですが、アンチトロンビンはあくまで血液が固まる作用を邪魔するものであって、「溶血」であったり、本編中のエラ器官からの「出血」をおこすものではありません。

    書かれた方は、「凝固」vs「線溶」や、「溶血」、「出血」などの用語をごちゃ混ぜにして誤解しているように私は感じました。
    アンチトロンビンを牧教授が使っていた(本編中のトロンビンへの対抗馬として、牧教授の「好きにした」の解釈にアンチトロンビンを想定した)としても、
    そこから「溶血」や「出血」には繋がらないと思います。

    溶血とは、酸素を血中で運んでいるヘモグロビンが壊れることをさし、したがって、まず線溶効果(凝固阻害効果)のあるアンチトロンビンとは全く別の現象であり、用語の使い方が間違っているのは確実です。
    また本編中の出血シーンについては、文字通り「出血」であり、そもそも「溶血」とは全く意味が違います。「溶血」というのは、あのような出血をきたすものではなく、例えば脾腫などの病態をきたします。

    アンチトロンビンを使うことも、出血とイコールではありません。
    たしかに線溶効果のあるアンチトロンビンを使えば、凝固阻害はできますが、
    それはあくまで血液が固まりにくくなる(血栓ができにくくなる)というだけで、「出血」に至るためには何か別の原因が必要です。
    特に、人間の血液が固まるルートは2通りあって、トロンビンのような「凝固」と合わせて、血小板による「凝集」もあります。
    で本編中の出血を「出血時間の延長」という専門用語で理解すると、あれは「血小板の減少」と解釈されます。
    つまり「出血」に至った原因の一旦は、「血小板」であり、「線溶」とは異なります。
    なぜなら、「線溶」(凝固阻害)は「出血時間の延長」といった検査項目では評価できず、そもそもPT時間/APTT時間などという別の検査項目で評価するものだからです。

    私自身は、「牧教授がアンチトロンビンを使っていた(抗凝固を狙っていた)説」はあり得無いと思っていますが、
    今回書かせていただいたのは、なにもその意見を否定したいって話ではありません。
    あくまで、劇中の「出血」と「線溶(抗凝固)」は別物だよって指摘と、「溶血」という用語を持ち出すとさらに全く別の話(ヘモグロビンの破壊)が混じってますよ(笑)というお話でした。

    ご参考までに。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      丁寧に専門的な解説ありがとうございます。たしかにこの説はたちゅまる様の解説を読んだ上でみると、溶血と出血がごちゃごちゃになっているような気がします。
      ただ、話の流れとしてはこの説の切り口は今もピンときているので記事中に残させていただきます。

      ゴジラはもともと海底に住んでおり体内に核溶炉を持ち血液で溶炉を冷やしている動物である、そして牧教授は溶血剤ではないにせよゴジラになんらかの作用を与える薬を開発しゴジラを活性化させ地上に上がらせたのではないかと、そんな流れだと私は思っています。

      劇中で第2形態がエラから出血していましたが、あの出血は陸上生物になり不要になった器官を吐き出すための出血かと思われます。ただ、冒頭の東京湾に漂ってた大量の血については今もアレが何なのかよくわかりません。進化の跡なのか、それともゴジラが活性化し周囲の魚などを食べ荒らした跡なのか(それにしては多い気もしますが)、一体なんなのでしょうか。
      なんらかのヒントだと思うのですが、わたしには分からず仕舞いです。

      また人間を取り込んでいる説についてですが、私もあの瓦礫のシーンで靴があったかははっきりと覚えていません。この人間を取り込んでいる説はいくつか批判コメントも受けましたが、今も個人的に可能性の一つとして考えている説です。あの巨体で何十キロと東京縦断している訳ですし、第2形態から第3形態に変化するシーンがありましたがあのシーンでは単に立ち上がっただけでなく体面積自体が確実に巨大化していました。
      そのエネルギー源として、核分裂反応だけでなく物理的に食料として取り入れるエネルギーも別に必要なのかと思っています。加えて『シン・ゴジラ』は過去のゴジラとリンクの無い、初めて新人類の前に現れた設定の全く新しいゴジラであるにも関わらず、初代ゴジラ内のみでの劇中設定となる大戸島の呉爾羅伝説をわざわざリンクさせてきているわけですからきっとそれには理由があるはずです。そう考えるとやはり人間を食べていたとどうしても思えてきます。

      1. たちゅまる より:

        あっいえいえ、溶血剤の下りは、全然残しといて大丈夫だと思いますよ。
        用語の使い方が曖昧かつ不適切であるため、見る人によっては説得力が低下しているというだけで、
        私は、牧教授アンチトロンビン使用説や、もしくは何か代替の薬剤使用によるシンゴジの意図的活性化説など自体は、あってもいいと思ってます。
        妄想は多岐に渡った方が楽しいですもんね(笑)

        単純に牧教授の薬剤使用説を想定する上で、出血シーンを論理的な根拠として挙げるのは、厳密には微妙だと感じただけですので。あまり気にしないで下さい。

        私も出血シーンの解釈が、個人的に消化不良でちょっとモヤモヤしてます!
        一体どういうことなんでしょうね〜陸に上がったことと関係があるなら、
        海の時点で出血してたのはなんだ!?って話になりますし……。
        アンチトロンビンとは関係ないにしても、何かしらの原因があったはずです。

        なんらかのヒントと言われると、解き明かしたくなります(笑)私にも分かんなかったですけど。
        もしそこから牧教授の「好きにした」などへの解明に繋がるとすれば、夢が広がりますね!映画考察の。

  55. 名も無き者 より:

    私は(庵野監督)好きにした 君らも(解釈側)好きにしろ

    口から食べ物を摂取しそうにない形状(舌がない・喉の穴が見当たらない)なのにどうやって凝固剤を血管内に浸透させたか… しかも頭が下がった状態で少しも垂れてこない…

    あの巨体で一点からの浸透であの速度で凝固するものなのか…
    浸透させた部分から固まり始めるはずだと思うのですが そうなると全身には回りきらないのでは…
    (血液の速度が超高速?)
    あの尻尾の比率からして持ち上げて動かすのは比重的に無理があるのでは…(前傾姿勢でも無理そう 中身スカスカ?)

    巨大な何かを動かす映画にありがちな慣性無視のような速度の動きが見られる(反撃シーン)

    失った大量の血液はどのように補填されるのか…

    酸素や水はどこから摂取されるのか…(呼吸の描写がない)

    深く考察しようとすると負け なような気がしました。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      そもそもの話ですが、今回のゴジラは超細胞というもので空気からあの莫大な運動エネルギーを作っている事からも、様々な法則を無視している設定のように思えます。
      ですので、おっしゃられる様な物理的な話は深く考察するのは、たしかに負けなような気がします。進化の方法にしても人知を超えていますしね。。。

      一方でストーリーやシナリオの方は、基礎の部分はかなり固めている印象を受けましたので、考察しがいがある様な気がします。

  56. 匿名 より:

    今レンタルして最後のシーンを考えていましたが、恐らくそんな凝った設定のない巨神兵っぽいもので庵野監督のファンサービスなのではないかな?と思いました。数も頭だけ数えましたが6体以上いましたし、牧教授とも考えにくいですし。

    ただ第5形態の進化であって、次回作への伏線と考えたほうがいいですけどね!

  57. 名無しさん より:

    あれは離陸時に尻尾でやられた総理達では?

    現実世界でも原発廃止に踏み切れないなら 国のトップであるお前達は この先もずっと

    一番身近で見ていなければならない皮肉表現でしょう。

  58. 匿名 より:

    レンタルしてみて考えてみましたが
    教授は
    ・核(放射能だっけ?)を恨んでいる
    ・sillさんのおっしゃったように
    溶血剤でゴジラを上陸(目覚めさせた?)させた
    ・それによって他の方がおっしゃっていた
    放射能を無くそうとした(半減期とかのやつ)
    この3点が「私は好きなようにした」という
    教授の言葉に繋がるのかな?と思いました

    ラストの尻尾に関しては
    ・分裂して凍結を逃れようとする生存本能
    ・新たな形態(小型化+飛行能力?)を
    見せることで続編の示唆?

    って感じでそもそもこの二つに関しては無関係なのでは?と思いました。

    長文失礼しました。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      教授とラストの尻尾のアレは、直接的には関係ないのかもしれません。
      人間には似ていましたが、それが教授というのは少し無理矢理な感じもしました。
      おっしゃられる通り、特に深い意味はなく単に第五形態となったことを表しただけなのかもしれません。

      ただ、何度も見ましたが、あれはやっぱり意図的に、人間であること(人間が混じっていること)を表すデザインな気がします。教授ではないにしても。

      ファンからはブーイングがくるのは間違いないこと承知で、あんなデザインにした以上、何かしら背景にメッセージがあるような気もします。

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