記事公開日:2016年9月1日
最終更新日:2017年11月13日

ゴジラ

ネタバレ考察『シン・ゴジラ』のストーリーを暴く ~人類を救おうとした牧教授~

※シンゴジラのネタバレを含みます。

数々の謎に包まれた『シン・ゴジラ』。

このシンゴジラの謎に満ちたストーリーを当ブログサイトでは散々考察してきましたが、一つまとまった考察が出来たので以降で纏めたいと思います。


本記事は、牧教授が人間を救おうとする”良い奴パターン”の
考察となります。

なおこれと対となる、牧教授が人類に復讐する”悪い奴パターン”の考察は以下となります。↓
「シンゴジラ」の牧教授の正体と目的は?折鶴・春と修羅・ラストの尻尾の謎を考察

 

1.シン・ゴジラのネタバレ考察1章 ゴジラ誕生~牧教授の妻の死までのストーリー

 

①シンゴジラの元となる生物が、海中に生息していました。これがどういった生物かは分かりませんが、とりあえずパンフレットでデザイン元と述べられていた深海ザメの「ラプカ」と仮定しておきます。

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海中で生活していたシンゴジラの元生物 ※イメージです

②諸外国が放射能廃棄物を投機し、ラプカがこれを食べます。(もしくは食べずとも放射能汚染)
③ラプカは放射能に汚染されます。ラプカは苦しみ、その環境で生き抜こうとしました。結果、放射能を無効化する力を身につけ、突然変異生物「シンゴジラ第0形態」となります。
④米国エネルギー省(DOE)が、シンゴジラ第0形態を発見。研究を始めます。
⑤牧教授も、なんらかのツテでこの研究に参加します。
⑥米国エネルギー省(DOE)がシンゴジラ第0形態を研究し結果、以下の様な特性がある事を発見します。
・ある作用を与えると、放射能を無効化する効果を発揮する。
・ある作用を与えると、世代交代を介さず(死を超越して)に急速に進化していく。魚類→両生類→爬虫類の生物進化の過程を瞬時に歩み、その先にある生態系の頂点に君臨する完全生物(それが第4形態)に行き着く。つまりシンゴジラ第4形態が、人間とは対になるもう一つの生物の完成系。

デザインの詳細は前田真宏のコンセプトスケッチを基に庵野、樋口、竹谷、尾上克郎が打ち合わせを行い、「完全生物」「生物として突き抜けた存在」という方針が決まった
wikipediaシン・ゴジラより

 

⑦そして米国は、シンゴジラ第0形態の特性を、核戦争に対する抑止力として(核攻撃されても無効化で対応)利用しようしました。また、ゴジラを第4形態に進化させ、その驚異的な破壊力を武力的な抑止力(大量破壊兵器)としても利用しようとしました。
⑧牧教授は米国のその陰計画に気付きましたが、相手が大きすぎるため、どうする事も出来ませんでした。
⑨牧教授の妻がなんらかの理由で放射能に汚染されます。(おそらくは福島原発事故?)
⑩牧教授は妻を何としても救い出したいと願い祈りましたが、願いはかなわず妻は死亡。また、この件に対して日本政府は何もしてくれませんでした。

【補足:折鶴』
ここでの、牧教授のなんとしても妻を救いたい願望・祈りが、クルーザーに置かれていた「折鶴」に掛かってくると考察します。

折鶴について
折鶴について、広島平和記念公園の「原爆の子の像」のモデルとなっている佐々木禎子さんが、広島原爆で被爆し亡くなる前までの間、病状を回復したいと願い、折り紙で鶴を千羽折ったという非常に有名なエピソードがあります。

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広島平和記念公園の「原爆の子の像」

シン・ゴジラのネタバレ考察2章 牧教授の妻の死~ゴジラと人間の融合までのストーリー

①牧教授は、妻を失った事で生きる目標を失い、絶望的な日々を過ごしました。
②牧教授は、当初は日本政府を恨んでいましたが、それすらもどうでもよくなり、徐々に精神が壊れていき、心の闇に堕ちていきます。
③そして牧教授は、自らの心の絶望の隙間を埋めるため、世界全体を平和に導こうとする大志を抱き始めます。

【補足:宮沢賢治】
ここでの、世界平和に広げていく思想が、クルーザーに置かれていた「春と修羅」の著者である宮沢賢治の思想に掛かってくると考察します。
宮沢賢治は、最愛の妹を亡くした絶望から「世界全体が幸福にならないうちには個人の幸福はありえない」といった独自の幸福論を持っていた人物です。

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春と修羅の著者「宮沢賢治」。独自の幸福論を持っていた。

④牧教授は、「世界平和は何か?」と考えた結果、シンゴジラに目がいきます。シンゴジラは抑止力になるというよりは、いずれ戦争(核戦争)を助勢し、放射能を世界にばら撒く結果を作りかねないかと。そして世界を平和に導くためには、米国のシンゴジラを利用した陰謀計画を世間に向けて暴き、かつシンゴジラの持つ放射能無効化の力を妻のような放射能被害にあった人達のために有効活用しようと。
⑤そこでどうしようかと考えた牧教授は、ゴジラと人間を交ぜたら、その力を有効活用できる新たな存在が出来るのではないかと導き出します。
ゴジラを第4形態にまで進化させたことで得られる驚異的な生命力&放射能無効化の力、そしてこれに人間の持つ”知”の力が加われば、その莫大な力を正しく有効活用できるまさしくシン(神)のような生命体が誕生するのではないかと。
牧教授は妻を失ったショックでやはりどこか精神が壊れており、このようなマッドサイエンティスト的な発想に行き着きました。

【補足1:春と修羅】
ここでの、牧教授のマッドサイエンティスト的な修羅的な思想を、クルーザーに置かれていた「春と修羅」に掛かっていると考察します。

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宮沢賢治の短編詩集「春と修羅」。修羅に堕ちたもの悲しげな詩がいくか見られる。

【補足2:エヴァンゲリオン】
庵野監督が手がける「エヴァンゲリオン」シリーズでも、生命と知(知恵)が交わると”神”になるというテーマがあります。『シン・ゴジラ』、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』とタイトルを被せている点からも、同じような神の概念、神への進化の概念として扱っていると考察します。

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シンゴジラと共通点も多い『エヴァンゲリオン』。生命の実と知恵の実、両方を併せ持つ者が完全な生命体となれると扱われている。

⑥牧教授はこれに加えて、もしいらぬ事故が起きた時の為に、シンゴジラの活動を停止させる「極限環境微生物」の研究を行い、そのデータを保険として残します。
⑦全ての準備が整った牧教授は、米国エネルギー省(DOE)から第0形態を持ち出し、クルーザーにて東京湾に向かいます。
そして、メモを残します。「私は(シンゴジラを)好きなようにした。君たちも(この放たれるシンゴジラを)好きにしたまえ」と。
⑧牧教授は、なんらかの方法で人間(牧教授)と第0形態を融合させ、加えてゴジラを進化させるなんらかの作用を与えます。パンドラの箱が開かれ、シンゴジラはついに進化を始めます。

 

 

シン・ゴジラのネタバレ考察3章 映画冒頭~ラストまでのストーリー

①シンゴジラ第0形態は、急激な速度で進化を始め、まずはラプカ?から第1形態に進化します。これが映画『シン・ゴジラ』の冒頭で描かれていた巨大な尻尾の生き物。
②その後、シンゴジラは第2形態(両生類?)、第3形態(爬虫類?)、第4形態(哺乳類?)と生物が本来何千年もの月日を掛けて行う進化の過程を一気に歩みます。
③そして、牧教授の想定の範囲内かは分かりませんが、ゴジラは2度に渡り日本に上陸。これを受け、日本政府や米国はシンゴジラを攻撃し、好きなようにします。
④結果、シンゴジラ第4形態は、自己防衛のため人類への反撃を開始します。
⑤米国はシンゴジラの反撃を受け、核攻撃に移り、好きなようにします。
⑥日本政府は核攻撃を止めるため、牧教授の残した極限環境微生物データを利用し、血液凝固剤を作成。
血液凝固剤の力で、シンゴジラを凍結させ、好きなようにします。
⑦しかしシンゴジラの進化は食い止められず、第4形態の体内でゴジラと人間を交えた神の様な生命体第5形態に進化が行われます。そして、劇中ラストシーンでついに尻尾から飛び立ちはじめます。
(凍結直後にゴジラ全身を写すカットシーンがありしたが、その時点では尻尾に第5形態の姿が全く見られなかったため、あれは食い止められたのではなく、進行中と解釈します。)

【補足:牧教授】
牧教授の目的は、とにかく第5形態まで進化させる事が目的だっかと考察します。
シンゴジラがいくら完全生物と言えどもあそこまで巨大になったり、日本に上陸したり、はたまた人類と戦闘に入るとまでは想定していなかったと考察します。

シン・ゴジラのネタバレ考察4章 映画のラスト~その後について

尻尾から第5形態が湧き出て終わった、映画『シン・ゴジラ』のラストシーン。
あの後どうなるかについて、以下4パターンを考察します。

パターン1:放射能無効化能力を有効活用
尻尾から放たれたシンゴジラ第5形態は、放射能無効化能力だけでなく知能も併せ持つ。
人類は第5形態と対話し、第5形態を従え、世界各地の放射能汚染を無効化させる活動を依頼する。
第5形態の力により放射能被害が減り、世界が平和が訪れる、牧教授が望んでいたハッピーエンドパターン。

パターン2:核発射により世紀末へ
第5形態も、第4形態同様に攻撃意志は持っていない。
だが、第5形態が尻尾から飛び立った事で、契約通り、米国からの核攻撃が開始される。
何体からの生き残った第5形態達は、人類に敵対心を持ち自己防衛として攻撃を仕掛ける。
第5形態の攻撃と、一度使われてしまった事により均衡が崩れ核兵器が乱用されるようになり世紀末状態へ。

パターン3:第5形態による破壊活動
第5形態は、第4形態からの意思を引き継いでおり、また知能も併せ持つため、
これまでの経緯から人類を敵と理解し、核攻撃ある無しに関わらず人類に対して攻撃を始める。
各国に飛来した第5形態は、破壊活動を繰り返す。

パターン4:進化失敗
第5形態に進化し、尻尾から飛び立とうとまではしたものの、なんらかの理由により活動停止。とりあえず危機は逃れました、めでたしめでたしパターン。

以上4点を考察します。
どのパターンになるのかは、それこそ人間側の選択の結果、どう好きなようにしたかに懸かっているように思えます。

 

どうしても解けない謎

最後に、今回考察したストーリーでは、どうしても辻褄が合わせられない謎があります。
それは、「なぜ牧教授は東京湾を選んだのか」、「なぜシンゴジラは確たる意思がある様に2回も東京を目指したのか。」この2点です。

今回の考察を前提にすると、牧教授は東京湾でなく、それこそ誰もいない無人島などでゴジラを進化させた方がいい気がします。
なぜわざわざ人々に被害もでる可能性が高い東京湾を選んだのか、そしてなぜシンゴジラは2回も東京を目指したのか。

ここがどうしても謎で、今回考察したストーリーでは辻褄が合わせられませんでした。

 

こちらは裏話満載の公式の設定資料集ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ(マニア向け)↓

まとめ

以上、牧教授が人間救おうとした話と題して、ストーリーを考察させて頂きました。
抜けや間違いがありましたら、失礼します。

また今回の考察は、コメント欄でご意見頂いたtakaさん、ゆばさん、匿名さんの考察も参考にし一部取り入れさせて頂きました。貴重なご意見を頂きありがとうございました。

□関連記事

本記事は、牧教授が人間を救おうとする”良い奴パターン”の考察として書きました。
これと対となる、牧教授が人類に復讐する”悪い奴パターン”の考察は以下となります。↓
「シンゴジラ」の牧教授の正体と目的は?折鶴・春と修羅・ラストの尻尾の謎を考察

【シン・ゴジラ疑問点まとめ】ゴジラの目的、謎や続編考察、元ネタ小ネタなど

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コメント

  1. りら より:

    一連の記事、たいへん興味深く拝見いたしました。
    「春と修羅」の解釈についてあくまで私見ですがコメントさせていただきます。

    クルーザーに残された折り鶴と「春と修羅」を見て、(仔細はわからないがこのクルーザーに乗っていた人物は「(ざっくりいうと)世界平和」を望む人物なのだろう)
    ということがわかる仕組みだったと思います。少なくとも私は冒頭のシーンをそう理解して映画を観始めるに至りました。視点の方向付けをされた、と言いますか。

    単に修羅をあらわすモチーフであれば宮沢賢治の作品である必要がありませんが、賢治作品であればどれでも良いわけでは当然ないでしょう。故人(妻)への想い、真の幸福追求という意味でなら「銀河鉄道の夜」も該当しますが、そこで銀河鉄道を選べるのなら、牧教授は世にゴジラを解き放ったりはしない。(そもそも映画のイメージと合いませんが。)
    理性では抑えられない悲しみ、怒りやネガティブな感情、正しく昇華しきれない自らの「修羅」に苛まれた教授が選ぶなら「春と修羅」の一冊になるでしょう。

    ゴジラの真相追及の過程で折り鶴にヒントを求めざるを得ないように、賢治の作品や思想を辿るように牧教授が仕向けたという事なのかなと思いました。

    今コメントを打ちながら気づきましたが、映画で印象的だった「スクラップ&ビルド」のキーワードは賢治の代表作「雨ニモマケズ」の詩のイメージとリンクしやすいものですね。

    君たちも好きなようにしろと突き放すような事を言いながらも、人を信じ未来に希望を託した。そんな牧氏の心を表した折り鶴と一冊だったと思います。

    コメントついでに、、別記事でしたが、
    個人的にはゴジラはじゅうぶんかわいそうに見えました。
    必要以上にゴジラの立場やゴジラ自身への同情が描かれなかったように、積極的なゴジラへの憎しみも描かれませんでした。
    「仇~」といいながら攻撃するシーンはありましたが、巨災対の面々が「ゴジラめ!殺してやる!」と怒りをあらわにするような事はなかった。
    ヤシオリ作戦決行後、喜びの声ひとつ上がらない現場。兎に角ほっとした、どっと疲れた、脅威はまだそこにあるから手放しで喜べない~などなど色んな見方があると思いますが、もしかしたら、言い知れぬ後味の悪さもあったのかも…??
    例えば野性動物の害獣駆除に罪悪感や、、逆に快感は伴うのか? 経験のない私にはわかりませんが、駆除すると決めた以上相手への同情や申し訳無さは、内に秘めてその業を背負うものなのかも?と想像します。
    矢口は進化するゴジラに思わず「すごい」ともらしていましたが、観客にセリフで訴えられるメインの登場人物の中には、素直にゴジラに心を寄せらる立場の人間は居なかったように思います。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      私は宮沢賢治の作品は余り読んだ事がないため、こういった意見は大変ありがたいです。参考になります。
      興味深く読ませていただきました。
      私も今回の春と修羅には、宮沢賢治という意味と「春と修羅」という単体の意味で2つあるかと思っています。エンドクレジッドに「春と修羅」があったのも、製作側が「春と修羅」という作品に込められた意味を十分にした調べした上で、劇中のストーリーに反映させたのではないかと。

      >君たちも好きなようにしろと突き放すような事を言いながらも、人を信じ未来に希望を託した。そんな牧氏の心を表した折り鶴と一冊だったと思います。
      やっぱり牧教授は人を信じていたのでしょうか。別の記事で破滅的な内容を書いてしまいましたが、私もこちらの方が正解な気がします。ゴジラ映画としてもその方がしっくりきます。やっぱり復讐鬼となった教授の話じゃなんとなく空しいです。ゴジラもそれこそ可哀想そうに思えます。

      ゴジラの描写については、おっしゃっています通り、ラストのなんともいえない空気にゴジラへの哀悼も含まれていたのかもしれません。たしかにヤシオリ作戦が成功して喜ぶ人も誰もいなかったですし、音楽もどんよりしてましたしね。
      実際にあんなこの世のものとは思えない生物が現れて街を焼き尽されたら、怒りや悲しみ、哀れみ、喜び、そんな感情が例え湧き出てきたとしても上手く処理できず、とにかく目の前の自体の処理に目が行くのがリアルななのかもしれません。なので感情が上手く処理できず口には出さなかったけれど、ゴジラに対して心のどこかで申し訳なさを感じていた人も意外と巨災対のメンバの中に多かったのかもしれません。
      余りこういった映画で後日談を入れるのは野暮かもしれませんが、最後に少し後日談のシーンが見たかったかなとも思います。少し時間経過が入ればゴジラに対する向き合い方ももう少し鮮明に描けたのかなと。それは続編に期待ですかね。
      でもそうするとこのラストの尻尾のシーンをどうするものか(笑)

  2. バーチ より:

    二種類の考察、非常に面白かったです。
    今日見てきたばかりですが、自分はあまり複雑に考えず「シン・ゴジラは新たな進化のカタチとしてヒューマノイドを選んだ(選んだと言うよりそうなったと言うべきでしょうか?)」「冷凍の影響で進化しきるまえに止まってくれなければ小型化して群体化するという手の付けられない状態になっていた」「牧教授は(その行動の本質的善悪はおいておいて)ゴジラ幼生体を注目されるカタチにした」という風に受け止めました。

     読んでいて一つ疑問に思ったのですが、牧教授がゴジラの放射能無効化に期待していたという点は少し難しくないでしょうか?
     たしかにゴジラは放射線の影響を抑えているというか、少なくとも死に至るような問題を現時点まで発生させていないように思えます。ただそれはマイナスになっていないだけで急速な進化(というより突然変異)という形で確実にゴジラの体に顕在化しています。エラ有からエラ無への変態時には(おそらく)急な組織変化や物理的形状の変形によって出血しているわけで、そう考えるとプラスに作用している変異でさえマイナス面を持っていると言えないでしょうか?
     また、もしゴジラが自らの体に及ぶ放射線の影響を一定にコントロールしているとして、それが人類や地球(つまり体外)の放射性物質に対しても行使可能だとは到底思えません。たとえ話ですが、我々好気生物は当時の生物には有害極まりなかった酸素に適応しました。でもだからといって目の前に嫌気生物を持ってこられても酸素から守ってやることはできませんよね。

    しかし最後、なんでゴジラは凍ったのかがよくわかりませんでした・・・。
    もしゴジラがスクラム停止なんて便利な機能ついてなくて、メルトダウン回避のために自主的に体温を下げたのだとしたら・・・それって一番恐ろしい展開ですよね。なにせもし復活したらゴジラは血流じゃなく直接冷却を行うことで体内の原子炉を維持できるわけで、それが達成できれば下手すると血液固まってても自主的にチンして動き出す可能性があるわけですから。

    あと個人的にはあまり続編はしてほしくないですね。現状動きだしたら1時間ほどで核ドーンなので、ゴジラが無事でも東京一帯消し飛びましたじゃちょっと・・・という気分です。第二新東京とかそういうエヴァなのは遠慮したいし、かといって地方都市VSゴジラ(町おこし?)とか、国連VSゴジラ(ハリウッド?)とかも見たいと思えない。

    なにはともあれ、映画・記事ともに非常に楽しめました!
    なんかこう、ひさしぶりに心から「あれが特撮、あれが怪獣映画だよ!」と言えるものを見た気分です。もっというと名画をスクリーンで見れた感動がありました。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。
      私の記載不足の所もあったようで失礼しました。回答させて頂きます。

      ・放射能無効化について
      放射能無効化については、人間の身体を放射能無効化させる技術ではなく、周囲の放射能を吸収して無効化する技術というイメージで書かせて頂きました。
      劇中ラストで急激に放射能濃度が低下しましたので、おそらくゴジラは周囲の放射能を吸収して無効化させる力があり、牧教授はそこに活路を見出したのではないかと。補足として、『ゴジラVSデストロイア』でも同じく劇中ラストのゴジラが散っていく間際、周囲の放射線濃度が急激に低下する描写があります。これをオマージュしたのであれば余計に今作のゴジラにも放射能吸収能力があるように思えます。

      ・ゴジラ凍結について
      ゴジラ凍結については、私も色々考えたのですが結局原理はよくわかりませんでした。
      一つ仮説として考えたのが、元々ゴジラの体温が低くスクラム停止を発動させてしまったため、更に体温が下がり凍結したパターンです。
      詳しくは↓の記事でまとめていますので、暇があったら見てやってください。
      http://cslbook.com/movie/3414/

      続編については、私は観たいなーと思います。おそらく続編をつくと今回よりも質は落ちるかとおもいますが、それでもやっぱりゴジラはどんどん新しいのが観たいです。ゴジラが暴れている姿だけでも観れればうれしい人間ですので。だから中身もしっかりしていた今回のゴジラは余計に面白かったです。

  3. 高一(平成ゴジラファン) より:

    教授の最終的な目標は日本の破壊などではなく、放射能の無力化だと思います。ゴジラは進行時周囲に放射線を撒き散らします、最終的には比較的短い期間で無力化することがわかりましたがもしもソレがわからなかった場合日本は、放射能を無力化する研究に力を入れる必要がありました。それをふまえたうえで教授について考えると、放射能無力化の研究をしていたが自力では成果が得られず日本政府に援助を要請した?が政府は何もしてくれなかった、妻が死に政府に対して怒りを持つ、そこで教授が思いついたのがゴジラを東京の地に放つことで東京を放射能で汚染させ政府に放射能無力化の研究を強いる、ということ。東京を選んだのは、経済や政治の中心であり、日本本土の中心でもあるため汚染された土地を放置できないから。ではないかと思います。
    「君たちも好きなようにしろ」というセリフについてですが、ゴジラには放射能無力化能力があることから、ゴジラを利用して放射能無力化の研究をすすめ、平和な世界を作る。もしくは、その能力を逆手にとり、無力化されない核を作り自滅するか選べ、ということではないかと思われます。
    ラストシーンの人型について、人を取り込んだのではなく劇中でも語られてるように増殖しているだけかと、人型なのは人類がある種完成された生物だからだと。第一印象では、羽化する直前で凍結され危機を回避できた、と思っていました。が、このサイトを見させてもらったところ、よくわからなくなってしまいました。

    1. syumi より:

      コメントありがとうございます。

      コメント読ませて頂いて、とても納得しました。シンゴジラをなぜ東京に放ったかなぜ何回も東京に戻ってきたかが疑問でしたが、おっしゃるように、単純に無効化の研究を促せるために東京の地が最適だったということなのかもしれません。「好きなようにしろ」も、おっしゃいますように”核”について好きなようにしろと掛けていたのかも知れません。それであればゴジラシリーズとしてみてもコンセプトに合致していますし。

      とても理路整然としていて、納得しました。私はすこし脱線深読みし過ぎてしまったかもしれません。今回のゴジラは段階的に進化しました。そして何度も東京を襲いました。それは牧教授が想定した、危機レベルをあげ、放射能無効化の研究を促せるための警告プログラムだったのかもしれません。劇中では第4形態の段階で、人間は危機を感じ動き出しゴジラを止めました。もしあそこで動きださなかったら次は第5形態による更に恐ろしい被害が起こった(飛行し、世界各地に放射能が蔓延するなど)、けれど第4形態を止めそれを免れた。第5形態がラストシーンで飛び立つ直前で凍結していたのは、「本当だったらこの後があったけれど、それを免れた」を示していたのかもしれません。

      ただ一点気になるのは、ラストシーンの描写はピキっと割れましたので、「これで終わってない」、「現在進行形である」とも捉えられます。
      そうなると今回お話させて頂いた内容は色々崩れてくるかもしれません。
      超細胞を研究しゴジラを止め、人が放射能無効化の技術を習得しても、さらに進化した第5形態の脅威が残っているのなら、すべては無駄になってしまうかと。核の無効化ができてもそれに匹敵するようなゴジラの脅威が残ってしまっては元も子もないようにも思えます。牧教授は「核の今後がすべて、第5形態のゴジラが暴れようとどうでもいい」とまで考え、そこまで”修羅”に落ちていたとも考えられますが。あとは「第5形態は人にちかいため無暗に破壊はしない」の路線も考えられますが。

      いずれにせよ、ラストシーンのピキっと割れるのがやはり気になりますね。あれが現在進行形であるなら、まだまだ本編を考察する余地があるかもしれません。

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