記事公開日:2021年12月30日

FF14

感想レビュー:FF14「暁月のフィナーレ」、生と死、終わりの幻想のゆくえ

※FF14暁月のフィナーレのネタバレが入ります。

FF14拡張ディスク第4弾「暁月のフィナーレ」のメインクエストをクリアしました。

私は8年前、新生したこの世界に飛び込み、どちらかというとMMOである以上に、この作品が描くストーリーや世界観に惹かれてFF14を追ってきました。その冒険のひとつの句切りとなり、「暁月編」のフィナーレとなる今回の拡張ディスク。

漆黒のヴィランズ越えのメタスコアを叩きだし、外部の評価も高いことは耳に入っていましたが、本当に期待通りの結末になるのか期待反面不安も持ちながらプレイを続けました。

焦らずじっくり話を堪能し、ようやくクリアしたので、プレイ後の感想を書かせていただきます。

誰もが考える生と死、一番難しいテーマ

今回の暁月のフィナーレでは、これまでの光と闇の表裏一体の話から、さらに深いところの、生きること、死ぬこと、己の生き様、そして”終わり”の部分にまで話が発展していった。

「自分は何のために生きてるのだろう」、「死んだらどうなのだろう」、「生きることの意味は?」みたいな問いは、誰しもが一度は考えることだと思う。

そして消えない。そういうことを考えるのは小学生中学生の子供の時だけかと思いきや、そうではなかったらしい。いま大人になってもやはり時折考えることはあるし、この先も、高齢になっても、死ぬ間際まで考えていくことなのだと思う。

そのような壮大なテーマを、長くプレイしてきた暁月の冒険のフィナーレに持ってきてくれたことは、とてもうれしかった。古代のエルピス編に入り、テーマの全貌が見えてきたときには、少し安心した部分もあった。

最強であるはずだったゾディアークさえ中ボスのように途中で倒す形になり、この先向かい合う相手はそれに見合うものなのかと疑問が生じたが、こういう系でいくなら大歓迎だと。

ただ、同時にこの手の生きる意味そのものを問うテーマはとても難しい。ノンフィクションならともかく、フィクションの創作物でやるには、なかなか見る側の目も厳しくなる。それこそFF14の観客となるメイン層は、すでに人生に揉まれてきたいい年の人たちだ。生き方に対して、さまざまな価値観を持っている。

道中でも度々触れられていたが、簡単に納得のいく答えが出せるものでもないだろうし、突きつければ安っぽくなる。一つ間違えれば、厨二病全開、恥ずかしさ全開の三文小説にもなりかねない。

そんな難しいテーマに真っ向から挑んだFF14をたたえつつも、どのようにこの壮大な話に幕引きをするのか、期待を裏切らず綺麗に終わりきってくれるのか、最後までドキドキしてもいた。

だが、クリアしてみれば、そんな不安を軽々と消してくるような、感無量なストーリーだった。

もちろんシナリオの内容も素晴らしく感じたが、同時に、FF14が持つMMOであるという特性が、余計に今回のテーマやその結末を後押しして、メタ的に説得力を与えたようにも感じる。

私たちプレイヤーは、ゲーム上の疑似世界であるものの、このFF14の世界で、実際に他プレイヤーとも関わりながら、長い間、膨大な時間をかけて、冒険をしてきた。

時には「なんのために冒険を続けているの?」「ゲームを続けてて意味あるの?」「なんで同じIDを周回してアイテムを集めているの?」といった疑問を持つこともある。

時には、FC内の仲間たちとイザコザが起きたり、コンテンツファインダーで会う一期一会の人とギスギスすることもある。古代人のように善、綺麗な考えで溢れているわけではなく、MMOである以上、そういう人の嫌な部分を見せられることもある。

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けれどアルフィノ達がいうように、一人ではなく周りに人、プレイヤーがいるからこそ、時にはそれが喜びであったり、支えになってくれることもあったのではないだろうか。

人はなぜ生きるのか?死ぬのか?をテーマとして描く、映画、アニメ、ゲームは多い。だが納得のいく答えを出すのは難しい。それが上映2時間程度の作品なら尚更だ。

FF14はそのような従来のやり方ではなく、MMOとして使える、膨大なシナリオ時間、そして多人数でのプレイ環境、その積み重ねがあったからこそ、このテーマに深みを与えているように感じた。

終盤、悠久の時を生きられるも、それでも虚無に達したイーア人と呼ばれる存在が描かれていた。もしかするとイーア人の世界にMMOがあったら、また別の生きる喜びを見つけられていたのかもしれない笑。

そして、一番最後のボスとして登場したゼノス・イェー・ガルヴァス。

なぜよりによって最後のおおとりの相手がコイツなのかとも思ったが、よく考えると、それはプレイヤーに対するメタ的な問いかけなのかもしれない。

ゼノスは「紅蓮のリベレーター」の神龍戦のころから、「なぜ戦うのか」について徹底的に問いかけてくるキャラであった。

私たちプレイヤーは、FF14の世界では英雄という”設定”になっているが、本質的メタ的にはこのゲームには戦いを求めているかと思う。だからレベルを上げ、武器を強化し、より難しいコンテンツ、強いボスに挑戦し、喜びを感じる。

それがゲームで遊ぶプレイヤーとしての、生き様であり、この世界を生きる一つの意味ともなってくるといえるのではないだろうか。

ゼノスというキャラは、それを突きつける存在だったのかもしれない。

一転二転のFFらしさもある、本当に面白いストーリーだった

他にも、サドゥ、ヴェーネス、エメトセルク&ヒュトロダエウス、ウリエンジェ、箱舟と共に旅立つ召喚獣、月で神がかったタイミングで流れてくるFF4BGMなどなど、胸が熱くなり、語りたい部分は沢山あるストーリーでしたが、個別に語っていると終わらなくなりそうなのでここまでにしておきます。

FFシリーズは昔から「ストーリーが面白いRPG」という印象がありました。親友であったものが敵だった、世界はどんどん広がっていき考えもしなかった方向に話は進む、真の驚異は意外なところにあった、の様な一転二転するストーリーの運びが面白いなと子供の頃から感じていました。

今回のFF14もその点は変わらず、むしろそれが現代風にさらに磨きが掛かった感すらあり、まったく先の読めない展開の連続に胸踊らされました。

メタスコアは、「メディアスコア100点中90点」「ユーザースコア10点中9.5点」と漆黒のヴィランズさえ軽々と超えた結果となっているようですが、プレイ後にはもう納得しかありません。

「ウィッチャー3」や「ゲームオブスローンズ」など、ストーリーの作り込まれた世界的に有名なファンタジー作品がありますが、それらと比較してもまったく見劣りしないというか、別路線で追い抜いているようにも感じます。

今回の暁月のフィナーレで、暁月編としては一区切りつくようですが、現在商業的にも大盛況のFF14。今後もまだまだ拡張パッチやストーリーも続いていくことでしょう。

これから先も、予想の付かないような驚きや感動を味合わせてくれることを期待しています!

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