記事公開日:2018年7月2日

ハリウッド・洋画

負の感情あってこそ大人ではないか?『幼年期の終わり』の意味考察

1953年に執筆され、SF史上の傑作とされる小説『幼年期の終わり(原題:Childhood’s End)』。
このタイトルの”幼年期”がとても気になっていました。

世の中では、日々さまざまな場所で、悩み・妬み・争い・口論・誹謗中傷などが起こっています。いわゆる「負の感情」、「ネガティブな感情」というもの。

その影響か、最近「負の感情は悪!」、「争いのない世界が理想」を掲げ、キラキラした前向きな思想が、増えてきているようにも感じます。

それは一見素晴らしいことのように思えますが、それこそが”子供”、”幼年期”なのではないでしょうか。

名作『幼年期の終わり』に込められた意味、伝えたかったメッセージについて独自に考察していきます。

 

『幼年期の終わり』とは?

※小説・ドラマ『幼年期の終わり』のネタバレを含みます。内容を知りたくない方はご注意下さい。

 

『幼年期の終り』とは、イギリスの作家アーサー・C・クラークが1953年に発表したSF小説。3部構成となり、突如地球に現れた宇宙人、宇宙人による民衆の統括、そして地球の最期までを描く。

SF小説の傑作として称えられており、その後の数々の映画に影響を与えたと言われている。2015年にはドラマ映画として実写化もされた。

 

あらすじ

突如人類の前に、人知を超えた科学力を持つ宇宙人が表れる。
自らを「カレルレン」と名乗る。
人類を征服するかと思いきや、カルロレンは友好的であり、争いや犯罪、病気や寿命を撤廃し、理想の社会「ユートピア」を造り上げる。

「ユートピア」では,人々は悩みのない穏やかな時間を過ごす事となる。
一方で昔ながらの生活を送りたい人間は、「ニューアテネ」と呼ばれる地区でこれまで通り自由に人間らしく暮らしていた。

そんな時代が50年以上続いたのち、カルロレンが動き出す。
新しい時代の小さな子供たちを連れ宇宙へ。そして地球と残された人々は。

 

『幼年期の終わり』に込められた意味は何か?

私はこの作品のタイトルが終始気になってました。
なぜこのようなSF話のタイトルが「幼年期の終り」なのか?と。
こてっこてですが、「宇宙人飛来!」とか「地球滅亡200☓」とかそんなタイトルでも間違いじゃないわけですか。

それなのに「幼年期の終わり」。

そこで思うのは、この作品はガワはSFの話ですが、実は人間のすごく内なる部分を描いたのではないかと。「子供(幼年期)とはなんなのか、大人とはなんなのか」、そんな事を問いかけた作品だったのではないかと考えるのです。

 

子供とは?大人とは?
この境界線はとても曖昧です。

「考え方が幼稚だから子供」、「物事をわきまえてるから大人」、一般的にはそういった括り方もありますが、それもあくまで価値観の話でしかないかと思います。

子供はこうだ、大人はこうだと区分けするのはなかなかに難しいこと。

その上でですが、大人とは負の感情を持ってしまった人間だと考えます。

 

例えば5、6歳のちいさな子供の頃を思い出して下さい。
おそらく多くの方は悩みや不安もなく、無邪気で楽しくおだやかな毎日を送っていたんじゃないかなと思います。

が、少しずつ年をかさね、生まれくる様々な悩み。
人付き会いでの妬み・嫉妬。
仕事への不満・苛立ち。
残りの寿命への不安・焦り。

そういった、いわゆる「負の感情」。

どんなに素晴らしい聖人君子のようなヒトでも、常に子供の時のままの綺麗な心でいられる人は限りなく少ないはず。

つまりそういった、負の感情を持った人間=大人なんじゃないかと考えます。またそれこそが人間らしい人間なんじゃないかとも思います。

話を戻しますが、その上で、この『幼年期の終り』。
『幼年期の終り』は、この子供と大人の境界線を描いた話であり、かつ負の感情を持たない幼少期こそが正義、その”選別”を行っていた話だったのではないかと考察します。

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カルロレンは、犯罪や寿命の悩みを無くし、人々に「ユートピア」を与えました。人々はまるで幼年期のように、悩みのない穏やかで優しい日々を暮らしました。

が、それを与えた上でも疑問を感じ、「ニューアテネ」に戻り本来の暮らしを取り戻す者、またカルロレンに抵抗する者さえ出ます。穏やかな幼少期から抜け出そうとする人間が。

カルロレンは、もともと地球を滅亡させるの目的があったのではなく、「ユートピア」を与え、人々がどうするか?を観測していたのではないかと。
子供でいるか、大人になるかを。

もしも人々が幼年期のような穏やかさを貫き、負の感情を持たずに過ごしつづけたら、結末は変わっていたのではないかと考えます。

幼年期の終わり=幼年期を捨てた人たちの終わり。

そのような事を、壮大なSFを使い描いた作品だったのではないかと。

 

ただ、その上でもう一点。
カルロレンは、最終的に子供たちを宇宙に旅立たせ、大人は絶滅させます。
つまりこの作品では、「大人=不要な存在」として描かれたわけですが、果たして大人は不要なのか。

この点を以降でもう少し考えていきます。

負の感情をもつ大人は不要か?それこそが人間なのではないか

冒頭の話に戻りますが、昨今の社会では、「負の感情」がより敵視、問題視されているように感じます。

ちょっとした悩みや不満などネガディブなことを吐けば、嫌われやすい社会。
ちょっとした暴言や暴力を行うと、パワハラ・モラハラ・イジメなどと扱われる社会。
その影響か、SNSなどではキラキラして前向きな言葉が溢れていますよね。

負の感情が敵視されやすい社会。
これに、『幼年期の終り』で描かれた「ユートピア」と似たものを感じます。

悩みや争い、負の感情がない世界は、ある意味理想かもしれません。
ですがそれは、人間らしさが消えている、押しつぶされた世界に感じます。
まるでユートピアのようで、幼年期のままのようなような。

暴力や誹謗中傷を肯定するわけではありませんが、正と負それぞれを持ち併せてこそ人間なんじゃないかなと。

『幼年期の終り』では、最終的に大人は不要とされ、絶滅させられます。
それを通し、大人は本当に悪なのか?人間らしさとはなんなのか?大人になることはダメなことなのか?大人は不要な存在なのか?

そういったことを問いかけていたのではないかなとも感じました。

まとめ

以上、『幼年期の終り』の考察となります。

あくまで個人的な解釈ですが、こんな事を感じました。
この作品は、他にも様々な解釈ができるかなり深い作品なのではないかと。
SF小説の傑作と呼ばれるだけあります。

 

 

文庫版/小説版は?

 

『幼年期の終り』の文庫版/Kindle版はこちら↓

 

 

ドラマ版は?

小説を実写化したドラマ版『CHILDHOOD’S END -幼年期の終り』が、2015年にAXNから全6話で放送されました。

こちらは現在は公開が終了しており、観覧できないようです。

ドラマ版を見たい方は、無料動画サイト等で探せば見つかるかもしれません。

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